2009年8月23日日曜日

尻羽岬(シレパみさき)



  この地名を聞いて、
 「ああ、あそこね!」と答える人は何人いるだろう?北海道の人でもそう多くないと思う。道東だ。厚岸(あっけし)という町がある。釧路市と根室市の中間、厚岸湾に面する町だ。知名度は高くないが北海道の中では歴史の古い町だ。釧路や根室などよりも古い。江戸時代は道東(東蝦夷地)の中心都市だった。
 厚岸湾は南に口を開いて奥が深く、天然の良港であることがよくわかる。内地から東蝦夷地へ航海してきた船は、この湾に入るとホッと一息ついていたことだろう。湾口には、東に愛冠(アイカップ)岬、西に尻羽岬がそびえている。市街地は東側に偏っている。昔からそうだったようで、国泰寺など古いお寺もあるし北大の臨海実験場などもある。だからバラサン岬側は何度も行ったことがありなじみ深かった。
 ところが反対側の尻羽岬は、天気の良い日は厚岸市街地からよく見えているのだが今までずっと行く機会がなかった。普段通っている国道から15kmほど離れていて、近くへ行く「ついで」が無いというのが最大の理由だ。

 昨日、釧路からの帰り、思いがけなく時間ができたので立ち寄ることにしたのだ。天気は申し分なかった。
 釧路から根室へ向かう国道44号線と並行して海岸線を道道が走っている。「北太平洋シーサイドライン」と麗々しく名付けられている。この道は、昔から好きだった。釧路・根室間の太平洋岸は、地殻が隆起しているという場所で切り立った断崖が連続している。内陸から流れてくる沢の出口に狭い浜が出来ていて、漁をする人たちはそんな場所で昔から暮らしている。背後の山中に道路が通っていて、急な坂になっている枝道を下って行くと行き止まりの所に小さな集落がある。釧路を出て、このような道を厚岸に向かって進む。
それぞれが昔のまま(と思われる)名前が付いている。アイヌ語の地名に無理矢理漢字を当てはめなければ気が済まなかった時代の人々の執念が感じられる。

 一応メモしたのだが、間違いがあるかも知れない。釧路市側から以下の通りである。

「又飯時」またいどき
「昆布森」こんぶもり
「宿徳内」しゅくとくない
「来止臥」きとうし
「十町瀬」とまちせ
「浦雲泊」ぽんとまり
「跡永賀」あとえか
「初無敵」そんてき
「入境学」にこまない
「賤向夫」せきねっぷ
「分遺瀬」わかちゃらせ
「老者舞」おしゃまっぷ
「知方学」ちぽまない
「去来牛」さるきうし
「別尺泊」べっしゃくどまり
「仙鳳跡」せんぽうし

 道道とは知方学で別れて岬方向へ向かう。やがて駐車場で道は行き止まりになり、丈の低いササが生えた段丘が続いていた。およそ2キロほどの距離を徒歩で進むとやっと岬の先端に達した。海難物故者供養塔がポツンと立っている。さらに「尻羽岬」という名前とその由来の書かれている小さな看板。向かい側には厚岸湾口に浮かぶ大黒島が横たわっている。
 海面からの高さは、かなりあるのだが、台地上が草原になっていること、崖が優美で曲線的なことなどから、来る前に予想していたよりもソフトな印象を受けた。知床の海岸線よりも女性的かもしれない。それでも、アッサリとしたこの場所には、なぜか心惹かれた。また、行きたいと思う。

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