2009年1月2日金曜日

続編「知床横断鉄道」

   知床空想列車…ある夏の夕景
 知床斜里発カムイワッカ行き、三両編成の637列車は定時に0番線を滑り出した。一旦廃止され、復活した根北線のレールを辿って以久科駅を過ぎる。やがて越川駅に着く。以久科でも越川でも部活帰りの高校生が賑やかに下車した。まるで小鳥の群れが飛び去った後のようだ。高校生たちの通学の手段として、知床線は重宝されている。それまで自家用車で送迎されていた高校生たちも通学列車に戻ってきたという。バスでは望めない開放感とくつろぎを列車に感じるからだろうか。
 越川を過ぎるといよいよ知床半島部に乗り入れる。午後の斜光に照らされて金粉をまき散らしたようなオホーツク海が眼前に広がる。夏のオホーツク海には、「北の果ての海」という陰鬱なイメージはない。薄い青色の海面がどこまでも広がり、穏やかで明るい。列車は、峰浜駅を出るとウトロ駅まで、オホーツク海を左手に見ながら走るのだ。この季節、北緯44度の知床半島の日没は遅い。
 17時46分、斜里から54分でウトロ駅に到着する。乗客の大部分は観光客で、ウトロで下車した。今夜の温泉と海の幸をふんだんに使った夕食への期待で、唾液腺の活動が高まっていることだろう。網走を観光してから知床に来た人が多いようだ。中には旭川市の旭山動物園を楽しんで来た人もいる。
 夏季の輸送繁忙期のため増結された二両をウトロで切り離し、一両になったキハ54は、ようやく水平線に近づいた夕陽に照らされた幌別台地に向かって長い上り坂を軽快に登っていく。この車両は、従来のキハ54に高性能蓄電池とモーターを組み込んでハイブリッド化したものである。車内には、岩尾別のユースホステルへ行く旅行者、木下小屋に泊まって明朝羅臼岳に挑む登山者、自然センターを訪ねる研究者らしい人物が2人乗っている。さらに、「横断鉄道」の最終列車に乗り継いで羅臼町を訪ねる旅行者が7~8人、意外にたくさんの人が乗っている。
 列車は、自然センター駅のホームに到着した。島ホームの反対側、2番線に知床横断鉄道の小さな赤い客車が待っている。半分ほどの乗客を降ろしたキハ54は、そそくさと岩尾別台地に向かって幌別台地を下っていった。終点カムイワッカ駅では、知床山系縦走を果たした登山者たちが待っている。この車両が折り返し上り638列車となって、斜里駅に帰り着く頃には、長かった夏の日もとっぷりと暮れていることだろう。
 637列車を追いかけるように、ひときわ高い汽笛とともに2番線の羅臼行きも出発した。出発してすぐ、レールは大きく右に曲がり、知床峠へと伸びている。客車と同じ赤く塗られた機関車は、この長い登りに挑むように進んでいく。この列車が羅臼に着くのは19時を少し過ぎているだろうか。知床横断鉄道の最終列車には、大きな三脚を持ち込んだ人々がいた。この人たちは、夜の知床峠で一晩中星を眺めて過ごそうというのだろう。
  知床横断鉄道ができて、一般の自家用車の通行が禁止された知床横断道路は、約三〇年ぶりに原始の闇と静けさを取り戻した。そのため、最近になって天体望遠鏡を持ち込み星空を楽しむ人々が多くなった。しかし、この地域はヒグマの高密度生息域であり、国立公園を管理する知床財団では、ヒグマとヒトの偶発的事故防止に神経をとがらせている。今頃は、羅臼行きの車内で、添乗している知床財団職員からヒグマへの注意を受け、クマ撃退スプレーなどの装備のチェックを受けていることだろう。
  知床峠をゆっくり登っていく登山鉄道を後押しするようにな光を投げかけ、夏の太陽が水平線に沈んでいった。
 こうして知床の夏の一日が過ぎていく。

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