2010年4月26日月曜日

ピアノコンサート

 昨日、羅臼で、主に子ども向けのピアノコンサートがあった。東京のピアニストが来町してピアノを聴かせてくれた。
 このピアニストはテレビや映画の曲を作るなど第一線で活躍する、その世界では有名な人らしい。「自然派」を自認しているようで、飲み物や水にもこだわった生活をし、斜里町にはもう何度も訪れて演奏をしている。

 今回の演奏会は、僕も実行委員会のメンバーだったのだがはじめからなんとなく気が乗らなかった。演奏者側からのコンサートへの要求に「上から目線」を何となく感じられたことが再三あったためだ。出演者側が遠隔地の会場や実行委員会に対して、上演に必要な様々な条件を示し、要求を送ってくることは普通のことだし、これがなければ円滑な公演はできない。実行委員会側と公演者側とが、緊密なコミュニケーションを交わし、ココロを一つにしてはじめて良い公演が生み出される。
 そんなことはわかっている。だが、今回のやりとりは、なぜか「コミュニケーション」というより一方通行の「命令」のように感じ取れてしかたがなかった。そんな感情がこちらのやる気をどんどん低下させた。

 そして日曜日。公演当日だ。
 その発言に僕は、「やっぱり!」と思った。
 ステージに現れ、最初の一曲を弾き終わった後の挨拶で、彼女はいみじくも言ってのけた。
「わたしは、知床には何度もきています。けれど知床以外の場所で演奏するのは、初めてで羅臼を訪れることを楽しみにしていました。」
 あ~あ!羅臼も知床半島の町です。いや、羅臼こそ「知床旅情」の作られた町だし、町の全域が知床半島に存在しているのは羅臼町だけなのですヨ。もう少し勉強してから来て欲しかったなあ。

 たしかに実力もあり、偉い芸術家なのかもしれないけれど、聴衆からお金を集めて自分の演奏、つまり「芸」を売って生業にしている以上、「芸人」と読んでも良いはずだ。もちろん卑下する意味は全くない。ただ、芸人なら自分の訪れる土地のことをもう少しきちんと勉強しておいても良いのではないだろうか。。
「芸人は、上手も下手も無かりけり。行く先々の水に合わねば。」と昔から言われている。今回の発言と準備段階のやりとりの印象が、固く結びついてしまった。

 そして、このような態度は、現地の当事者のことをどこまで誠実に思んばかれるかが問われるという点で、例えば沖縄県民が、米軍基地の過重な負担に苦しんでいることに対して、皮相的な同情だけを示す、欺瞞的なポーズと通底するものがあるように思えてならない。
 「沖縄の基地を何とかしなければ」と叫んでいるヒトに、
 「じゃ、あなたの町に持って行って下さい」と言ったら、
いったい何人が承諾するだろう。
 ゴミ処分場、原子力発電所、核廃棄物貯蔵施設、墓地から老人福祉施設、はては保育所や小学校まで。不可欠の施設だけど自分の目の届かない場所に置いておきたいヒトたちの何と多くいることだろう。

 昨日のコンサートを眺めて、なぜか薄ら寒い感じを覚えた。

2010年4月20日火曜日

アイスランドの火山噴火と日本のマスコミ

カワラヒワ初鳴き

火山と鮭の話

アイスランドの火山噴火すごいね。
火山灰が大量に成層圏にまで吹き上げられた。
航空機の飛行に危険が予想されヨーロッパの主要な空港が閉鎖されてしまった。
日本人の観光客も1万5000人くらいが足止めを食っているらしい。
空港で足止めされている旅行者の姿に続いて、北欧から輸入しているナマのサケ(アトランティックサーモン)が入荷せず、回転寿司でサーモンが食べられない、と嘆いている女性の声がニュースで紹介されていた。皆「不便だ、不便だ。困った、困った。早く帰りたい」と嘆いていた。
 遠く海外にまで出かけるような旅行者なら、予測不可能な事態に出会う可能性は、日本国内の旅に比べて大きいわけで、始めからそのようなリスクを覚悟して出かけるべきだよね。それが嫌なら行くべきじゃない。金を出すだけで、快適な旅行を買えると思っている人に限って、こんな時に困るんだよね。自分の力でなんとかできないとね。
 そんな事態を逆に楽しむくらいのバイタリティがあった方がいいと思うんだけどね。
 それにしても、サーモンが食えないことぐらいで大騒ぎしないでほしいね。消費者が悪いのかマスコミが悪いのかわからないけど、ね。サーモンなんかより、火山噴火で航空交通がマヒするという事実の方がずっと深刻じゃないかなあ。将来、どこで同じような(または、もっと規模の大きな)火山噴火が起こらない保証はないのだから。
 たとえばカムチャツカの火山が噴火したら日本の航空交通網は完全にダメになっちゃうよね。そうなったらサーモンの生寿司どころの問題じゃなないでしょう。そんなシミュレーションを先取りしてみせることこそマスコミの責任だと思うんだけど。 今回の問題は、人類が火山とどう向き合うべきかということこそ問題の中心じゃないかなあ。 (ゆ)

2010年4月18日日曜日

北上する


昨日は、当別、月形、浦臼、新篠津と国道275号線を北上した。

高速道路ができたので今では滅多に通ることはないコースだ。だが、昔、高速道路の無い時代、あっても現在のように一本に繋がっていない時代、札幌や函館と道東を往復するのによく通った道だ。

実に久しぶりだった。

このコースは石狩川に沿っている。石狩川の右岸を通っているのだ。そして、それは日本海側のコースを北上する渡り鳥たちの使っているコースでもある。

月形付近ではおびただしい数のコハクチョウ、(オオハクチョウもいたけど)、マガンが田んぼに降りてひたすら食事をしていた。

日頃、道東で目にしている太平洋側のコースを帰って行くオオハクチョウやヒシクイたちとは、またひと味雰囲気の異なる鳥たちだ。

そういえば、コハクチョウやマガンと出会うのも久しぶりだったように思った。

2010年4月16日金曜日

斜里岳


 今日は斜里岳を見た。
 空気感がよく、透明度の高い大気の向こうに輝くように座っていた。

 今年は登りたいな。

2010年4月15日木曜日

さよなら

朝、海岸沿いに走るとき、オオハクチョウの群れと併走することが時々ある。

何回も書いているかも知れないけれど、この群れは短距離を移動するのではなく、長距離を飛んで帰って行くのだ、という明確な意志をハクチョウの群れから感じ取ることができる。

ある種の悲壮感と言っても良いかもしれない。確かに悲壮感に違いない。彼らの渡りは命がけだ。頼れるものは自分の翼しかない。

ハクチョウたちの渡りのルートにある水たまりや川には群れからはぐれ、というより群れについて行けずに一羽だけ途中で降りた個体を時々見かける。中には初夏まで留まっている者もある。

そんな鳥は、きっと人知れず姿を消すのだろう。鳥のことに詳しい獣医が、夏になると大半のオオハクチョウは胃の内容物がカビてしまうので、北海道で夏を越すのは困難だ、と言っていたのを聞いたことがある。

渡りは淘汰の旅でもあるかもしない。

そんな悲壮感と裏腹の力強い羽ばたきで、しばしの間僕のクルマの横を飛んでいる。

標津町の市街地に入ると、僕はニンゲンの設けた道路交通法に従って、群れよりも速度を落とさざるを得ない。

そんな僕に後ろ姿を見せて、群れはぐんぐん遠ざかっていく。
「さよなら」
こころでつぶやいてみる。

涙が出そうになる。

2010年4月12日月曜日

日曜日

 岬のエゾシカ密度調整に行く予定だったが海上が時化で中止となった。ひとり広い家で過ごした日曜日。
 気をとり直し、日頃からやりたかった作業に取りかかった。

まず、昨年暮れから今年にかけて死んだてまりとメドヴェージの埋葬。寒い所で待っていた遺体は、やっと安住の地を得たわけだ。以前に拾ってきてあった流木で墓標を建てた。思えばこの場所には多くの動物たちが眠っている。墓標の前に腰を下ろし、しばらくぼんやりと想い出にひたった。

 次ぎに海岸へ砂を取りに行き、国道から進入してくる道の補修。今まで「四駆専用」のようになったので普通の乗用車でも走れるように補修した。

 さらに橋の修理。小さいけれど我が家の敷地内には橋もある。(ちょっと大袈裟な表現だが)この三年間で橋に盛り上げてある土が雨水で削られて崩れ始めていた。ずっと気になっていたのだがやっと補修に着手できた。とりあえず崩壊は食い止めた…のではないかと思う。

 なかなか周囲を片付けられずゴミなども散乱して見苦しい環境になっていたが、少しだけ改善できた。これから少しずつ手を加えていくつもりである。

2010年4月8日木曜日

別れの季節(レクイエム)

なんと多くの別れがあっただろう。この冬に。

メドヴェージ(犬)
てまり(猫)
こむぎ(猫)
クイックターン(馬)
そして、今日、エカチェリーナ(馬)

さらに、義母まで。

昨夜、僕は、自分でカーチャ(エカチェリーナ)の心音が止まる瞬間を確かめた。あんなに大きな躯をして、力強かった者が、なんとあっけなく死んでしまうのだろう。

「哀しい」と言葉に出すのはたやすい。
だが、これらの事実の前で、言葉も出ずに呆然として立ちつくしている自分がいる。

悔やまれる、と言えば全てが悔やまれる。どこまでも悔やまれる。

我が家の動物たちは、皆高齢化していたから、死が連続してもしかたがない、と言うこともできる。だが…

死んで、去っていった者たちは「時」の地平で表情を凍りつかせて
生きている僕らを
いつまでも見ている