2009年3月22日日曜日

札幌で

 午後から天候悪化とのことで、早々に帰路に就きたいが、少々の買い物もあり出発は昼前後になるだろう。やむを得ない。
 あさ、魂込め(まぶいごめ)…目取真俊(めとりましゅん)を読む。

 公立高校の合格者発表も終わり、街には「○○高校全員合格」などと誇らしげ書かれた塾の看板をよく見る。こうやって新年度の生徒を募集しているのだろう。
 塾の講師陣を派手に宣伝している所も少なくない。「××大学卒業」と名の通った国立大学、いわゆる偏差値の高い大学の卒業者が講師として誇らしげに紹介されている。だが、どうしてもこの手のコマーシャルに違和感を感じる。

 大学に入るのは何のためだろう。それは、学問に打ち込み真理を探究するためではないのだろうか。高い収入をえるとか立身出世が目的なのだろうか。確かに結果としてこのような現実があることは理解できるし、妥当な面もあると思う。
 だが、断じて学問は自己実現への手段であって目的ではない。どのような自己実現を求めるかは、一人一人のモラリティや品性、品格に属する問題だとしても、高校や大学に入ることを自己目的化してしまうこと、公然とそれをうたいあげ、全く恥じない態度に違和感を感じるのだ。
 一流の大学に合格し、一流の学者から学問を学んだ人たちがこうした塾の講師として堂々と紹介されている現実は、どこかおかしいと思うのだが。

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