2009年5月1日金曜日

「システム」となることの問題点

 本日もバイクで通勤。
 弱い気圧の谷の通過で一時天候が崩れかけたがすぐに回復した。

 知床峠、明日10時に開通予定。
 羅臼でアオジ初鳴き。
 授業で、シラカバ樹液を生徒に採取させた。あるグループは一昼夜で1リットル以上も集めた。

 昨日の採取のための装置を取り付けた。ところが,今日はそれを回収する時間が取れない。やむなく教員たちの手で回収した。
 本当なら装置の取り付け、回収、樹液の処理など一連の作業を体験させたいのだが、「学校」というシステムに組み込まれた「授業」という枠の中にそれを納めるのは困難だ。もっとゆったりとした教育が行えないものだろうか。口先ばかりで「環境教育の重要性」などと叫んでも、所詮お題目に過ぎない。
 学校教育のシステムそのものが疲弊し病んでいる、と言うべきか。

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