2008年12月29日月曜日

АРКТИКА 遭難→漂流


АРКТИКА 漂流

 АРКТИКАというのは僕のクルマの名前である。ロシア語で北極地方という意味だ。道東地方は日本の北極圏だと思っている。7月はまだ夏じゃなく、8月はもう夏じゃない。200kmや400kimは距離のうちに入らない。
 NHKのラジオ電波も満足に届かない。中央政府から問題にされず、見放されている。 ここで暮らしていると、この国の為政者、あるいはそれを選出する選挙民の精神構造の本質がよく見えるような気がする。

  それはさておき、そのАРКТИКАが一昨日故障した。それも、走行中に突然動けなくなるという故障だ。
 今年、8月にも高速道路上で突然エンジンが破損して立ち往生した。その結果エンジンまるごと交換という荒技で復活してきたのだ。ちょうど旧盆前のことだった。それから僅か4ヶ月。今度は正月を前にして今度の故障だ。今回の故障箇所は、どうやらミッション(変速機)らしい。
 ただし、これから自動車工場が休みになる。そのため「入院」はしたが、原因究明は年明けになる。

 このクルマは故障が多い。ふだんから「マイナートラブル標準装備」と言っている。走ることに関わらない小さなトラブルは、自分で解決しながら乗っているし、さほど気にならない。しかし、これほど大きな故障が続くといささか嫌になる。経済的な損失も侮れない。まあ、それが唯一の理由かな。

 クルマを替えるのはのは簡単だ。そうすれば(たぶん)これらのストレスからは解放されることだろう。では、それが出来ない理由は、何だろう。
 1:この夏の修理で、少なからぬ金額を投資した。
 2:さらに、先月、車検を取ったばかりで、2年近く乗れる状態にある。
  しかし、以上の二つの理由は、実は主要ではないように思う。本音は、このクルマと別れたくない、というきわめて非論理的で、情緒的な理由だ。

 基本設計は50年以上も前に完成し、その間に生産された車両のかなりの割合がいまだに現役で走っている、という。たとえばサスペンションについて、クルマに関して素人である僕でも、そのメカニズムがいかにシンプルでかつ有用であるか、よく理解できる。「クルマ」というより「道具」という呼ぶ方がふさわしいのだ。
 だから、手放したくない理由は、「良い道具だから」と言うことになる。

 ああ、それにしても、どんな原因による故障なのか、早く知りたいものだ。
 

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