2009年5月31日日曜日

サクラの花を思う

 五月が終わる。
 リラ冷えを予感させる寒い一日だった。自分のためではなくネコたちのために暖房を使った。昨日は、久々に網走管内に足を伸ばし、カッコウの声を聞いてきた。根室管内に戻ってみるとウメがまだ咲き残っている。リンゴの花は咲こうか咲くまいかまだ逡巡しているようだ。サクラは、一応花の時期を終えたが、まだ余韻が残っているようだ。

 サクラを思うと、薄田泣菫の「桜の花」というエッセイを思い出す。江戸時代の画家、小島老鉄の話である。

 抜粋して引用:
 むかし徳川の末、たしか弘化の頃であつたと思ひます。名古屋に山本梅逸の弟子で、小島老鉄といつた画家がありました。古寺の閻魔堂のかたはらに、掘立小屋のやうな小やかな庵を結んで、乞食にも劣つた貧しい生活のなかにも、蘭の花のやうな清く高い心持を楽んでゐました。ある冬の事、あまりの寒さつづきに、小屋掛の身はどんなに凌ぎ難からうと、親切にもわざわざ炭三俵を送つてよこした友達がありました。老鉄はそれを見ると大層喜びました。
「折角の志ぢや。火をおこしてすぐに煖まるとせう。」
 といつて、いきなりそれに火をつけて、三俵とも一度に火にしてしまひました。そして尻を煖めながら、
「ああ煖かい、いい気持ぢや。久し振で今日は大尽になつたやうな気がするて。」
 といつて、いい気になつてゐたといふ事であります。
 炭を送つてよこした友達の心では、冬中の寒さはこれだけあつたら凌ぎおほせるだらうと位に考へてゐたらしいのです。また普通の人ならばきつとさうしただらうと思はれます。だが、老鉄はそんな真似をしないで、三俵一度に火にしてしまひました。つまりこれまでの貧乏暮しのやうに、ちびりちびり火をおこしたところで、三俵の炭はやつと六十日を持ちこたへるに過ぎますまい。それでは唯平凡な日の連続に過ぎません。それよりかも、折角到来の炭です。残りの五十九日はよし寒さに顫へてゐようとも、その五十九日にも更へ難い程の一日を味つてみたいといふのが、画家老鉄のその日の思ひ立ちではありますまいか。彼が尻を煖めながら、いい気持になつて、
「まるで大尽になつたやうな気がする。」
 といつたのは、実際言葉どほりに生活の跳飛であり、経験の躍進であり、更にまた新しい心持の世界の新発見でありました。
 桜の花の気持は、画家老鉄のやうな態度を持つた人で、初めてよく味はれますし、老鉄の抱いてゐたやうな心持は、この花の姿でおもしろく表現出来てゐると思ひます。

 これは、文章の後半で、前半では、
サクラの花は、「一夜のうちに咲き揃つて、多くの植物にみられいような蕾から花への発展」というような順を踏んで開花するのではなく、「すばらしい跳躍」がある、と指摘している。そして、その跳躍は、桜の開花すること自体が「生命の昂揚であり、燃焼であり」「他の花から見て、若き日の徒費であらうと、少しも構はない」
と桜の花の心を想像してみせている。

 書かれている内容はともかく、このエッセイが春先から何となく気になっていたが、きょう、ゆっくりと読み込むことができた。短い文だが非常に重い内容を含んでいる。重い内容だからこそ、一度、どこかで読んだ内容がずっと心に残っていたのだろう。

2009年5月30日土曜日

紋別市沖海鳥調査






 朝、6時集合だったから前日、ウトロでの会議プラス懇親会の予定をこなしてから行くのは、ちょっと抵抗を感じた。

 しかし、宴会を一次会で切り上げ、ホテルの部屋に戻ってベッドに入ったは9時。午前2時30分にセットしたアラームで目覚め(本当はその前に目が覚めた)3時少し前にホテルを出る。まだ暗かったが少し走るうちに徐々に明るくなってきた。
 この朝の空気に中を走っていると、
「よし、紋別まで走るぞ」という気持ちが高まってくる。夜明けは気持ちが良い。特に、今頃の季節は。
 朝陽は北浜の海岸を走っているとき、水平線から顔を出した。さらに走り続け、紋別市内に入ったのは5時。予想以上に早く着いた。コンビニを探して朝食とお昼用の予備食を買い、集合場所のガリンコステーションへ。荷物と服装を整えて待った。
 能取湖から常呂付近までは晴天だったのだが、浜佐呂間を過ぎた辺りから濃い霧がたちこめいて、紋別市内も霧の中。海も当然霧。「霧の魔女の呪い」はまだ続いているのか、というイヤ感じを覚えた。

 やがて20名あまりの人々が集まってきて、ガリンコ号は7時に出航した。実は、この船に乗るのは初めてだった。流氷観光で有名なのだが、紋別まではなかなか遠く、冬にここまで来る、というのはちょっと気合いが要る。そんなわけで、気になる存在ではあったけれど、乗る機会がなかった。思いがけない形で乗船させてもらえるとは、うれしい限りだ。
 参加者は「調査する人」と「単にバードウォッチングする人」に分かれているらしかった。「調査の人」はさらに二班に分けられる。右舷の班と左舷の班だ。ガリンコ号は幅が広く、調査ブリッジの両側のデッキで観察することになるため、両舷のコミュニケーションがほとんどとれない。したがって、完全に二つの班に分かれることが必要だ。海鳥の識別にあまり自信のない僕は記録係を志願した。
 船は、定刻に出航したが、霧が深く、紋別港外に出たことすら船長さんに教えてもらって初めてわかったほどだ。
 港内の堤防にオジロワシが一羽とまっていた。さっそく記録。

 航路は次の通りだ。海岸線から1マイルの距離をたもって、コムケ湖の湖口まで進む。そこで左へ90度進路を変えて海岸線から直角に8マイル進む。その地点から反転し、紋別港へ直接戻ってくるのである。つまり直角三角形の縁を進むことになる。
 速力は10ノット。ガリンコ号は、舳先に巨大な砕氷用のドリルを二本も抱えていて水の抵抗を強く受けそうな船形でありながら意外に速い。昔、北極海で乗ったロシアの動力付き艀(はしけ)なんかよりはるかに軽快に素早く動く。日本の技術力はこんな所にもいかんなく発揮されている、と感心した。

 コムケ湖湖口から沖に向かい始めて2マイルくらい進んだだろうか。突然、霧が晴れてきた。そして、その時に合わせたように行く手におびただしい数の鳥群れが現れた。根室海峡でもなじみ深いハシボソミズナギドリだ。この時の群れは推定で1万超。周辺にも同じような群れがいるだろうからこの海域だけで数万のハシボソミズナギドリがいることになる。目の前にいるその大群は、さかんに餌を採っている。想像を絶する量のオキアミがいるのだろう。中には、腹がはち切れそうにふくらみ、満足に飛び立てないような個体もいる。

 こんな海にはミンククジラがきていることが多いんだよなあ、と考えていると400mくらい遠くで白い波がピカリと光った。瞬間であったが、クジラがダイビングしたときの波だ、と感じた。隣にいた識別担当のCさんも同じように感じたらしい。この時点で、僕たち二人はミンククジラの存在を確信した。
 案の定その数分後、根室海峡で見慣れた鍵型の小さな背びれをしたミンククジラが数頭現れたではないか。

 実に久々に間近で見るクジラの姿だった。ガリンコ号はしばらくそこに留まり、乗客は皆、クジラの姿を堪能できた。

 人間とはゲンキンなものだ。今日の参加をあれほど逡巡してことなどすっかり忘れて、クホクしながら船を下りる僕自身を見ていて、つくづくそう考えた。

 ◎確認した種(個人用野張写し)◎
オオセグロカモメ、ウミネコ、ウトウ、ケイマフリ、ウミウ、ヒメウ、アビ、ハシジロアビ、ウミスズメsp、アカエリヒレアシシギ、フルマカモメ(褐色型、白色型)、ウミアイサ、ハシボソミズナギドリ、オジロワシ、トビ、キセキレイ、ハシブトガラス

2009年5月29日金曜日

非定住型の生活

一日曇り
 珍しく一日中教育委員会でデスクワーク。
 夕方から知床財団評議員会
 その後、ウトロに一泊し、明朝6時までに紋別港へ。
 紋別沖海鳥調査。
 久々に懐かしい顔に会えそうだが、長距離の移動になる。
 つくづく、自分は定住型の人間ではない、と感じる今日この頃だ。

非定住型の生活

一日曇り
 珍しく一日中教育委員会でデスクワーク。
 夕方から知床財団評議員会
 その後、ウトロに一泊し、明朝6時までに紋別港へ。
 紋別沖海鳥調査。
 久々に懐かしい顔に会えそうだが、長距離の移動になる。
 つくづく、自分は定住型の人間ではない、と感じる今日この頃だ。

2009年5月28日木曜日

セイヨウオオマルハナバチバスターズへの危惧



 今朝、ニワトリに餌を運んでいるとき、一頭のマルハナバチが飛び回っていた。明らかにセイヨウオオマルハナバチと違う種類なのだがよく見ると腹部末端(要するに「お尻」に見える部分)が白色なのだ。捕獲して調べてみるとアカマルハナバチの女王だった。このハチは腹部の最末端節だけが白い点、「白い」といっても黒い地肌が目立つほど体毛の密度が高くない点、などの特徴でセイヨウとは容易に区別がつく。
 だが、区別がつけられるのは昆虫の識別にある程度習熟した人ではないだろうか、とふと考えた。
 昼、ビジターセンターでこのことを話し合ったが、実際にアカマルハナバチを「お尻が白いから」セイヨウオオマルハナバチかと思った」という誤捕獲の事例もあったようだ。 慣れてしまえば識別は簡単なのだが、今まで昆虫との付き合いが薄かった人々にとっては、昆虫の特徴を読み取るときのコツを飲み込むまで一定の時間がかかると思われる。万が一、そのような状態のまま「セイヨウオオマルハナバチ バスターズ」などという腕章を着けて網を振り回したとしたら、恐ろしいことになってしまう。この活動に僕が感じる危惧の一つがここにある。
 もちろん、これを機会に昆虫の世界に親しんで、関心をもってくれる人が少しでも増えればそれは望ましいことだ。これまでの「虫好き」は、やたらに標本を集めたがるコレクターや、カブトムシやクワガタなど一部の「カッコイイ」虫にしか興味を持たない人が多かった。ナチュラリストとしての虫好き、つまり「虫めずる姫君」や「むしめずるおの子」がもっともっと出現してほしいものであるから。

2009年5月26日火曜日

危険な国

 根室沖にしつこく張り付いていた低気圧もやっと立ち去り、天気はいくぶん回復に向かい始めた。気温もやや上昇しはじめた。ことに、夕方になってから、風もおさまり、波も静かになってきた。
 それでも、知床峠は、雪のため終日通行止めだった。

 オオバナノエンレイソウが咲き始めている。この時期の季節の歩みは、どんどん進んでいく。進む季節を眺めていると、自分だけが取り残されるような気持ちになる。移り変わる季節とは無関係に人間社会では、○○会議とか××大会だとかいう行事がぎっしりと続いている。
  もう少し、浮き世の用件を整理して、自然界に目を向けてほしいものだが、現代ではこのような願いは「変わり者のタワゴト」として無視される。そうしなければ出世や金儲けの行列に加わることができない。
 いま、学校の現場では、このような環境で育ってきた人間たちが教師をやっている。そのような者たちは、自分と同じ価値観しか再生産できないから、ニンゲンはますます自然から切り離されていくのだろう。

 だが、こんな方向へ猛進する国は、危ない。もう、救いようのない点まで到達しているのかもしれない。

2009年5月25日月曜日

セイヨウオオマルハナバチ駆除活動への疑問

 このハチは1980年代にベルギーで増殖技術が確立したと言われている。農薬と同じ位置づけである。それが日本に紹介されたのは1991年、ハウス栽培の省力化、コスト削減への有用性が認められ、翌1992年には本格的な導入が始まった。当然、農水省あたりが音頭をとってたに違いない。しかし、同時に環境への影響を心配する意見もあったようだ。
 つまりは、このハチによって利益を得た法人や個人が多くいるはずである。
                                                            
 いま、環境の面からこのハチが問題にされ、駆除に多くの労力と予算が使われている。労力の方はボランティアであり、それを組織し支援したり啓発を行うために少なからぬ税金が使われている。

 このハチによって利益を得た企業や個人は、その一部を環境の正常化活動に還元すべきだ。環境の保護を個人の善意によるボランティアに頼る構造はおかしい。
 実際、春先の捕獲駆除活動を自分で行ってみて、大変な時間と手間がかかることを実感した。それらは、全くの無償で行わなければならないのだ。
 このハチで大儲けした人々と、その尻ぬぐいを無償で行っている自分とのギャップを考えてしまう材料のひとつである。

2009年5月24日日曜日

避客牌


 昔、「三国志」を読んだとき、よく「避客牌」というものがよく出てきた。避客牌(「ひかくはい」と読むのだろうか)、とは、その屋敷の主がすべての客を断る時、門を閉じてかけておくものだそうだ。

 一週間、あちこちと走り回り、昨日は極めつけのような長距離移動をした反動だろうか。今日は誰にも会いたくなかったので、ちょっと買い物と髪のカットに行った以外は一日家で過ごした。
 「イーストサイド21号」の「幻想四季」の原稿も書いた。こんな一日も今の僕には貴重なのだ。
 幻想四季には、セイヨウオオマルハナバチのことを書くことにした。

2009年5月23日土曜日

旅のような毎日…旅の途中

羅臼経由で斜里へ。
 斜里から根室へ。
 そして別海へ。

 なんて、なんて長距離を走ったのだろう。まるで旅行しているみたいな一日だった。
 しかし、そんな「旅」をどこかで楽しんでいる自分がいる。確かに楽しんでいる。

 本日よりアルクティカ、修理のため工場入り。どうやら修理の目処がたったのでよかった。

多忙な一日

5月22日(金) の分
夜、やっと時間ができた。
今日は、別海町の文化財保護審議会があり、奥行臼(おくゆきうす)の駅逓跡を見学した。

2009年5月21日木曜日

小学校へ「デビュー」

 「自然環境専門指導員」というイカメシイ肩書きが付くようになって、今日はその初仕事であった。町内の小学校の授業の手伝いに出かけて。昨年度に引き続き高等学校の授業は、いまだに行っているが、小学校への「デビュー」の日となったのである。もちろん自然観察の授業。校地の中だけの限られた範囲だが、カツラの幼木があったりミミコウモリがあったりとよく見ると色々な植物が見られる。小学生相手だからいたずらに種類だけを増やしても意味がない。自然を観察する基本的な姿勢と感動する心が伝わればいい。
 3時間目に3年生、4時間目に4年生を対象に行った。小学生は、ストレートに自分の考えをぶつけてくるので、接してみると面白い。また、自分の興味や関心を隠さずに表現する。面白くなければすぐに別の方向に関心を向ける。義理で話を聞く、などということは絶対にない。その意味では、彼らへの授業は、教師としての力量が掛け値なしに試される。厳しいが、面白い。ただし体力勝負だ、と思った。
 それにしても、感動したことや感心したことを素直に表現してくる児童たちは、本当にかわいらしかった。もた、是非行ってみたい、と思った。

 同時にちょっと気になることもあった。それは、彼らにとって初めて知る虫や花の名前を伝えると、必ず次ぎに「それは毒じゃない?」との質問が返ってくることだ。例えば、

「これはナミテントウだよ」
「ふーん、これ毒ないの?」

「この花はツボスミレっていうんだよ」
「へええ。毒じゃないの?」という具合だ。

 彼らにとって、自然界は毒虫とウイルスとバクテリアに満ちた危険で怖い所、というイメージが先行している。刷り込まれている、とも言えるだろうか。
 これは、もちろん彼らの責任ではない。周りの大人たちの責任である。自然と人間は、現代社会ではこれほどまでに乖離(かいり)させられているのだろうか。このことを考えると、自分の非力さが恨めしく思われた。

2009年5月20日水曜日

つかの間の初夏

 今日は風も弱く気温も高く、初夏を思わせるような天候だった。当然、羅臼までオートバイで行った。梅雨前線が沖縄付近にあり、北海道の北側に低気圧があるので、南の風が入っているようだ。
 2004年の今日は気温7℃と記録してある。道東地方は、もうそろそろ霧の季節を迎え、低温の日がつづくことになる。その直前、つかの間の初夏、というところだろうか。明日、小学校で自然観察の授業を計画している。どうやらこの天候は明日までは保てそうだ。
 小学校で明日の下見をしている時、セイヨウオオマルハナバチを二頭捕獲した。黄色いマフラーに白パンツのオシャレなハチなのだが、短期間にこれほど生息地を拡大させていることが、在来の自然環境のバランスを崩すことを予感させて怖い。
 夜は、晴天のせいもあり、けっこう冷え込んだ。

2009年5月19日火曜日

「時」と競走する



 久しぶりにバイクで羅臼まで。
  バイクで走っていると「時」と競走しているような気持ちになる。デジタルの時計の下に走行距離計の数字が並んでいるからだろうか。
   時刻17:27 走行距離12226km
 「もうすぐ追いつく」と思えてくる。
      時刻17:29 走行距離12229km
 「追いついた!!」
      時刻17:31 走行距離12232km
  「やった!追い越した!」

 バカなヤツだと思われるでしょうね。きっと。
 カッコよくバイクをかっ飛ばしているように見えるでしょうが、案外くだらないことを考えているものなのです。

  でも、こうやって走っているといつか「現在」を追い越して、過去へ遡れるのではないかと、考えてしまう。相対性理論を無視してだから、やっぱり愚かな考えである。

スロットルもっと開きて過去へ遡り、もう一度会いたい人を数える

今日の夕食はおでん:コゴミをたくさん頂いたから。
そしてスクガラス豆腐:沖縄の梅雨入りを記念して。

2009年5月18日月曜日

アルクティカ受難

 АРКТИКА(アルクティカ)が破損した。
 土曜日の夕方だった。羅臼から別海に向かう途中、国道を走っていると左側からシカが飛び出してきて進路を横切った。もう、止まる余裕はない。飛び出したシカはそのまま道路を渡りきるか、と思った。しかし、なんと中央線付近で急に歩みを止めるではないか。大きな雄のシカだ。
 このままではお尻にぶつかってしまう。ブレーキを踏みつつ左側に舵を切って避けようとした。この時点で道路の端をからくもかわせるか、と考えた瞬間、ガガッと音がして車体左側面をガードロープとその支柱が擦っていた。
 衝撃やハンドルのブレなどは何も感じない。エンジン音も異常がない。走ること自体には何ら影響はない。だが、車を止めて左側面を見ると見事な一直線で左のフェンダーからドア、後部フェンダーまでがえぐられている。特に助手席ドアの破損が激しく、ドアノブが破損したので外側から開くことができなくなった。ドアとしての機能に問題はないようだが。あ~あ。

 でも、シカを傷つけることはなかった。
 路外転落などにもならなかった。
 この程度で済んだことを感謝するべきかも知れない。

 それにしても、シカ、恐るべし。

2009年5月17日日曜日

サクラが咲いた





 昨日、新型インフルエンザの感染者が神戸で発生。大騒ぎになっている。
 一週間の臨時休校はちょっと羨ましいなあ。
 マスクを求めてパニックが起きている。マスクは自分の飛沫が飛ぶのを抑える効果はあるが、空気中を漂うウイルスを防ぐ効果は小さいのじゃないかなあ?
 日本人は、病気に関しては冷静になれないようだ。

 サクラが咲いた。
 この地に引っ越してくるよりずっと前からここにあるエゾヤマザクラの古木だ。もう、堂々たる風格が漂っている。厳しい環境にさらされながら毎年見事に花を咲かせてくれる。

 牧草地のサクラは二本あって、奥にある方も見に行った。その時、オジロワシがサクラの上を飛んでいた。呆然と見とれていると、今度はタンチョウが一羽飛んでサクラの上を横切った。何ということだ、と思った。
 まあ、どちらも花札には無い組み合わせだけれど。

2009年5月16日土曜日

セイヨウオオマルハナバチ捕獲 その3

 午前中誠諦寺でセイヨウ捕獲、6頭捕獲。昨日と合わせて9頭。すべて女王だった。捕り逃がした個体3頭。そうとうな数のセイヨウオオマルハナバチが飛び回っているようだ。
 午後から気温が15℃を超えた。そのせいか、エゾオオマルハナバチが急激に増えて、「セイヨウ」の目撃自体がほとんどなくなった。

 午後、別海へ移動し標本を作る予定だ。

2009年5月15日金曜日

足湯




 本日午後から羅臼町内誠締寺(じょうたいじ)境内のエゾヤマザクラでマルハナバチを採集した。捕獲数は8頭。そのうち3頭がセイヨウオオマルハナバチだった。いずれも女王だ。他に、網に入れたが逃がしたセイヨウが2頭あり、接触したマルハナバチ10頭中5頭がセイヨウだったことになる。
 残りはエゾオオマルハナバチ3頭、ナガマルハナバチ2頭だった。逃がした2頭は未確認だが、女王である可能性はきわめて高い。一カ所でこれだけの数の女王が確認されたとすれば、生息率は、急速に高まっている、といえるかも知れない。

 羅臼の我が家のすぐそばで、なにやら工事が始まった。
 聞いてみると足湯が出来るらしい。そういえば、我が家の並びには温泉旅館があって、泉源はあるのだろう。夕方、帰宅してみるとデーンと舟が一隻据え付けられている。これが浴槽になるのだろうなあ。
 完成したら、いつでも足湯に入れる。素晴らしいことだ。

2009年5月14日木曜日

セイヨウオオマルハナバチ


 二つ玉低気圧が寒気を呼び込み、午後から気温が急速に低下。
 午前中の気温は、ほぼ平年並みだったのだろう。授業で学校を出て海岸に沿って町を歩き、お寺に着いた時は五分咲きのエゾヤマザクラにハチが群がっている、のどかな情景がそこにあった。

 よく見るとセイヨウオオマルハナバチだった。日本には分布していないハチだ。ハウス栽培のトマトなどの受粉のためにヨーロッパから導入された。ところがハウスから逃げ出した女王が繁殖して今は、北海道中に広がって問題になっている。同じニッチェ(生態的地位)にいる在来の他のマルハナバチの生存を危うくしている。

  6月にこのハチについてのレクチャーを頼まれているので、捕獲したり写真を撮ったりしようと思った。しかし、その時は、生徒を連れて授業をしていたので、その場は一旦引きあげ、昼食後に出直すことにした。
 一時間後、網を持ってその現場に向かった。ところが、あれほどたくさんサクラに群がっていたハチが一頭もいない。お寺の境内はシンとしている。そういえばさっきより肌寒い。あらためて温度計を見ると9.7℃。虫が活動できる気温ではない。たった一時間の間にガラリと変わるのが虫の世界だ。
 「いくら張り切っても、自然のルールにはかなわないよ」という声がどこからか聞こえてくるような午後だった。

2009年5月13日水曜日

タラの芽



 授業で近くの山を歩いて、タラの芽を少し採った。
 さっそく夕食のおかずに天ぷら。
 シアワセ。

2009年5月12日火曜日

今夜はサクラマス







 久しぶりで羅臼で夕食を摂ることにした。道の駅「海鮮工房」をのぞいてみる。久々に刺身でも、と思ったのだ。するとサクラマスが目に付いた。一尾700円。刺身の予定を変更して購入。
 温泉から帰ってから身をおろす。シロザケよりはるかに小さいが脂がのっていかにも美味しそうだ。紅色の身が鮮やかだ。
 半身は薄く塩をふって素焼きに。半身はムニエルに。ほぼ5分の1を食べて満腹。
 一尾700円、1食一人前140円。なんと安いことだろう!!

2009年5月11日月曜日

「コンカツ」批判 その後

 コンカツを揶揄する文を書いた。読んだ人で不愉快に感じた人がいたかも知れない。挑発的に書いたつもりだったから。
 コメントとしては、そのような批判は寄せられなかったけれど、ある妙齢の女性から、
「私も、結婚を考えているのだけれど男性と出会う機会がなかなかないので、真剣にコンカツしようと思っていました。」と言われた。
 だから、あのように批判されるのは不愉快です」とまでは言わなかったけれど、言外にそんな思いが滲んでいた。
 僕があれを書いた本意を理解してくれた上のことだったと思う。

 多くの人が、人生のある時期に(人によってまちまちだろうが)結婚を考えるものだろう。それは自然なことだ。だから結婚相手を探す活動を行うことは、何も不自然なことではない。どう考えても共感できないのは、次の(1)~(3)のような現象がみられるからだ。
(1)「世間的な一般論」で結婚の適齢というものが作られ、その年齢に近づいた人が、年齢を理由に結婚しなければならない、という考えを持ち始めること。
(2)マスコミやマスコミにすぐ乗せられる層の人々が、(1)の理由を増幅させて結婚相手を探す活動に「コンカツ」というラベルを貼って煽り、騒ぎ立てること。
(3)「コンカツ」に走る人々も、「結婚の条件」なるものを前面に出して、まるで就職先を探すかのように結婚相手を見つけようとする態度および行動に出ること。

 こんな不自然でつまらない観点と態度で相手を探そうとする態度を揶揄したわけなのである。
 自分の人生を誠実に生き、共に生きるパートナーを真面目に探し、自分の夢に向かって進んでいる人を冷やかしたものでは断じてないのでありますね。

2009年5月10日日曜日

ひとりの歌い手について

 あるシャンソン酒場で井芹悠(いせりはるか)さんという歌い手の歌を聴く機会があった。
「シャンソン歌手」ということだが、シャンソンばかりを歌うわけではない、カンツォーネもタンゴも歌う、と本人は言っていた。この時も、シャンソンばかりではなく、カンツォーネや「リリー・マルレーン」などの有名な曲を歌ってくれた。
 ステージで次の歌を紹介する時は、小声で控えめに、ただし歯切れ良く話すのだが、ひとたび歌い始めると周囲を圧倒するほどの声を発する。
 数曲歌い終わってから、テーブルに来てくれて、初対面だったにも関わらず自分の生まれや歌手になった経緯について詳しく話してくれた。小さな酒場で歌う歌い手は、歌だけ歌っていればよいというものでもないらしい。普通に話す時も、声はあくまでも小さく控えめな話し方だった。
 しかし、その抑制の効いた話の土台になみなみならない激しい生き方が潜んでいるのではないかなあ、と想像してしまった。だって、シャンソンなんて、大人の歌だと思っているから。波瀾万丈の生き方をし、人間的に円熟した大人の歌、という感じがする。だから、そんな歌を歌うのにピッタリの人だと感じた。

 折しも、この日の朝日新聞の記事に中根東里(なかねとうり)のことを書いていた
人がいた。記事の見出しには、この江戸時代の儒者の言葉がそのまま使われていた。
「出る月を待つべし 散る花を追うことなかれ」

2009年5月9日土曜日

「コンカツ」を嗤う

 「コンカツ」というから何のことかと思った。キツネの肉のカツレツか?じゃ、タヌキもあるかな?「ポンカツ」だな。
 スズメのカツレツなら「チュンカツ」もあるかな。ウマのカツレツは「バカツ」かぁ。

 まさか、就職活動=「就活」と同列の結婚活動だとは思い至らなかった。なぜなら結婚と就職は別次元。片方は社会環境の中における自分のニッチェ(地位)を確立するための活動だし、片方は自分の恋愛観とか価値観、人生観に関わるごく個人的な事情から発生するものだから、公に「活動」するようなもんだではない、とカタクナに信じていたものだから。
 それらが同列に論じられ、「似たようなカテゴリー」に帰属させられているとは。

 そして、最近では親が熱心に活動しているらしい。就職にも結婚にもね。
 この国のニンゲンは、このようにして生きていく力をどんどん失って、そのうちに妊娠出産のための活動=「ニンカツ」とか、家庭教育をして子育てをキチンとするための活動=「キョ-カツ」、病気を治療するための活動=「ビョーカツ」、正しい葬式の準備をする活動=「ソーカツ」というふうに、誰かに頼って生活していくことが当たり前になっていくかも知れない。

 自分を失ったニンゲンとはコワイものだなあ、とつくづく思った。

2009年5月8日金曜日

その先にあるもの

 その先に何があるのか。
 「進路指導」の様子を見ていてしばしば思ったものだ。

 「夢を持て」と言う。特に若者に。
 夢を持ってそれに向けて努力していけば必ずかなう、と言い聞かせる。本当だろうか?かなうような夢は、本当に「夢」と言い切ってよいのか?僕たち「大人」は、そう言い聞かせて若者たちを飼い馴らしているだけではないのか。
 「夢」にもいろいろあるだろう。
 かつて、「大学に進み、研究者になりたい」という生徒がいた。
 「公務員にりたい」という夢を持った生徒がいた。
 「大会社に入って出世し、金持ちになりたい」という生徒がいた。
 「強いサッカー選手になりたい」という生徒もいた。

 本当は、その先に本当の夢がありはしないか。
 何を研究し、その成果をどう生かしたいのか。
 公務員になって、この日本をどうしたいのか。
 お金持ちになって、お金をどう使いたいのか。
 サッカー選手として、身体を鍛えて何をしたいのか。
  結局、どういう生き方をするのかを見通すことが大切なのではないだろうか。
 それが夢だ。
 「何になるか」はその手段にすぎない。
 学校の現場では、キャリア教育に力が入れられている。だが、現在行われているキャリア教育で、生の意味と目的が真剣に論じられているだろうか。多くは、@¥「自己実現」などという曖昧な一言でお茶を濁し、「実社会」に適応するノウハウを伝授し、希望する進路を実現することに生徒のエネルギーを振り向けていくことが主体となっているのではないだろうか。
 人生の目的や人間愛、社会の不正を暴き糾弾する力をつけてやること、そこまで見据えていなければ「教育」を標榜できない。

2009年5月6日水曜日

本日の行程


本日の行程
0515 旭川
0700 遠軽で給油と軽食
0820 美幌峠弟子屈側 7合目付近で小休憩
屈斜路湖は雲海の下で眠っていた。
0945 本別海着

2009年5月5日火曜日

自由のマシンで


 バイクで旅している。まあ、「旅」と言うほどの旅ではなく、ちょっと距離の長いツーリング程度なのだが。

 四輪車とは全く異なる次元を走っている感覚が楽しい。
 注意深く運転するにしても、ゆっくり走っている四輪を追い越すのは難しくない。北海道の道路であれば、ほぼ自分の思ったとおりのペースで走ることが出来る。連休で道路が混雑している時には、このことがしみじみとありがたく感じられる。四輪で走っていると、どうしても「もっとも遅い車」のペースに合わせなければならないからね。そして、道路には、さまざまの事情を抱えた人や車たちが走っている。高齢の人、病気がちの人、調子の悪い車、ちょっとそこまでしか行かない人などなど。
 二輪車は、他の車のペースにピタリと合わせる必要は、あまりない。
 「自由のマシン」とは、よく言ったものだ、と思う。

 反対に制約も多い。
 まず、持てる荷物の量。旅に必要な(と思われる)物でもすべて持ち歩く,という訳にはいかない。写真の二つのバッグが今の僕の携行品の全てである。これ以上は持てない。携行品を厳選しなければならない。このことは、頭を使う。楽しいことでもあるが。
 
 次ぎに天候。
 全天候型のウエアを着ていてもやはり雨は嫌なものだ。

 しかし、これらの不自由さも、冒頭に書いた快適さと比べれば、ほとんど気にならない。特に、天候に合わせて予定を変える、というのも昔の船の「風待ち」のようで良いではないか。
 やっぱり「自由のマシン」なのである。

2009年5月4日月曜日

来ないで下さい!知床に


 羅臼から知床峠を通った。4月28日開通予定だったものが、吹雪に見舞われ、一昨日5月2日に開通がずれ込んだ。
 連休の中日ということもあって峠の混雑はひどいものだった。これほどたくさんの人たちが、何の用で集まってきているのかと、つい思ってしまう。もちろん中には、明白な理由と目的をもって訪れている人もいるとは思う。しかし、道の駅に立ち寄った時、
「けっきょく何にも無いよなぁ」という声も上がっているのを聞いた。
「だったらわざわざ来るなよ」と言ってやりたくたくなる。日本の政治のことを考えているのかいないのかわからないが、無責任な投票行動で無責任な政治家を選び出し、自分たちの住んでいる場所の自然を蹂躙しておきながら「自然を求めて」休日には知床に殺到してくる姿が浮き彫りになってしまう。
 観光地だから都会の人間の便宜をはかって当然、といったような態度で闊歩する傲慢な姿を見ていると、本当の意味での「観光」とはなんだろう、と疑問を感じてしまった、峠の渋滞でありました。

2009年5月3日日曜日

ウメが咲きました




 ウメが咲いた。
 と言っても、室内に挿しておいた剪定した枝だが。
 それでも、嬉しいものだ。どこか心が浮き立つ。

2009年5月2日土曜日

最近感じる素朴な疑問

  バイクを洗い、車の小整備をし、午後からちょっと買い物に出かけてゆったりと過ごした。知床岬でのシカ撃ち、羅臼高校での授業、連続した会議などで少々疲れ気味の心と身体にとっては、いい休日となった。

 五月の予定を整理してみた。五月も予定が詰め込まれている。忙しい、ということは、あちらこちらから当てにされている、ということだろう。それは、本来ありがたいことだ。


 最近、気になっていることがある。ブログへのコメントやトラックバックがたまに寄せられるのだが、それらのうち、いくつかは全く無関係な内容で、特に成人向きのもので、実に不快きわまりない内容のものがある。楽天のブログがとくに甚だしい。インターネットの世界だから、そのような不埒な輩が跋扈しているのも仕方ないのかも知れないが、ブログの場を提供している側は、もう少しそれを防ぐ努力が出来ないものなのだろうか、と考えてしまう。
 もちろん、一番悪いのは、モラルも何も無く、顔が見えなければ何でもやってしまうという卑怯な者たちに違いない。だが、大きな利益を上げているプロバイダーにも、ウェブの秩序を保っていく責任があるのではないだろうか。

 最近感じる素朴な疑問のひとつである。 

2009年5月1日金曜日

「システム」となることの問題点

 本日もバイクで通勤。
 弱い気圧の谷の通過で一時天候が崩れかけたがすぐに回復した。

 知床峠、明日10時に開通予定。
 羅臼でアオジ初鳴き。
 授業で、シラカバ樹液を生徒に採取させた。あるグループは一昼夜で1リットル以上も集めた。

 昨日の採取のための装置を取り付けた。ところが,今日はそれを回収する時間が取れない。やむなく教員たちの手で回収した。
 本当なら装置の取り付け、回収、樹液の処理など一連の作業を体験させたいのだが、「学校」というシステムに組み込まれた「授業」という枠の中にそれを納めるのは困難だ。もっとゆったりとした教育が行えないものだろうか。口先ばかりで「環境教育の重要性」などと叫んでも、所詮お題目に過ぎない。
 学校教育のシステムそのものが疲弊し病んでいる、と言うべきか。