2009年2月28日土曜日

風蓮湖を歩く






 アザラシ調査があるというので久しぶりに走古丹(はしりこたん)に入った。
往復で約8㎞を歩く。
風は強かったが、晴天で気持ちが良かった。
 ゴマフアザラシ 2頭 遊泳中を確認。
 その他、鳥類:
  ウミスズメ
  カワアイサ
  コオリガモ
  クロガモ
  ホオジロガモ
  ビロードキンクロ
  オオハクチョウ
    オオセグロカモメ
    シロカモメ
    カモメ
    オジロワシ
    オオワシ
    トビ
    ハクセキレイ
    ツグミ
    ハシブトガラス

2009年2月27日金曜日

彗星はいずこ

 ルーリン彗星が近づいているはずなのだが、このところ夜になると雲が出てきて、スカッと晴れない。
 夜ごと、双眼鏡を夜空に向けているのだが、いまだに見つけられない。写真では、美しい尾を引いているようなのだが。

 夜、東南の空を探した。すると双眼鏡で微かに光る彗星を捉えることができた。アンドロメダ大星雲よりもはるかに暗い。寒い中で写真撮影を試みたが、僕のウデでは無理であった。
 でも、肉眼で見ることができたので、ヨシとするか。

2009年2月26日木曜日

アルクティカ 復活




 よく故障する。肝心な時にドック入りしている。
 走っている時うるさく、走行中の車内でクラシック音楽を聴くのはほぼ無理。
 ヒーターが小さく寒い。
 欠点だらけのクルマである。昨年は特に大きな故障が二度もあった。それでも手放せないのはなぜだろう?自分でもわからない。
 「カッコイイですね」と褒められることが少なくない。だが、そんな言葉は、別に嬉しくない。他人に見せるために乗っているわけじゃないから。
 キーシリンダーから配線を外し、新たに自分でハンダづけをしたコードをつなぐ。買ってきたスイッチに繋ぐ。電流を流すと間を置くことなく全電装が目覚める。
 当たり前のことだけど、自分の手で直したことが嬉しいのだ。カッコ悪くてもいい。自分でできる範囲(ごくわずかだけど)は自分で修理できるクルマなのだ。良かったね。よかった、よかった。
 今回はアクセサリーとスタータは問題がなかったので前のまま残っていが、これらもいつ故障するかわからない。しかし、いつでも対応できる知識も得た。時間はかかったけれど満足感は残った。
 ただし、この故障箇所を突き止め、配線の種類を丁寧に教えてくれた陰のヒトがいる。彼の手助けとアドバイスがなければ、僕はサジを投げていたかもしれない。

2009年2月25日水曜日

思えば出世したものだ

 大学の研究室の同窓会などは功成り名遂げた人々が集い来るものだ。僕は、功成らず名遂げてないのだけど、コッソリとその人々に混じって、心ゆくまで楽しんだ。だって、会って顔を見た瞬間に何十年も時間が逆転して、「あの頃」の自分に戻ってしまう、あの感覚はたまらなく愉快なものだから。
 低気圧による吹雪で交通機関が乱れ、全国各地から集まって来る人々はみな、大変苦労してた。宴会の終わり頃、やっと間に合った人も少なくなかった。ついに参加を諦めた人も何人もいた。そんな中で、札幌駅に夜8時頃到着し、タクシーを飛ばして来た人がいた。タクシー代は軽く5桁に達しているだろう。さすが、功成った人は違う、と密かに舌を巻いた。
 だが、ちょっと待て。僕自身も、ずいぶん贅沢をした。旭川の娘の家に車を預けた。故障したから預からざるを得なかったのだ。すると、娘の相棒が旭川駅まで送ってくれた。何という贅沢。お陰で札幌行きの特急列車に余裕をもって間に合った。
 札幌からローカル列車に乗り換えて大学の最寄り駅まで行った。実はわが母校は酪農系の大学である。敷地の広さが自慢なのだが、最寄り駅から歩くと軽く20分はかかる。しかもまだ吹雪が荒れている。列車ダイヤが乱れて集合時間までもう10分も無かった。そこで僕は決断した。その駅からタクシーで行くことにしたのだ。学生のことには考えも着かない贅沢である。そのため、余裕を持って集合時間に間に合った。

 同窓会が終わって、旭川駅に帰り着いた。今度は娘が自分の車で迎えに来ていてくれた。しみじみ考えてみた。行く時もクルマで送られ、タクシーで大学へ行き、帰りも車での出迎えを受ける。自分は、何と出世したのだろう。ありがたいことである。
 彼女の家に着いてみると、娘の相棒が車の応急修理をしていてくれた。
 もー、ありがたすぎる。

アルクティカ号難航中

 車というものはキーで電気系統のスイッチを入れる、とういのは大部分の人にとっては常識だろう。
 だが、あれは鍵の形をしても所詮電気回路のスイッチなのだ。スイッチとは、回路をつないだり切り離したりする機能をもつ。その接点をポイントと呼んだりする。アルクティカ号は、そのポイントがすり減って電流がうまく流れなくなってしまった。旭川で応急修理をしてもらったのだが、羅臼に戻ってきて結局不調が再発した。
 開き直って全て別のスイッチに換えてしまえばいい、と思うのだが、取り付けられている場所が狭く、作業が難しい。昨日の不調に懲りて、今日、何とかしようと試みたのだが、材料不足で断念。配線むき出し、まるで中学生の下手くそな模型のような状態で走っている。

2009年2月23日月曜日

発掘記




  発掘前夜
 ストーブがおかしい。そう気づいたのは昨夜、帰宅してすぐのことだった。最初は、ストーブ自体のトラブルかと思った。点火ミスで燃焼室に灯油が溜まり過ぎることがよくあるのだ。だが、燃焼室に溜まった灯油を取り除いても改善されない。時々、中で爆発している。危険を感じて消火した。
 考えてみるとわがストーブはFF式というものだ。つまり、外気を取り入れて燃焼室に送り、排気も屋外に排出するという方式なのである。吹雪で雪に埋まった家の状態を考えてみれば、ストーブの吸排気口が雪に埋まっている可能性は高い。何しろ金曜日の午後から運転していなかったのだから。
 少し迷ったが部屋が冷え切っていたので、夜のうちに直そう、と思い立って外に出た。雪が、屋根の軒まである。スノーシューを履いた。午前1時を回っている。こんな真夜中にスノーシューを履いて屋根を歩き回ったら絶対に怪しまれる、などと考えたけど暖かい部屋で眠りたかった。懐中電灯の灯りを頼りに吸排気口を探した。だが、灯りに照らし出された吸排気口付近の状況を見て諦めた。分厚い雪と氷が覆い被さっている。おまけの足場も悪い。片手間にチョイチョイと掘り出すことは不可能だ。
 家に入ってベッドに潜り込んだ。寒かった。

  発掘当日
 夜の間は風が強かったが朝には静かになっていた。昨夜食べ残したおにぎりとパンで朝食を摂り、吸排気口の掘り出しに向かうことを決意した。(大袈裟だナ)軒先の雪山は屋根からの落雪も加わっていてかなり固く締まっているので動きが制限されるスノーシューを履かず、ツボ足でとりついた。
 吸排気口は、裏の家と我が家の隙間の狭い場所に取り付けられており、そこは、雪がもっとも分厚くなっている場所の一つだった。さほど高くないとは言え、地上から2メートル以上ある場所なので足場を固めながら慎重に近づいていく。まず、手前にある灯油タンクを掘り出す。タンク全体を掘り出すのは時間がかかりそうなので、とりあえずタンクの上面だけを露出させた。吸排気口はその先にあるはずだ。軒下の雪を慎重に取り除いていくとやがて黒いススの着いた雪が表れた。昨夜の「爆発」の跡だろう。
 実は、この部分、裏の家の玄関前になっていて足下の雪がえぐり取られて崖のようになっている。雪の上に腹ばいになり、慎重に身体を近づける。そして、とうとう手の届く距離に達した。吸気口、排気口に詰まった氷を取り除いて発掘作業は終わった。裏のお宅の玄関前に散らかした雪を片付けて、部屋に戻る。ストーブを点火すると、当たり前のように燃え始めた。 

帰ってみれば



  「害虫」の卒業生は、1期から34期まで400人以上いるという。そのうち5分の1以上の人が集まる予定だったが低気圧のために、やむなく出席を断念した人々が20名と少しいたようだった。
 それでも、10年ぶりに開かれた集まりは、盛況で、午前4時まで話に花を咲かせた。
 旭川においてアルクティカ号の電気系統にマイナートラブルが起き、札幌までは急遽鉄道を利用した旅になったけれども、それはそれで楽しむことができた。
 故障の応急修理をしてもらい、帰路に就いたのは午後3時半であった。順調に走り続け、羅臼には午後11時過ぎに到着。
 旅から帰った僕を迎えたのは写真のような玄関であった。。
 掘り出すのに30分。いやはや、である。

害虫の人々

  大学に通っていた時、「農業害虫学研究室」というゼミに所属していた。周りからは、単に「害虫」と呼ばれていた。研究していた、というより僕たちの存在そのものが害虫みたいなものだ、という自覚はあった。
 今では「応用昆虫学研究室」などとオシャレな名称に変わってしまっているが。
 今日は、そのゼミの同窓会である。かつての「害虫」たちが全国から集まって…来るはずだったのだが、本州南岸を通ってきた根室沖で急発達する「爆弾低気圧」に襲われて、「害虫」たちはあちこちで足止めを食らった。集まってこられたのは結局40人程度。約30人が到達不能という事態になってしまった。
 残念。
 それでも、大学に集まり、大学の農場や動物病院を見学し、バスで定山渓温泉にやって来た。

2009年2月20日金曜日

低気圧

 南岸低気圧接近。75km/hの高速接近。
 午前中、まだ静かだ。明日の夜灯虫の会に出席のため旭川まで行っておきたいが、午後から荒れる、という予報だ。
 昼過ぎ、できるだけ早く出発するしかない。

2009年2月19日木曜日

ゾンメル

 来年の授業「野外活動」に備えて、ゾンメルを20セット購入してもらった。ゾンメルとは、山スキーのことだ。短く幅が広い。裏面にシールが貼られている。造林や狩猟など山仕事をする人々に愛用されてきた。オーストリア製のスキーである。来年度から始まる「野外活動」の授業で使う。20セットのゾンメルを買う予算がついた。
 20セットのスキーを確認し、学校名や管理番号を記入し整理するのは結構大変な作業で、生徒を動員してほぼ50分かけて終わった。
 きょうは、その試用ということで外に出て使ってみた。ゲレンデスキーしか知らない生徒たちは、かなり戸惑いつつ、雪上の散歩を楽しんでいた。
 天気も良く、気持ちの良い授業ができた。

2009年2月18日水曜日

ブイヤベース



 ブイヤベースを作った。
  スケトウダラ(羅臼では「スケソ」という)
 マダラ
 ホタテ
 アサリ
 イカ
 エビ
 この6種類が今日の「チームブイヤベース」のメンバーである。スケソの肝臓もスープに溶かし込んだ。久しぶりに美味しいブイヤベースになった。
 羅臼の海に感謝である。

2009年2月17日火曜日

吹雪模様の日に

 雪の煙が山を覆う日
  天気図を見ると千島列島沖で三つの低気圧が「かごめかごめ」をしているように周り有っている。

  教師は「統一」が好きらしい。
 声高に「統一した指導」と叫ぶ教師たち
 服装にも「逸脱」行為にも「統一」した同じ態度で臨むのが良いとされている。それは、その通りなのだということは理解できる。複数の教師がバラバラなことを言っていたのでは、方向性がまとまらない。その必要は認める。
 が、はたして現実にそんなことがどこまで可能か。
「統一」を押しつける以前に「可能な範囲で」と言う条件が必要で、どこまで可能かについて時間をかけて論議すべきなのだ。
 一見面倒なその手続きを省いて、力で突破しようするところに、無駄な軋轢が生じ、教育活動の綻びが顔を覗かせる。

大声で、「制服!制服!」と叫ぶその一方で
金子みすゞの「みんなちがって みんないい」を高らかに読んでみせる。
その極端な被論理性に、僕は恥ずかしさを覚える。

2009年2月16日月曜日

ドスイカ




 ドスイカというイカがいる。名前はあまり知られていないだろうが、羅臼の道の駅でよく売られている。
 分類学上では、
  軟体動物門頭足綱ツツイカ目開眼亜目テカギイカ科 ドスイカ Berryteuthis magister
となるらしい。体の水分が非常に多く、鮮度が落ちやすいのだそうだ。だが、その分だけ身が柔らかく煮ても、焼いても、揚げても美味しい。刺身には向いていないが、いろいろな食べ方が楽しめる。
 最近、道の駅に寄ると、このイカがよく売られている。先週、足を5ハイ分買ってきた。お値段、全部で百円。
 値段もまた、魅力なのである。
 この日、併せてワカサギも買った。この新鮮なワカサギ、198円。食べきれなかった。

2009年2月15日日曜日

キラパジュンのこと


 キラパジュンを思い出している
 30年以上も前のある秋、網走から帯広まで往復した。仕事を終えた午後に出発し、深夜に帰宅した。キラパジュンのコンサートを聴くための強行軍だった。

 史上初めて民主的手続きによって成立したチリのアジェンデ社会主義政権を生み出すために活動した芸術運動があった。米国に後押しされた軍部のクーデターによって同政権が倒れ、ビクトル・ハラなど多くの芸術家が弾圧され虐殺された。この時、海外にいたキラパジュンは、帰国することができなくなり、亡命生活を送りながら演奏活動を続けたのである。南米は、アメリカ合衆国に近いがゆえだろうか、様々な圧力と干渉を受けて政治的にいつも揺れ続けてきたのだが、富の公平な分配を求める革命運動も根強く続いている地でもあるだろう。そのような土壌で育ったのがキラパジュンであり、キューバ革命であり、チェ・ゲバラの生き方だったのではないだろうか。
 実に多くの芸術家がゲバラを讃える歌を歌っている。
  サンクリストバルの文化センターのホームページからは、それらの歌を無料でダウンロードできる。
     http://www.sancristobal.cult.cu/sitios/Che/canciones.htm

 キラパジュンもゲバラを歌っている。
    ELEGIA AL CHE GUEVARA  「チェ・ゲバラのエレジー」だ。
 同ホームページの中の106番目にある。

 「チェ・39歳 別れの手紙」を観てきた。印象が強過ぎてクラクラする。感想がなかなかまとまらないのだけれども、凍結路面にハラハラしながら帯広へ急いだあの夜のことを思い出した。僕も、どこかで連帯している、と思いたい。

2009年2月14日土曜日

羅臼大雪




 朝、起きてビックリ。
 「今年は雪が少ない」と言い続けいてきたが、いやはや恐れ入りました。自然はちゃんと帳尻を合わせてくれるものではある。それにしても昨夜未明から数時間でこれほど降り積もるとは。
 ただし、現在ところは風が弱く、羅臼町は孤立していないらしい。もちろん、根北、美幌、清里などの各峠は通行止めになっているのだけれど。

2009年2月13日金曜日

ワタリガラス

 朝、通勤で坂を登っているとワタリガラスが鳴いていることがよくある。羅臼にはハシブトガラスの多く住んでいる。ワタリガラスはハシブトガラスよりも一回り大きく、尾羽はくさび形になっている、と言われている。
 「と言われている」というのは、外見ではなかなか区別が難しい、と感じるからだ。僕の場合、決定的な識別点は鳴き声による。図鑑などには「カポン、カポンと鳴く」と書かれているが、そのような聴こえ方よりも声の質で区別している。

 ワタリガラスは、多くの北方先住民族の神話に登場し、人間に火の使い方を教えた、など知恵のある自由な存在として描かれている。ハシブトガラスやハシボソガラスなど「その辺にいる」カラスとは別格に扱われているのだ。

 「わたり」とは旅することであり、「場」にとらわれない自由な存在の象徴なのだろう。そしてなおかつ豊富な知恵を備えている存在なのであろう。北方諸民族が尊敬し、神話に語り継いできたのもうなずけることである。

 毎朝、ワタリガラスに会えることは、とても幸せなことだ、と改めて思うのである。 

2009年2月12日木曜日

高校入試

  今日は、高校入学者選抜検査だった。
 普通は3月4日なのだが、羅臼町では「連携型中高一貫教育」を実施しているために一般の学力検査(つまりは入学試験ネ)は実施しないのである。代わりに受検生は、知床学(知床の自然環境や歴史、暮らしに関する学習)で、自分で調べたことを試験官の前で発表するプレゼンテーションをするのだ。後は、面接と作文である。たくさんの中学生が、早朝から学校に来て、緊張した表情で思い思いのテーマのプレゼンテーションを行っていた。
 おそらく、彼らにとっては、生まれて初めて出遭う社会的試練であろう。2009年度の入学生になる。順調に行けば、2012年3月に卒業していく生徒たちである。全員が合格し、入学、そろって卒業していって欲しい、と心から思う。
 ただ、一般的に言って、昨今の中高生を見ていると勉強する動機が自分の心の中から湧き出していないような感じを受ける生徒が増えているように思う。なんか「勉強してやっている」というような態度がホンネの所に見え隠れしているように感じるんだなあ。周りも、なんだか本人に頼むようにして「勉強してもらっている」ように見えることがある。タテマエはともかく、ホンネがそれなんじゃないかな。だから学校への送迎だとか、買い与える物だとか、チヤホヤしているように見える。だが、それは大きな間違いだ。学ぶ営みは、自分自身の成長のためであるし、学問はすべて自分の身になるものだ。自分のために学ぶのである。
 そして、学問することを立身出世のための手段のように捉える、考え方からも社会全体でそろそろ卒業したらどうなのかなあ。

 「学ぶ営みは一人ではじめて、一人へもどっていく。はじめた自分ともどっていく自分とのあいだに、たくさんの人がはいればはいるほど、学んだものは高くなり深くなる。」
と書いたのは、むのたけじ さんだったと思う。(むのたけじ:詞集「たいまつⅠ」より)

 でも、高級官僚が天下りをして、財団や公益法人を渡り歩いて、法外な退職金を手にしている現実をみると、子どもの尻を叩いて頂点の大学を目指させたくなるんだよね。それが「国民感情」というものかもしれない。
 極東の島国の珍現象であっても、なかなか直らないものかも知れないね。

2009年2月11日水曜日

鉄と油と牧草ロール

 ウマたちに牧草のロールサイレージを出してやった。1個200kg以上あるのでトラクターを使う。トラクターの前面に付いているフロントローダーという腕を油圧で操作してロールを運ぶ。少し前からローダーの動きが悪いことに気づいていた。レバー操作より動きが遅れるのだ。おそらくローダーを動かすための油圧が足りないのだろう、と見当は付いていた。
 しかし、時間がない、寒いなど様々な口実を設けて点検を怠っていたのだ。今日は、意を決して点検してみた。油圧はギヤオイルと共用である。点検口を開けてレベルゲージを見ると、標準からほど遠い。
「やっぱりナ」と思いつつ補充作業を始めた。なんと、10リットル以上も不足していた。こんな状態で、文句ひとつ言わずに(言えない!)よく働いてくれていたものだ。スマヌスマヌと詫びながら給油した。そのほか、レバーやカムなど外に出ている摺動部(しゅうどうぶ=つまり動いてこすれ合う部分ネ)の潤滑油が不足して全体的に動きが悪くなっている箇所に給油した。すると、フィアット社製77馬力は、生まれ変わったように(ちょっと大袈裟)元気を取り戻してくれた。
 それにしても、鉄という材料は、冷たく無機的な存在(無機物だって!)だが、ヒトが手をかけて可愛がるとすぐに嬉しそうに反応する。生きているもののようなところがある。不思議な材料だ、と思った。
 ヒトが鉄と出会ったのは、ずいぶん昔のことだろう。ヒトの文明は鉄と共に歩んできたと言うことができる。そして、鉄を錆から守り、摩擦を減らすために油が必要になり、良い潤滑剤を手にすることで、鉄はますます存在価値を高めたのだろう。

 トラクターの手入れをしながら考えたことでありました。

2009年2月10日火曜日

火星人来襲!



中身抜かれ裏返されてさらされる
     地球は怖い星なのである

丸いから頭のように見えるけど
    お腹なのですタコの頭は

裏返しさらして見せる腹の中
これほどサバサバしているのだよと

  これはヤナギダコという種類のタコである。ミズダコよりずっと小さい。
 頭のように見える部分は実はお腹。内蔵を取り出して裏返し、開いて干しながら売られている。寒風にさらされて引き締まった身は、柔らかいが歯ごたえがあり、うま味が詰まっていて美味しい。茹でても揚げても身が固くならないようだ。
 カルパッチョにしようと薄くそぎ切りにしていったが、つまみ食いが止まらず、足2本半くらいの分量を食べてしまった。

2009年2月9日月曜日

アチキの眼鏡

注:「アチキ」とはロシア語で眼鏡のことです。

子どもの頃から夢があった。
 メガネをかけてみたかった。子どもの僕にとって大きく偉大な父は、先天的な近眼でメガネをかけていた。それに憧れを抱いていたのだろう。
 小学校に入学し、視力を測定するようになって、自分の視力が「2.0」であることがわかった。メガネなどまったく必要ない、健全な眼であることを知った。もちろん、僕はそれを素直に喜んだ。その頃はもう、メガネを父親の象徴と感じて、自分もかけてみたいなどという気持ちは消え失せていたから。「視力2.0」の生活は、それ以来ずっと続いた。他にあまり自慢するものを持たない僕にとっては、数少ない自慢のタネであったことは言うまでもない。
 しかし、50代に入ったある日、突然視力の衰えを感じた。宇和島(四国、愛媛県)を旅行中のことだった。夜の市街地を歩いた時、店の看板が読めないのだ。北海道に帰ってから恐る恐る北斗七星のミザールを見てみた。すると、小さな星がすぐ近くに二つ並んで見えていたはずだったものが見えないのだ。その時の狼狽は激しいものだった。
 正式に視力を測定すると、かなり低下していることがわかった。それ以来、視力検査が怖いものに思えてきた。運転免許はギリギリで通過。狩猟免許の更新の時も、ギリギリだった。誰だって自分の身体の衰えを認めたくないものであろう。

 先日、思い立って眼科を受診した。視力は右0.5、左0.7であった。医師は、
「メガネを必要とするギリギリの視力です」とアドバイスしてくれた。
「メガネをかけたからと言って視力の衰えが進むということはありません」という医師の言葉を信じて、メガネを作ることにした。これまでの人生をメガネ無しで過ごしてきた僕にとって、これからメガネをかける生活は正直言って。だが、クリアの視界、遠くの物もよく見える眼というのは、魅力だ。射撃の照準も合わせやすくなるはずだ。今より本も読みやすくなるだろう。

 昨日、注文してたメガネが出来上がったと連絡が来たので、さっそく受け取り
に行った。初期の違和感がまだ残っている。だが、夜空を見上げて驚いた。星がきれいなのだ。今までも星空は美しいと思ってきたけれど、視力の衰えとともに徐々に滲みが出てきていたのだろう。眼鏡越しに見上げる星は、暗黒の宇宙にクッキリと浮き出すように輝いている。こんなにも美しい宇宙空間で僕たちは生きているのだ、とあらためて思った。そんな思いを抱かせてもらえただけで、メガネを作った価値はあったな、という気がしている。

 間もなくやって来るルーリン彗星もクッキリ見えることだろう。

2009年2月8日日曜日

バッテリーの季節なのだ



 「自動車のバッテリーは乾電池のようなもので消耗品と考えた方が良い」
  以前、どこかで誰かが言っていたのを聞いたことがあった。確かに、いくら二次電池(充電と放電を繰り返すことが出来る電池をこう呼びます)と言っても、所詮は化学反応をはげしく繰り返させているので、年月の経過と共に劣化していく。僕は、どちらかというと他のヒトより多く走る(つまり落ち着きが無いのね)方だから、バッテリーにはいつも十分に電気が供給され、長く使う方だと思う。
 それでもだいたい5年に一度くらいは交換を余儀なくされていた。特に気温が極端に下がる冬季にバッテリーの寿命を迎えることが多い。化学反応だから、気温が低下すれば、不活発になりそれまで取り出せていた電流がパタリと止まってしまうワケだ。
 わが、АРКТИКА(アルクティカ)は導入後9年になる。実は、アメリカ製のオプティマという会社のバッテリーを使っている。このバッテリーは、月面探査車のために開発された技術によって作られた製品だ、と聞いているが確かにとてもタフだ。9年間使っているにもかかわらず、寒い朝でも一発でエンジンをかけることができる。もちろん今朝まで現役だった。
 まだまだいける、と思っているのが、昨年暮れあたりからスタータを回した時に、ちょっと息継ぎをするような感じで回転が止まってしまうようになった。おそらく寿命が近づいたサインだろう。出先で、突然エンジン始動不能に陥る、というのもイヤなので、思い切って新しいバッテリーを購入した。もちろんオプティマの最強のもの。昨年、12月には届いていたのだが、別の原因で「入院」生活が長引いていたので、交換の作業が出来ずにいた。
 それが今日、交換作業を実施できた。
 これで完璧。スタータモーターは軽々と回るようになった。

2009年2月7日土曜日

光の春だ

 立春が4日だったから今日で3日目になる。さすがに日中は光が溢れてきた。
「光の春」だ。そして、最低気温が続く季節でもある。夜間の気温はマイナス二桁になっている。昨夜、帰宅が未明になったのだが、気温は-11℃あった。
 しかし、12月~1月の日射が弱い時期と違って、日中の気温はかなり上がるし日向は暖かい。やっぱり春が近いのだ。
 いよいよ本格的に「新しい年」が始まるのだ。

2009年2月5日木曜日

人間ドックの後始末

 釧路の病院で精密検査の相談をしてきた。
 人間ドックでいろいろと「要精密検査」を指摘され、医師と相談したのだ。
 「人間ドックは検査の感度を上げているから、ちょとしたことでも引っかかりやすい」と、医師は話していたが、キチンとした結果がでるまで、やはり心配なものである。
 ともあれ、精密検査に向けて、動き出した。今日という日であった。

サンプリング

 羅臼川に北見工大に依頼されたサンプリングにでかけた。
 気温ー3.4℃
 水温4.9℃
 水から温度計を引き抜くと示している温度が下がる、という現象に違和感を感じつつサンプリング終了。
 めでたし。

2009年2月3日火曜日

ありがた迷惑なお話


 学校の坂道を歩いて登る、ということを続けている。
 小鳥の声を聴き、オジロワシやオオワシの飛ぶのを眺めながら登る坂道は気持ちがよいものだ。
 今朝もワタリガラスが鳴きながら飛んでいた。今年初のワタリガラスだった。霊力がある、と信じられているワタリガラスに朝から出会うなんて、一日幸せな気分で過ごすことができた。

  少々困ることもある。
 ただ、三回に一回くらい通勤途中の同僚がわざわざ車を停めて乗せてくれる。その親切心とホスピタリティには心底感謝するのだが、本心を言えば「ありがた迷惑」なんだよなあ。朝、交通量の多い時間でもある。生徒を送迎する車のひっきりなしに通る。そんなところで、
「乗る」
「乗らない」
の押し問答なんかしたくないから、ありがたく乗せてもらうことになる。
 その瞬間、さっきまで見ていたオジロワシの姿は、僕の網膜からかき消えてしまう。悲しいことであるなあ。 

2009年2月2日月曜日

風の一日

 低気圧は道東からかなり離れたコースを通ったもようで、吹雪に向かって身構えたが肩すかしを食らった。
 ただ、羅臼のそこそこに雪が降り、玄関前の除雪をしてから出勤した。ただ、終日風は強く、山の斜面のそこここで雪煙が巻き上げられる様子が見えた。
 今日、知床では風が主役であった。

2009年2月1日日曜日

熊越えの滝アタック記





    熊超えの滝へ
 冬の熊越えの滝へ行ってみることになり、総勢6名で出発した。
 根室沖に優勢な低気圧が進んできている。風も雪もそこそこの量だったが、行動できないような状態ではない。まずは行ってみることにする。
 熊ノ湯のゲートから入り、閉鎖された横断道路の上を進む。スノーシューが必要ないほど表面がクラストしている。覆道を通り、大橋を渡って入り口に。いよいよ遊歩道に入る。遊歩道はすっかり雪に埋まり、夏とは全く異なる景色だ。夏にイヤというほど来ているので、道筋はわかる。一応、夏のルートに沿って進む。雪は、いく分柔らかく、スノーシューの能力が十分に生かされ始めた。
 だが、そう思ったのもつかの間、ルートはかなり急な傾斜を横切るように進んでいて、その部分の雪面はガチガチに凍っている。ほとんど氷の壁を横切るような状態になってきた。スノーシューには爪が付いているのだが、全く役に立たない。
「これはアイゼンじゃなきゃ駄目だね」
などと話していた途端に僕の足下が滑った。体がどんどん滑り出す。もうダメだ。覚悟を決めてお尻で滑り降りる。小さなバウンドの後、体は浅い流れの中へ。
 くるぶしくらいの水深だし、滑落距離も数メートルだからまったく問題は無し。
 しかし、ハイキングコースと言うほどもない熊越えの滝が、今日ははるか遠くに感じられた。
 山は侮ることができない。下りてみたらヒゲが凍っていた。