2009年3月14日土曜日

雨の土曜日に

 日本海に強い低気圧。黒鶏舎が水浸しで応急修理をする。
 低気圧は強まりながらオホーツク海へと向かっている。午後3時。気圧は980hPに近づいている。風は弱くなってきたが雨が強まっている。前線が近づいているのだろう。

 否応なく「最後の授業」が近づいて来る。生物教師として迎える最後の授業は、何かもっともらしいことをしゃべるのではなく、実験を行って終わりたい、と考えている。そこでハンターさんたちにエゾシカの腎臓を少し分けてもらえるように頼もうと思っている。腎臓に墨汁を流し込んで血液や尿の流れを実際に観察するのだ。
 ところがこの天候で、明日のエゾシカ密度調整が実施できるかどうかわからない。そのような場合に備えて講義の準備もしておかなければならない。

 講義は、シェーンハイマーのことを話そうかと考えている。
 1938年、ルドルフ・シェーンハイマーは、「生命活動は原子の緩やかな流れと淀みである」ということを安定同位体を使って証明してみせた。つまり、生物体を構成している物質は、休むことなく体外から取り入れられる新たな原子と入れ替わっていて、例えば僕の鼻の頭の皮を作っている原子は、昨日と今日では異なっている、ということだ。同じタンパク質の同じ「炭素」という原子だから、普通は区別できないが、シェーンハイマーは区別できる原子を使うことでこれを証明してみせたのだ。
 このことは、普通の新陳代謝とは別のことで、先祖伝来で身体の奥深くに厳重に保管されている遺伝子(DNA)でさえ、この「原子の入れ替わり」が起きているというのだ。  これで、「食」にこだわり、「食」を考えている人々たちの主張は正しいとわかった。なにしろ体外から取り入れられる原子はほとんどが食物に由来しているのだから。シェーンハイマーは、今まで何となく食べること、食べる物と生命現象との関係の大切さを感じてきた人々に、力強い科学的根拠を提供したのである。70年も前の研究に現代の科学がひれ伏している、と言ったら言い過ぎだろうか。
  「生命現象は物質(原子)の緩やかな流れと淀みである」という考え方は、いろいろなことを連想させる。「生きている」ということをわれわれは、普通、直感的に意識する。どんなに精巧に作られたロボットでも、一見して生物ではない、と判断できるだろう。まあ、中には曖昧なものもあるかも知れないが。

確かに、生物を個体→細胞→分子→原子とどんどん小さな単位に細分化していくと「現象」としての生命が見えなくなってしまうような気がしていた。もちろん、生命を「神秘的」という古い容器に戻して閉じこめようとは思わない。けれども、一つの機械のようにみなし、部品交換や燃料補給だけで生き続けさせることのできるものでもない、ということもわかってきたのではないだろうか。
 言い古されているけれど、やっぱり生命は機械ではないのだ。

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