2009年5月10日日曜日

ひとりの歌い手について

 あるシャンソン酒場で井芹悠(いせりはるか)さんという歌い手の歌を聴く機会があった。
「シャンソン歌手」ということだが、シャンソンばかりを歌うわけではない、カンツォーネもタンゴも歌う、と本人は言っていた。この時も、シャンソンばかりではなく、カンツォーネや「リリー・マルレーン」などの有名な曲を歌ってくれた。
 ステージで次の歌を紹介する時は、小声で控えめに、ただし歯切れ良く話すのだが、ひとたび歌い始めると周囲を圧倒するほどの声を発する。
 数曲歌い終わってから、テーブルに来てくれて、初対面だったにも関わらず自分の生まれや歌手になった経緯について詳しく話してくれた。小さな酒場で歌う歌い手は、歌だけ歌っていればよいというものでもないらしい。普通に話す時も、声はあくまでも小さく控えめな話し方だった。
 しかし、その抑制の効いた話の土台になみなみならない激しい生き方が潜んでいるのではないかなあ、と想像してしまった。だって、シャンソンなんて、大人の歌だと思っているから。波瀾万丈の生き方をし、人間的に円熟した大人の歌、という感じがする。だから、そんな歌を歌うのにピッタリの人だと感じた。

 折しも、この日の朝日新聞の記事に中根東里(なかねとうり)のことを書いていた
人がいた。記事の見出しには、この江戸時代の儒者の言葉がそのまま使われていた。
「出る月を待つべし 散る花を追うことなかれ」

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