2011年12月31日土曜日

ごあいさつ

みなさま!

一年間、小ブログをお読み下さってありがとうございます。

いつまでたっても拙い内容ですが、これからも書き続けてまいりたい所存です。

来年も、相変わらずお読み頂けたら幸せに思います。


それでは、どうぞ、佳き新年をお迎え下さいますように。

また、来年。

2011年12月30日金曜日

どうする!どうする?

沖縄での防衛局<防衛省<日本政府<米国政府の横暴と真っ向から対峙して一歩も引かない人々、震災や津波そして原発事故のために避難している人々、われわれのように例年とほぼ変わりのない年末を迎えている多数の人々。
 様々な怒りや悲しみ、あるいは笑い、時には泣き笑いを載せて今年も暮れようとしている。

 今年の年末が今までと違っていることを多くの人々が感じているのではないだろうか。

 そして、今ある「穏やかで平安」(に見えるだけだなのだが)な暮らしが、決して今後も変わりなく保証されているものではないことに、気づき始めているのではないか。

 巨大地震や津波は、いつ我々を襲うかわからないし、不完全な技術で欠陥を隠蔽して建設され運転されている原子力発電所の安全性など絵に描いた餅に過ぎず、フクシマで起きた悲劇が我々にも起きないという保証はない。
 そして、何より不幸なことは、この国の政府は、全力を挙げて国民の命と暮らしを守ってくれる政府ではなく、国民よりも米国政府の鼻息を窺うことにそのすべてのエネルギーを注いでいることが、ここ数日間の辺野古新基地を巡る沖縄防衛局と沖縄県との間で繰り広げられた出来事で明らかになったことだろう。
 まあ、本当は、ずっと前からわかっていたのだけれど。

 もう、あと二十数時間で年があらたまる。

 今後、こんな政府の元で人生を送る不幸について、より多くの人に考えてもらいたい。
 そして、この状況を本当にどうにかしなくてはならない。
次の選挙で政権を取り返す気満々の自民党自身が、基地問題にしても原子力発電にしても、今のこのどうしようもない状態を生み出した張本人ではないか!

 この国の国民であり続けるなら、今後どう行動すべきか、一人一人が真剣に考えなければならない時かも知れない。

 そんなことを考えた年の瀬であった。

2011年12月29日木曜日

いま、沖縄で起こっていること

米海兵隊普天間基地の辺野古への移転を画策する防衛省沖縄防衛局は、28日午前4時、沖縄県庁の守衛室に段ボール箱十数箱に入れた、環境影響評価書を、守衛室にコッソリと持ち込んだ。ところが、監視中の県民に見つかり、全部を運び込むことができず。逃げ去った。
沖縄を蹂躙しようという者のこれが正体である。

 国が、自治体に対してすることだろうか。
 「法治国家だ」「文明国だ」と胸を張って言う者のすることだろうか。

 こんな「提出」(された、とは言い難いが)のされ方で、貴重な生物が生息する美しいサンゴの海に滑走路や基地を作られてはたまならない。環境影響評価書の内容そのものが全く信憑性を持たないことは明白だ。

 もうひとつ驚くべきことがある。このニュースは本土では詳しく報じられていないのだ。 「評価書を早朝に提出した」と報じられただけだ。
 自分たちの選んだ政府が、嬉々としてアメリカ政府の提灯持ちを演じ、国民に対してどれほど卑劣で、破廉恥で、姑息なことをしているか、沖縄県民以外の国民には全く知らされていないのである。

 僕は、不愉快だったので28日は、全くTVを見なかったから自分では確認していないが、昨日の午後7時のNHKニュースのトップは、北朝鮮の葬儀の模様だったらしい。
 それ以上に重要で、国民が考えるべきことが、この辺野古新基地の問題ではないのか。
 そして、今日の同じ時刻のニュースでは、一言も触れられていなかった。

 テレビとか大手新聞が、必ずしも重要な真実や物事のディテールを報じないことは、福島原発事故に関する報道で皆わかりかけていることだと思うが、今回の事件で、それがいよいよ明らかになってきた。

 沖縄の基地問題は深刻だ。直ちに無条件に撤去すべきだと思う。さらに、辺野古には、ジュゴンの生息地など壊してはならない自然がある。

 心ある沖縄県民は、思想信条や立場、所属団体の有無や種類を越えて反対している。その意志がいかに固いか。
 われわれ沖縄県外の人間は、それにどう応えるべきか。
 強い問いかけが、今、沖縄から発せられている。

2011年12月28日水曜日

吹雪に吹かれて、静かに燃やそう この怒り



 このところ羅臼は吹雪が続いている。
 降雪なのか地吹雪によって風に運ばれた雪なのか、よくわからないが、朝、目覚めると玄関が雪の山に埋もれている。
 玄関前の雪山は、風によって吹き寄せられたもので、よくもまあ、こんなにかき集めてくれるものだと感心する。

 そんな羅臼から今日は久しぶりに自宅に帰ってきた。
 根釧原野には、まだ雪は無く、寒々した枯れ草の草原が広がっている。

 ニュースなどは見ることも聞くこともせず、今日は静かに過ごしたい。
 海兵隊を辺野古に移転させるために強行された環境影響評価書の「提出」をめぐって、あまりにも拙く、聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しい、国のやり方について、書き出したら自分を止められないような気がするから。

2011年12月27日火曜日

吹雪に吹かれながら

知床半島は、高山を横倒しにしたような場所だ。
 半島基部の標津町あたりが登山口で、古田糠→薫別→崎無異→植別と進むにしたがって雪が深くなる。羅臼を過ぎ、ルサ川を超えた辺りからはもう一段雪が深まる。
 知床岬などは、さしずめ岩峰の突端だ。

 海辺で暮らしながら、高山の気分を味わえるのが羅臼だと思う。

 今日も羅臼川の谷間を吹き降りてくる猛烈な風と雪を眺めながら、そんなことを考えた。
 昔、この地で暮らしていた人々も、この風雪に耐えていたのだろう

http://www.youtube.com/watch?v=fh-hVCwHXOA&feature=colike

2011年12月26日月曜日

羅臼町郷土資料館開館



 峯浜に「羅臼町郷土資料館」がオープンした。
 今まで、羅臼町町民体育館の一階の一部に数多くの収蔵物が所狭しと並べられていたが、昨年度、閉校になった植別小中学校の校舎を改築して、展示スペースを作った。
 二階建てで、一階に考古第一、第二、近世の3つの展示室の他、この建物の前身である植別小中学校を記念する「植別室」がある。二階には、昆虫、植物、動物、産業、生活展示室の他にレクチュアルーム、実習室。工作室などを備えている。

 展示物は縄文時代早期の土器や石器から始まり、江戸時代・明治・大正・昭和初期に至るまでの知床の生活用具や写真・図などで、知床・羅臼町の歴史が一度に体感できる。

 今後、羅臼町の文化の新しい発信源になるとともに、児童生徒の学習の場所としても活用されることになるだろう。

 写真は、アイヌ民族の伝統的な家(チセ)の精巧な模型。内部も精密に作り込まれている。

 場所:目梨郡羅臼町峯浜町307番地
 電話:0153-88-3850
開館日:祝祭日・年末年始を除く月曜日~金曜日
 時間:10時~17時
入館料:無料

2011年12月25日日曜日

夕焼けの彼方は吹雪 西風の音に聴きいる 冬の兆しを


 昨日、車(ARCTICA)の修理をしていた。どうしても必要な部品があって、ちょっと買い物に出かけた以外、家から出ずに過ごした。
 もちろんイヌの運動に付き合って原野を歩き回っていたからまったく運動不足にはならない。通常通りに出勤して、一日中机に向かっている日の方が、ずっと運動不足になるのだ。

 夕方、西の空に夕焼けが出ていた。
 ちょうどこの方向で、今、吹雪が荒れ狂っているなんて、信じられないほどの夕焼けだった。

2011年12月24日土曜日

クリスマスの夜に

キリストの誕生は、人類にとってどんな意味があったのだろう。

 キリストが生まれた当時のユダヤは、ローマに支配され、政治的にも混乱していたと聞く。クリスマスは、北ヨーロッパの冬至の太陽の復活を祝う行事と融合したとも言われているから、本当に明日が、イエスの生まれた日かどうかは別としても、閉塞感の満ちあふれていた時代に対して、ひとつの大きな衝撃的な出来事がイエスの誕生だったことは間違いないのだろう。

 いつかこの閉塞した時代や苦痛な生活状況から、自分たちを救済してくれる救世主の到来を渇望する空気が満ちあふれていた中に、自分たちを永遠の幸福と栄光に導く救世主(キリスト)が降臨するという希望は、ユダヤ人や奴隷・使用人といった社会的弱者の他にも倦怠感や無気力感の蔓延した支配する側(ローマ人・貴族階級)の間にもあったと言われている。
『私は何の為に生きているのか?』『この世界が存在する意義とは何なのか?』という疑問への答えを指し示してくれる(かも知れない)存在としてイエス・キリストの誕生を祝ったのだろうと思う。

 そして、それから2000年以上経過して、人類のココロは、それほど変わっておらずクリスマスは、単なるお祭り、あるいは、消費奨励期間の一つと化してしまった。

 今夜は、このようなもろもろを静かに考える夜にしたい。少しだけでも。

2011年12月23日金曜日

ワシを見ながら

低気圧が発達して接近するというから身構えていたが、根釧原野にはまだ大きな影響は出ていない。
昨夜、重たい雪が一時だけ激しく降り、少しだけ積もっていた。
 今日は、イヌの散歩以外には外へ出ることなく、ずっと家で過ごした。

 朝日に照らされた雪晴れの空をオジロワシたちが舞っていた。
 
 ワシは生態系の頂点にいて、食物網を通じてい濃縮された環境汚染物質を一身に集める立場にある。
 以前、ある研究者の発表を聞いたことがあるが、オオワシやオジロワシの血液中から非常に高い濃度のPCBや重金属が検出されるのだそうだ。

 海の生態系で頂点にいるアザラシやトドなど海獣類、そして鯨類などは、体内に放射性物質を蓄積した魚を大量に食べ、これからいろいろな影響が現れるのではないだろうか。

 このワシたちも「海ワシ」と言い、主に魚を食べる。

 無心に舞っているワシたちを見ていて、これからのことが心配になってくる。

2011年12月22日木曜日

安全と安心は別なのダ

本当はそうじゃないのだろうが、この頃、ワープロとの相性が悪いように感じる。
漢字変換が一発で決まらないコトが多いように思うのだ。

 今朝も仕事で「ケッセキ」と打ったら「結石」が一番に出てきた。それに気づかず、その文書を課長に送ったら爆笑されてしまった。
 まあ、職場の雰囲気の向上には貢献できたワケだが。


 今日は冬至だ。
 前にも書いたけれど、日の出の時刻は、明日以降もまだ遅くなり続ける。
 しかし、トータルすれば、昼間の長さは今日が最も短い。それは、地球上から見上げた時の空の太陽の通り道(黄道)と天の赤道(赤道の真上の空に引いた線)とがおよそ23度傾いているため、太陽が空を移動する速度がいつも同じではないことと、地球の公転軌道が楕円形をしていることが原因しているらしい。

 それはともかく、明日から昼間の時間は、間違いなく長くなり始める。


 そして、今日、食品に含まれることが許容される放射能の基準が発表された。

 今さらなにをか言わんやだが、この国の政府は、国民の安全よりも安心させることを一番の目的にしているらしい。つまり「安全よりも安心を」なのである。
 「安心して政府の決めたことに従って、文句を言わずに黙っていなさい」ということだ。

 今回のことで、その姿勢が明白になっただろう。
 「国民の安全のため」というのは全然ホンネではないわけだ。
 こうなると
 「アメリカ軍基地が国の安全のために必要だ」というのも、疑わざるを得ない。

 これだけ事実を突きつけられても、それに気づかず、まだ「安心」している人々は、お人好しを通り越して…………と言わなければならないだろう。

2011年12月21日水曜日

連結器とセシウムと

たとえば日本の国鉄の車両で、一斉に連結器の交換工事をしたことがあった。
 1925(大正15)年7月17日のことだ。

 記録を調べてみたら交換したのは、機関車が約3200両、客車8900両、さらに貨車約52万8000両あったという。合計すると54万両あまりを交換した。連結器というものは、鉄道の車両一両につき2個あるから、全部で104万個以上の連結器の交換を一日でやったことになる。
バッファー・リンク式連結器は、日本の鉄道開通以来使われていた連結器で、連結・解放作業に時間がかかり、作業に危険を伴うものだった。自動連結器は今でも使われている優れた連結器である。
 この二種類の連結器を混在させるわけにはいかなかっただろうから、この作業をどうしも一日でやり遂げる必要があったのだろう。

 そのために、統計によってもっとも物流の不活発な日を選び、何日も前から作業員の研修を重ね、車両にも必要な工事を施し、入念な準備をして決行に臨んだとされる。
 一両の交換に要した時間は15分だったという。
 これによって鉄道の輸送力は大幅に向上した。そして、この後、日本は長い侵略戦争の時代に突入する。それは、別問題として、世界にも例がないと言われるこの一斉工事は、日本人の技術的な優秀さばかりでなく、施工の正確さ、組織性の優秀さを世界に示した出来事に違いない。

 このような例は、他にも多く見られる。零戦の設計も同様だろうし、内視鏡の開発などもそうだろう。
 ロボットなど現代の先端技術に関しては、ここでわざわざ述べる必要もないだろう。


 だが、優れた技術を生み出してきた実績に対して、われわれは少し自信過剰になっているのではないだろうか。
 破滅した東京電力福島第一原子力発電所から飛び散った放射能は、濃淡を作りつつ広い範囲に広がり、あらゆる場所に降り積もった。
 森にも畑にも、田にも、家の庭にも、芝生にも、学校の屋根やベランダにも、広場にも、歩道にも、車道にも、公園にも、産院にも、墓地にも。
 「降り積もった」と言えば表面を洗い流せば、きれいになるような印象を受ける。
 しかし、「降って」来たのは、原子の状態にまで細かくなっている放射能である。
 放射能を持ったセシウム原子の大きさは、0.0006ミクロン、つまり1千万分の1ミリメートルくらいの大きさだ。
 こんな小さな「粒」が表面だけに付着するわけがない。
 例えて言えば、金網のザルに小麦粉をばら撒いたようなもので、コンクリートや屋根の塗料など、木材の内部などにどんどん入り込んでいくだろう。その有様は「浸透」と呼ぶ方がふさわしいだろう。
 そして、そこからガンマ線を出し続ける。その強さは、30年あまり経ってやっと半分に減るのだ。

 「除染・除染」と呪文のように繰り返しているが、どれほど実効があるのだろうか。
  セシウム原子の浸透の例ひとつ取り上げても不安になってくる。

 一日で連結器を交換したという技術への過信と奢りから、何の根拠もなく「除染」もうまくいくだろうと考えるのは、あまりにも危険な楽観主義と言うべきだろう。

 零戦を作り、戦艦大和を建造して、果てしない侵略戦争に突入し、国民を不幸のどん底に陥れた愚行がまた繰り返されるのだろうか。

2011年12月20日火曜日

昆虫食のすすめ

昆虫を食べるのが結構好きだ。

 学生時代の研究室が「農業害虫学研究室」というところだったからだろうか。
 スズメバチの幼虫、バッタ、セミ、トンボなどいろいろな虫を食べた。

 コガタルリハムシ(小型瑠璃葉虫)という虫が卒論のテーマだった。一匹の雌が毎日産む卵の数を、来る日も来る日も数え続けた。顕微鏡の下で黄金色に輝くその卵を、どうしても食べてみたかった。しかし、孵化率を測定する必要があり、食欲をじっとガマンして作業を続けたことを覚えている。


 タンパク質は、およそ二十種類のアミノ酸からできた長い鎖である。
 われわれがタンパク質を食べると消化酵素によって、その長い鎖が短く切り分けられていく。
 そうやって出来た、数個から数十個のアミノ酸からなる短い鎖をペプチドという。

 ペプチドは、さらに分解されて吸収されれば栄養になるだけだが、ある特定の種類のアミノ酸がある決まった順序で並ぶと細胞に対して、特定の行動(例えば「分裂しろ」とか「ホルモンを分泌しろ」などという)を促す命令となる場合がある。

 そして、近縁種のタンパク質を分解して作られるペプチドは、そのような「命令文」としての意味を持っている場合が多いと言われている。

 だから、健康と安全のためには、タンパク質を摂る場合、近縁な生物を避け、分類学的に遠い生物のものを食べるようにするのが良いのだそうだ。
 現に、BSE発生の直接の引き金は、ウシの餌にウシから作った肉骨粉を混ぜて食べさせたからだと言われている。

 われわれの身体は、複雑な構造をもち、小さいきっかけで大きな(そして大抵は不可逆的な)結果を生じるものだ。

このことを考えると、放射線の内部被曝に対して、われわれは、もっと慎重で神経質であるべきではないかと思う。
 それなのに、今、日本で行われていることは、その正反対。
 まるで、心理的な脱感作のように、少量の放射線量から徐々に増やして、国民をすこしずつ(あくまでも心理的にだけだが)馴れさせようとしているとしか思えない。

 放射能が体内に蓄積され、細胞に対して至近距離から放射線を当て続けることで、遺伝子やタンパク質の構造に修復不能な損傷を与える危険性があることは、誰が考えても想像できることではないだろうか。

 食品に含まれる放射能の「安全基準」など限りなくゼロに近づけなければならない。
ゼロからスタートすべきことではないだろうか。
 乳児用粉ミルクから放射能が検出されて、慌てて作った「基準」など真の基準たりえないことは明白なのである。

2011年12月19日月曜日

こんなニュースが

北朝鮮のキム総書記死亡のニュースでかき消され気味だが、東京電力福島第一原子力発電所の事故原因を究明するため、国会に設置された「事故調査委員会」の黒川委員長が、記者会見で、野田総理大臣が原発事故の収束を宣言したことについて、「納得がいかない」と批判しまたと報道されていた。

 政府と独立した形で国会に設置された「事故調査委員会」の黒川委員長は、福島第一原発や住民の立ち入りが禁じられている「警戒区域」を視察した。このあと記者会見し、「警戒区域」の様子について、

「音も声も聞こえず、悲惨で、空虚で、不思議な感じがする。住めなくなった人の気持ちや仕事がどうなったのかを考えなければいけない」と述べた。

 そのうえで、黒川氏は、野田総理大臣が原発事故の収束を宣言したことについて、
「納得がいかない。そういうことを正当化できる根拠があるのか。国民の受け止め方とギャップがある。これからが長い復旧への第一歩なのではないか」と述べ、野田総理大臣の対応を批判した。      (NHK ニュースより一部引用)


 海外からも、この「終息宣言」に対しては、多くの疑問や批判が寄せられている。
 自分たちに都合の悪い意見に対しては、聞こえなかったことにする、見なかったことにするという姿勢なのだろう。
 このようは無謬主義が、原発事故の背景にあったと指摘されているが、終わっていない事故を終わったことにしてしまう政府の姿勢の中に、次の事故が起こる要因が、もう既に兆している。

2011年12月18日日曜日

日本の夜明けは遠いけれど 一足先に 知床の夜明けだ


羅臼の朝日は国後島から昇る。
 海沿いの道を散歩すると冬至間近の遅い日の出を散歩しながら楽しむ。
 これも贅沢なことだなあ、と思う。

 今日は、知床学士認定試験の日だ。

2011年12月17日土曜日

無邪気なもの と



 この地球上には無邪気な者の方が圧倒的に多いな、とふと考えた。

 ヒトに飼われているイヌやネコたち、ヒトの子どもたちも、ヒトだって大部分は素朴で無邪気に生きているに違いない。

 野生動物は、「無邪気」とは少し違うように思うが、「正直に真面目に生きている」という点は、共通している。

 無邪気でないほんの一部の者が、放射能を撒き散らかし、中を見て確かめることもできない壊れた原子炉を「もう安全だ」などと言い張っている。

 こういう者があるから、闘わなければならない。

2011年12月16日金曜日

勝手にやっちゃう人々

もう、かなり昔のこと。
 四輪駆動のクロスカントリー車が、まだ、それほど一般化していいない頃のことだ。

その頃、その種のクルマの主流は、N社とT社が作り続けてきた、大型の四輪駆動車と急速に普及してきたM社のPで始まる車種だった。

 そして、I社も地味ながらBで始まる名前の四輪駆動車を販売していた。このクルマは、他の三車種に比べて、車輪の上下に動く範囲が狭く、四駆乗りの間では「足が短い」という評判を得ていた。
 「足が短い」とは、不整地を走る際に、障害となる地面のデコボコを乗り越える能力が低いということを意味している。
 つまり、すぐにお腹がつかえてしまうということだ。
 もちろん、その当時のことで、今では改善されいてるが。

 そうした頃、そのクルマの宣伝のコピーに
「このクラス随一の悪路走破性」という言葉が使われていた。

 硬派な四輪駆動車専門雑誌がそれをからかって、
「勝手にクラスを設定して、『クラス一』を謳っている」と書いていたのを、笑いながら読んだ記憶がある。

 低線量被ばくについて、政府の作業部会が、「年間20ミリシーベルトの被曝による健康への影響は十分に低い水準」とする報告書をまとめたというという話を聞いて、この「勝手にクラスを設定して・・・」というくだりを思い出した。
 勝手に「工程表」を作り、客観的な評価を受けることなく、「ステップ2に達した」などと勝手に判断しているのも同様である。

 自分たちの失敗で引き起こした事故の危険性や安全基準を事故を起こした当事者が、勝手に作って、勝手に評価しているわけで、なんの説得力も持たない。

 クルマのことなら笑い話で済むが、ことは命と暮らしの問題。
 笑い事ではない。

2011年12月15日木曜日

根釧原野のふたつの冬



 雪が来た。

 かねてから言っていることだが、根釧原野には冬がふたつある。
  「雪の無い冬」と「雪のある冬」。

 昨日の夕方まで、薬になるかならぬかほどの雪が草地の片隅に斑のようにあるだけだった。しかし、昨日の夜半、根室沖を通った低気圧が、本格的な雪を降らせた。
 夜、寝る前に点けてみた外灯の光の中を、大粒の雪が次々と舞い降りていた。そして、朝の原野は雪景色に変わっていた。

 この潔い変容が魅力だ、と思っていた。

 ところが、例年になく冷え込みが足りないので、昼間の気温が上がり、大部分が解け、再び「雪の無い冬」に戻ってしまった。 


 この冬は、どんな冬になっていくのだろう。
 それを観察するのも楽しみの一つである。

2011年12月14日水曜日

春までを測る

今日、根釧原野にあるわが家では
日の出は6時44分、日の入り:15時44分。
昼間の長さ9時間ちょうど。

冬至の  12月22日:
日の出、6時49分、日の入り:15時47分 
昼間の長さ:8時間58分。

そして、冬至の翌々日の12月24日:
日の出、6時50分、日の入り:15時48分
昼間の長さ:8時間58分

その翌日の12月25日
日の出、6時50分、日の入り:15時49分
昼間の長さ:8時間59分

 日の出は、まだ、しばらく遅くなり続けるが、日没がこの日あたりからさらに遅くなりはじめ、昼間の長さは少しずつ長くなり始める。

そして12月30日から1月9日まで、
6時52分の日の出が続き、その間に日没は、15時52分から16時01分へと、グングン伸びる。

1月10日には、日の出も6時51分になり、この日から日の出も早まりだす。

 こうして、「光の春」が近づいて来るのだ。

 冬至まであと一週間。
 今は、「もうすぐ!もうすぐ!」と日の長くなる時を待ち続ける日々である。

2011年12月13日火曜日

知床学士検定が近づく中で考えたこと

18日に知床学士検定試験がある。
 羅臼町内の中学生と高校生が受験でき、今年は約40人が、3級から1級までの「学士」に挑戦する。
 問題作成をしている僕は、いま、事前講習会で忙しい。
 問題作成者が事前講習をすることは、アヤシイと思われるので何とかしたいのだが、この制度は、発足してまだ3年目なので仕方のないことでもあるのだ。
 次回あたりからそろそろ、出題者と講習会講師との分離を検討してもいいと思う。

 それにしても、講習会の講師をするのは楽しい。
 目の前に検定試験という目標があるから、生徒は熱心に話を聴き、考えてくれる。生徒の知らないことを説明すると、うなずきながら聴いてくれる。
 普段の教科の授業では味わうことの少ない醍醐味と充実感を感じる。

 この経験は、ささやかな地域学習の場面に過ぎない。しかし、「学力」ということについて、ふと考えさせられる。

 知識偏重の「詰め込み型」の学習の問題点を反省し、「ゆとり教育」の必要が指摘され奨励された。
 ところが、国際的な「学力」の低下が問題視され、一転して学習の強化が叫ばれるようになった。
 国の方針が、このように正反対の方向で振幅していては、当の子どもたちはもちろん、現場の教師たちまでも混乱させられる。

 読み書き、計算、意思表明、コミュニケーションなどの能力は、確かに重要で、子どもたちのこれらの力を初等・中等教育を通して、存分に伸ばしてやることはオトナの務めだと思う。
 今までの教育政策は、不十分ながらも、それを第一番に願って進められてきたと思う。だが、そこで決定的に欠落していたものがあった。
 それは、自分が身につけた様々の能力を何のためにどのように活用するかを、学ぶ者ひとりひとりに考えさせ、個々の価値観や世界観、人生観、歴史観を形成してやるという、言葉の正しい意味におけるキャリア教育である。

 「キャリア教育」と聞くと、反射的に面接の受け方とかお辞儀のしかたとかの就職試験で成功するための技術を身につける学習を重い浮かべるかも知れないが、本当は違う。
 本来のキャリア教育は、自分の人生を社会とどう関わらせていくか考える力を養うことがの目的だと思う。現実には、先に述べたような、「就職教育」に堕している場合が多いのだが。

 日本の教育は、「ゆとり」で行くとしても、「詰め込み」でいくとしても、その前に徹底的に「何故学ぶか?」を考えさせてから、学習活動に入るべきだったのだ。

 そのあたりが上手くいかなかった結果、優秀な人材が原子力ムラの構成員になったり、オウムへ流れたり、一部の企業に囲い込まれ、企業の利益だけのために行動する人間に墜ちてしまったり、おかしな政治家になったりしたのではないだろうか。

 知床についての学習を進めながら、こんなトホーも無いことをあれこれと考えた、今日の講習会であった。

2011年12月12日月曜日

気圏の底の大失敗

先日の月蝕の写真は、ことごとく失敗した。
 上手に撮れた人たちに対して嫉妬を覚えるほどの惨めな出来だった。

 そろそろ頭が冷えてきたので、「敗因」の分析を試みた。
 
 その第一はシャッター速度を遅くしたことによるブレだと思った。
 事前のテストで、シャッター速度は1.5分の1秒から3分の1秒くらいにしていた。カメラに付いているモニターでは、まずまずの仕上がりに見えた。だからその設定で撮影したのだった。

 どうも「天体の撮影にはスローシャッター」という固定観念から抜け出せないでいたことも原因らしい。

 だが、カメラは重い三脚に固定していた。
 どれほど遅いシャッター速度を使っても、ブレが生じるはずはないのだ。

 それなのに、写真は明らかにブレている。スローシャッターを使った時の手ぶれそのもののようなブレが生じている。不思議だと思った。


 今日、よ~く考えてみて、ふと気づいた。
 これは、カメラがブレたのではなく、被写体である月の方が動いたのだ。!

 まあ、月が本当に動くはずはないから、空気が揺れて、ブレたわけである。
 われわれは、大気の底から宇宙を見上げている。
 大気のフィルターを通して、月を見ているということを忘れていたわけだ。
 なんと恥ずかしい。この失態は、二重に恥ずかしい、誤りではないか。
 大気の底で暮らしていながら、その存在を忘れていた、自分自身が情けない。

 月を撮るなら、シャッター速度は、短くして、絞りは開放、ISO感度によって露光の調節をすれば良かったのだ。

 というわけで、今回のチャンスは、惜しくも生かすことができなかった。次の機会にこの経験を役立てよう。

2011年12月11日日曜日

温暖化と二酸化炭素と

大陸からの高気圧の張り出しがあり、気圧配置は間違いなく冬型だが、例年よりも張り出しが南に偏っているように思う。
 そのせいだろうか、冷え込み方が弱いような気がする。
 今朝の気温は、-2.5℃。

 冬至目前の今頃、冬の「しばれ」が一気に作り出され、この時期に蓄えた「しばれ」を春まで持続させるのが例年のパターンなのだが。

 未来の環境が心配になってくる、最近の気候だ。

 いま、われわれが気候変動に直面しているのは、現実であるように思うし、それを裏付ける現象が数多く観察されている。
 そして、その原因の一つが二酸化炭素であることは、間違いないと考えられる。しかし、いまだに二酸化炭素原因説に反対する人々がいる。
 二酸化炭素の温室効果(保温断熱効果)は客観的な事実だし、大気中の二酸化炭素量も増加してきている。そして、平均気温も上昇している。
 この三者が観察可能な事実としてあれば、二酸化炭素が温暖化の原因だと言えるのではないだろうか。もちろん、他にも原因があることを否定するものではないが。

 二酸化炭素原因説が原子力発電促進の理由として使われてきたからだろうか。
 二酸化炭素原因説を否定する人は、「脱原発派」に多く見られるような気がする。

 それぞれに、考える所があり、確信できる理由があっての主張かも知れないが、地球の気候のような複雑系に対する解釈と評価は、実に難しい。
 僕は、二酸化炭素原因説による温暖化の説明と放射線の内部被曝による障害の発生とは、よく似たような因果関係の生み出され方のように思う。
 明らかな事実を積み上げて、その底に流れる真実を推定していくという、いわば状況証拠を積み上げて判断するという点で、両者は似ているのだ。
 
だから、対象が複雑で複雑な要素が入り込む余地を残している場合、感情や政治的な思惑などが入り込みやすい。
 温暖化の問題を考える時、無意識にそのような思考に陥っていないか、よく吟味してもらえればと思う。

2011年12月10日土曜日

真夜中の三日月


「月食」と書くのが普通だろう。
 「月蝕」と書く方が、僕は好きだ。
 「食べられる」のではなく「蝕まれる」ように見えるから。

 食の開始21時45分
 月はほぼ天頂近くにあった。
 オリオン座の二等星サイフとベラとリックスを結んだ延長線上だ

 東側から欠け始めた。

 22時35分頃にはほぼ半分の大きさになり、星たちの光が急に強まったように見えた。

 22時55分、三日月のように細まった。
 真夜中の三日月は、このような時にしか見られない。

しかし、写真撮影には見事失敗!!

2011年12月9日金曜日

「風評」という風評

以前にも書いたが、東京電力福島第一発電所の事故によって多くの飲料水や食品が汚染された。
 汚染した(と思われる)地域で作られた食品は、可能な限り食べたくない、食べさせたくないと考える人は、多いだろう。

 その結果、汚染が疑われる食品の売れ行きが落ちることを「風評被害」と呼ぶようになった。それは今でも続いている。

 「風評」とは事実無根の噂のことだ。
 この場合、「汚染された」のは事実でだから「風評」と呼ぶのはおかしい。たしか、以前にこんなことを書いた覚えがある。

政府の対応はすばやかった。
 2011(平成23)年3月25日の第373回 食品安全委員会で「食品の暫定基準値」を決めている。
 これ以下のものは「直ちに影響は出ない」とした。
 オカミが「お墨付き」を与えたわけだ。

 ところが問題が出てきた。
 まず、「お墨付き」そのものへの不信。
 ヨーロッパなどの基準値に比べてあまりにも甘すぎるのである。だから、暫定基準値以下でも東電のまき散らした放射能の影響を受けている食品は結局は消費者に拒否されてしまう。
 学校給食やコンビニの弁当、ファミリーレストランなどでに密かに使ってしまおうと画策されているが、消費者にはそれらを拒む権利がある。権利を制限され、強制的に汚染されている食材を食べさせられたくないものだ。

 さらに米などは、「安全宣言」が出されているのに、汚染されていたという事実も明らかになった。これは、汚染状態の把握そのもに問題があったことを示しているが、オカミの行う「測定」や「評価」は、客観性を欠いたものだということを示す証拠になる。
 だから放射能汚染に関して、オカミへの不信は高まる一方で、もはや全く権威が失墜たとしか言いようがない。

 さらに、「暫定基準」や「安全の基準」の根拠が研究者によってあまりにも違いすぎる。
人体という複雑な構造とはたらきを持つ場は、実は宇宙のような多様性があり、年齢や性別によって大きく違うし、個人ごとにも異なる。
 われわれの身体は300万年かかって作られたのだ。
それに対して、放射線と人体の健康に関する研究が始められて、まだ百年も経っていない。研究者によって考え方の差が大きいのは当然なのである。

 そしてそこに、政治的な立場、または利己的な打算でものを見る研究者が入り込んでいるから話はまずます混乱するだろう。

 繰り返すけれど、核エネルギーと人類との付き合いは、まだ百年にも満たない。放射線の人体への影響に関する評価も定まっていない。
 そういう時は、今、考えられる限りの最大限の安全策をとることを前提に評価して「安全のための基準」をつくるべきではないのか。
 全国的に、過去1000年間の津波被害を再調査して、対策を建てているのは、「最大限の安全」を追求しているからではないのか。
 あまつさえ、放射能については、まだ百年の付き合いしかないのだ。

 「風評だ」と決めつけ、安全を求める人々の声を封じてはならない。
 「風評だ」と決めつけることこそ根拠の無い噂ではないだろうか。
 「風評という風評」は、ただちに止めるべきだ。

2011年12月8日木曜日

生きる ということ

東高西低の気圧配置で、北西からの風が強い。
 羅臼は、沢ごとに結構激しい吹雪になっていた。

 氷点下3℃の風はカミソリのように肌を切り付けてくる。
 太陽は一年中でもっとも弱々しい。
 お昼でも夕方のような斜光を投げかけてくる。

 根室海峡のイカ漁もピークを過ぎ、夕方に出漁していく船もすっかり少なくなった。早まった夕暮れの海に、十数個の漁り火が輝いている風景は、一段とわびしさを感じさせる。
 最盛期には、イカ釣り船の集魚灯の光で夜でも本が読めるほどに明るかったのだが。

 羅臼のイカ釣り船は地元ではなく、全国のあちこちから集まって来る外来船が主体だ。今年は豊漁だった上に浜値も高く、先に故郷に帰っていった船の人たちは、今頃家族と再会し、皆で迎える新年に希望を託していることだろう。

 今でも暗い夜の海に、取り残されたように輝いているわびしい漁り火の下で、働いている漁師たちは、どんな思いで仕事をしているのだろう。

 他の船と共に故郷へ帰らず、まだ残って漁を続けているのには、それぞれ様々な事情があることだとは思うが、イカ漁最盛期の9月の頃に比べれば、気温は低く、風も強く、波も荒くなっている。
 ヒーターの効いた運転席で、フロントガラスに吹き付ける吹雪をワイパーで拭いながら沖に浮かぶ漁り火を見ながら、ついそういう思いにとらわれる。

 だが、人は、与えられた仕事を黙々とこなしていかなければならないものだ。それが「生活」であり、生きるということなのだろう。

 来週は、朝から夕方まで会議や打ち合わせ、研究会などがすごい密度で連続する。
 今、それを考えると、正直なところ気が重くなるのだが、季節風の吹き付ける海に浮かんでいる、頼りなげな漁り火を見ていると、「頑張ろう」という気持ちになる。
そうなのだ。
 生きるということは、生きている現実から逃げずに踏みとどまることから始まるのだ。

 だが、福島の原子力発電所事故は、そのような人々の生きる場をメチャクチャにしてしまったのである。

2011年12月7日水曜日

明治製菓の想い出

昨日、「高経年化」など、言葉の言い換えの問題を取り上げたが、偶然にも東京新聞の「筆洗」というコラムに同様の趣旨のことが書かれてあったとのことだった。
 趣旨はほぼ同じで、発表の時期も偶然一致したことが、なんだか心強い。

 小学生の頃、住んでいた家は、車一台がやっと通れる路地に面していた。僕の家の向かいにK山さんという家があった。
 五十代くらいの上品なおばさんと二十代とおぼしきその娘さんとが暮らしていて、小学生だった僕は、ずいぶん可愛がってもらったことを覚えている。
 そのおねえさんは物静かで、あまり強い印象はないのだが、油絵を描いていて、展覧会にも出品していたらしいこと、明治製菓に勤めていたことの二点を、はっきりと覚えている。
 明治製菓は、函館市では数少ない全国規模の会社であり、小学生にとっては、最も身近な企業の一つだから、今になっても鮮やかに記憶しているのだと思う。

 そんな理由で、その頃から明治製菓には、ある種の親しみを感じていて、今になってもお菓子を買う時、なるべく明治の物を選んでいる。
 今回、明治の乳児用粉ミルクから放射性セシウムが検出され、製品の回収を始めたというニュースを聞いて、強い同情を感じた。

 産地の偽装や製造日の改ざん、あるいはデータの隠蔽など、食品メーカーに責任のある問題ではなく、東京電力の原子力発電所事故さえなければ起こらなかったことだ。
 製品の回収で、会社は巨額の損失を被るだろう。

 明治は、東京電力に損害の賠償を求める権利があると思う。
 それとも、東電は、国と結託して決めた「暫定基準値」よりも放射能のレベルが低かった、今回の製品の回収は、明治が勝手にやったことで賠償の義務はない、と居直るのだろうか。

 現実に東電のまき散らかした放射能のために、消費者が不安を感じ、返品したり購入を控えたりしたのだから、東京電力が責任を取るのは当然である。

 それにしても、われわれは、こんな悪魔のエネルギーとは、一刻も早く決別しなければならない。

2011年12月6日火曜日

「除染」は、猫のない笑いか

僕は、Atokという日本語入力ソフトを使っているが、「じょせん」と入力しても一番はじめは、変換されなかった。一文字ずつ「除」「染」と変換した。
 最近のソフトは実に頭が良いので、すぐに変換できるようになったが。
各種の辞書で調べても「じょせん」に該当する単語には行き当たらない。もちろんインターネットの世界では、もう普通に出てくるのだが。
とにかく、「除染」は、今までの日本語には無かった単語らしい。

 毎日、メディアやwebで使われていると、言葉はすぐに「市民権」を得て、昔からある言葉のような表情で流通する。日本語の造語力は、なかなかのものだということができる。
 だが、少し気になることがある。
 言葉や概念が定着するのと、現実の世界でその技術が確立されるのとは別のはずだ。最近は、ある概念を表す単語を皆が使うようになることで、その概念がひとり歩きすることが多すぎないだろうか。

 教育の世界でもこの例は多い。
 「ADHD」とか「アスペルガー症候群」「高機能広汎性発達障害」などなど。

 逆に別の言葉に言い換えることで、負のイメージを払拭しようというのもよく見受けられる。
 例えば、「老朽化」と言わず「高経年化」という。「原子炉の高経年化」と使う。これなどは、悪質なイメージの隠蔽だ。
 僕ももうかなり高経年化が進んでいる。
 これからは、老化と言わずにこう言えば良いかも知れない。
 高経年福祉年金とか高経年者介護施設、高経年者ホームとかね。
 「高経年化意識障害」と言えば、なんか偉そうに聞こえる。
 中国のお酒は「高経年酒」となるのかな?

 一度、「コーケーネンカ」と、耳に入っただけですぐに漢字が思い浮かぶだろうか?実に奇怪な日本語で、言葉を貶めているとしか思えない。

 話題が脱線しましたが、それまで漠然と問題が存在していたものを的確に言語化することで、多くの人が共通理解を持つようになることは便利だし望ましいことだ。文明の発展には必要なことだと思う。

 だが、繰り返しになるが単語が生まれても技術が確立したことには、ならないという点に、今、われわれはもっと注意すべきだ。

 もっとも気になるのは「除染」である。
「除染」しても放射能が消えて無くなるわけではない。ある場所から汚染された土などを取り除いて、他の場所に移すだけか、鋤き返して深いところに埋め込むだけなのだ。
 洗い落としたとしても水に溶かし流して、結局は、地下水→川→海へと流れて行く。

 最近、呪文のようにニュースで繰り返される「除染」という言葉を聞き続けているうちに、「除染」で放射能が消え去ってしまうかのように錯覚しそうな危惧を感じる。まあ、作為的にそうされているのに違いないのだし。

 「チェシャ猫症候群」というものがあるそうだ。もちろん「不思議の国のアリス」に登場するチェシャ猫だ。
 「不思議の国のアリス」に出てくるアリスとチェシャ猫とのやりとり。

アリス  :「チェシャ猫さん、あたしはどこへ行ったら良いのかしら?」
チェシャ猫:「あんたはどこに行きたいんだい?」
アリス  :「ワタシ、どこへ行っても良いんですけど・・・」
チェシャ猫:「へぇ。じゃあどっちに行っても良いんじゃないの」
アリス  :「どこかへ出られさえするならば・・・」
チェシャ猫:「そりゃ、どこかへ出るに決まってるさ。どこまでも進めばね」  
 まともな回答をしないまま、チェシャ猫は笑いながらスーッと消えてしまうのだ。
アリスは消えていくチェシャ猫を見て、
「笑う猫は見たことあるけど、猫の無い笑いなんて初めて見たわ」と言う。

 チェシャ猫症候群というのは、
 症状が顕れているのに病理的な所見がないような場合の呼び名らしい。
極端な例かも知れないが、事故で切断して、今は失われている指の痛みを覚えるような現象だろう。
 英語の「Cheshier cat」には、「理由もなくニヤニヤ笑う」という意味があるらしい。
病因がないのに症状がある。いや、チェシャ猫は「消えた」だけであって、存在しなくなったわけではない。

 「除染」によって、放射線障害、中でも内部被曝による障害という病因が無い(ように見えるだけだが)のに症状だけが存在する現象をあちこちに出現させるに違いない。
 それは、あたかも「猫の無い笑い」に似ているかも知れない。
 しかし、笑い事ではない。

2011年12月5日月曜日

「緩やかな死」への序曲


 3日の土曜日、札幌で開催された、「東日本大震災・福島原子力発電所事故を考えるシンポジウム」の講演者の一人、松井英介さんの話が印象的だった。

 まず、松井先生は、「外部被曝モデルと内部被曝モデル」というヨーロッパ放射線リスク委員会(ESRR)の発表を紹介してくれた。
 それは、外部被曝と内部被曝は、まったく別もので、許容できる線量限度を同じ基準で論じることはできない、というものだ。
 内部被曝の例として「核施設白血病」、「チェルノブイリの子どもたち」、「『劣化』ウランに被爆した湾岸戦争の帰還兵」、「イラクの子どもたち」などの具体的な例を挙げて説明してくれた。
 そして、国際放射線防護委員会(ICRP)の急性外部被曝モデルは根本から見直す必要があると指摘した。要するにICRPは原子力発電を推進していこうという組織だから、呼吸や飲食によって体内に入った放射能から出る放射線によって起こる内部被曝が人体に及ぼす影響を小さく見積もりすぎていると言うのだ。
 そして、日本政府が、それらよりもさらに低線量域のリスクを無視している様子がわかりやすい図に示されている。
 彼の著書、「見えない恐怖ー放射線内部被曝」にその図が載っている。

 今年の本当は一位かも知れない流行語「ただちに人体への影響はありません」は、全く正しかったのである。
 「『ただちに』影響はないが、慢性的な影響については、知らないヨ」という事なのだ。

 講演の中では、肺に入ったアルファ線源となる放射能が、ウニの棘のようにあらゆる方向にアルファ線(アルファ粒子線)を放射してい様子を撮した、恐ろしい写真も紹介されていた。

 チェルノブイリの子どもたちに起こっている病変は、もはや他人事ではない。
 「除染」をどれほど行っても、すでに体内に取り込まれた放射能は、「緩やかな死」へのカウントダウンをすでに始めているのである。

2011年12月4日日曜日

札幌に「阿寒の森」


JR札幌駅東コンコースの壁に作られた「Art box」という展示スペースで、
 「あかんの森 ゆらゆらふぁんたじい」と題して、
 切り絵作家 竹本万亀(たけもと まき:友人だけど芸術家だから敬称は付けないのダ)の作品が展示されている。
3日、シンポジウムの帰りに立ち寄って鑑賞してきた。
 以下は、その印象。

海で生まれた記憶が、
 体内に刻印されているように
 森で生きていた記憶も
意識の底に沈殿しているに違いない
それは
 水面から反射して座敷の壁で踊る光
ひと時も止まることなく
 形を変え続ける
命のゆらぎ
 
時空を跳び越えて
 都市に出現した
 阿寒の森の生き物たちは
 ガラスの箱を飛び出して
 街の隅々に散らばる

 ネオンに照らされる路地にも
 胸を張って建つマンションのベランダにも
地下鉄の線路の間にも
 それらは潜み

エアコンのダクトから忍び入り
ケーブルを伝わり
 電線をたどり
 キーボードの隙間からたち上り
 一瞬で街を占領する

 そして
 都市で暮らす人々の
 森の記憶を揺り動かす



 そして、作者は、次のようにコメントしている。


 人々の行き交う都会の空気のなかに神秘の「あかんの森」が現れ、
日常をふっと忘れる絵本のようなファンタジーへと入り込む瞬間が生まれる。
あかんの森は、今この時も多くの生き物たちがうごめいている。
足を踏み入れると、エゾアカガエルやエゾサンショウウオがかさこそと草の隙間から飛び出し、
ヒグマやエゾフクロウは身を潜め、生い茂る木々の合間にゆらめく影たち。
森の住人たちのざわめきや息遣いの中で、私たちも生き物のひとつとして
ともに今を生きていることを感じられたらと思う。

展示は、来年2月29日まで。

2011年12月3日土曜日

札幌でシンポジウム

札幌に来ている。
 日本科学者会議などの主催するシンポジウム「東日本大震災:超巨大地震・津波被害、福島原発災害考える」に出席した。
 得るところが多かった。詳しい内容は、後日。

2011年12月2日金曜日

算盤勘定でヒグマを見ないでほしい

まずは、新聞記事を2つ

 札幌市など全道各地でヒグマの出没が相次いだことで、高橋はるみ知事は、1日の定例道議会で、「生息数などの調査に着手し、捕獲の担い手の育成などに取り組む」と述べ、北海道全域でヒグマ保護管理計画を策定する方針を明らかにした。自民党・道民会議の田中芳憲氏の一般質問に答えた。
<12月2日読売新聞>

 本年度のヒグマの捕獲数は11月末までで749頭に上り、記録が残る1955年度以降では、62年度の868頭、64年度の794頭に次いで3番目に多くなった。これを受けて道は1日、道内の適正な生息数をはじめ、人や農作物の被害防止策を盛り込んだ「保護管理計画」を策定する方針を決めた。全道の生息数を来年度から2年程度かけて調べ、有識者会議の議論を経て2014年度までの策定を目指す。
 <北海道新聞12月2日朝刊掲載>

 保護管理計画は、あった方が良い。作ることに反対ではない。
 だが、草食獣で繁殖率が高く、エゾオオカミが絶滅した影響で個体数が制御できなくなったエゾシカの場合とヒグマのケースでは、事情が違うことを多くの人に知ってもらいたい。

 記事にあるとおり、本年度の捕獲数749頭は1955年以降では第3位で非常に多い。 だが、その原因について、もっと詳しく分析されなければならない。

 ヒグマは北海道の山林に「いる」のだから、元々山林だった場所を伐り開いて市街地を作った場合、それまでそこを行動圏としていたヒグマが市街地に現れても「市街地に出た」ということになる。
 元々山林だった場所に新たに畑を作っても、そこに現れるヒグマは、「畑に出てきたクマ」になってしまう。だから単純に数字だけを見て「クマが増えている」だから「個体数の調整が必要だ」と考えるべきではないと思う。

 「ヒトと共存していける適正な個体数」も、多角的な検討が必要だと思う。有識者会議には、歴史的視点を加味して、それを是非探り出してもらいたい。
 エゾシカと同様な「増えているから数を減らせ」という、きわめて乱暴な「管理計画」ならヒグマを絶滅させることになるだろう。

 詳しくはわからないが、昨日の高橋北海道知事の答弁を聞いていると、エゾシカによる農業被害が59億円、ヒグマによる被害額が○○○○万円などと、すぐに金の高に話を持って行く。そして、このまま見過ごすことはできない、となる。
金勘定の得意な知事らしい答弁だ。

 高橋知事は、目先の算盤勘定しかできず、自然環境なんて観光資源に過ぎないという思想の持ち主らしいから、そういう答弁がスラスラ出てくるのだろうが、このような事態に立ち至った原因が、人間の経済活動だけにあるという正しい反省に立って、物事を見渡すのが知事の職責ではないか。

 北海道電力の役員や元幹部から政治献金をガッチリ集め、公聴会ではヤラセを野放しにし、泊原発1・2号機の運転再開も容認しようとしている知事であればこそ、北海道で昔からひっそりと暮らしてきたヒグマのことなど、髪の毛の先ほども考えようとしないのだろう。

 「保護管理計画」は2014年までにまとめるのだそうだ。その時まで、この人に知事を続けて欲しくはないが、(続けさせるべきでもないし)もし、これが高橋知事の頭の中にあるような、一方的な「保護管理計画」であれば、僕はもう北海道で環境教育なんかやってられない。
 そんな「計画」には、職を賭して反対するつもりだ。
 (たいした「職」ではないけれど。)

2011年12月1日木曜日

「死んだ女の子」との再会

単なる情報音痴だったのだろうか。
 マスコミの悪意で規制されたのだろうか。
 今朝まで、この歌を知らなかった。

 一昨日、「チェルノブイリハート」の日本公開に当たってのメッセージとして、ナーズム(ナジム)ヒクメットの詩が引用されていた。
 久しぶりにヒクメットに出会った。彼の詩で、日本ではもっとも有名なのは「死んだ女の子」ではないだろうか。
 昔、よく聴いたり歌ったりしたこの歌が聴きたくなり、YouTubeを調べていた。
 すると装いを一新した新しい「死んだ女の子」に偶然行き当たった。歌詞は、同じなのだが全然違う曲になっていた。


 外山雄三作曲 元ちとせの歌うこの歌は、「核エネルギーと人類」について鋭く問いかける力に満ちているように感じた。
 知らなかったのは僕だけかもしれないが、もし、聴いてみたい方がいらしたらどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=EmsRNQ57f1M

2011年11月30日水曜日

チェルノブイリハート

昨日、「チェルノブイリハート」を観てきた。
 2003年に制作された短編のドキュメンタリー映画で、1984年のチェルノブイリ原子力発電所事故の影響(と思われる)ウクライナで出生した障害を持った子どもたちの記録である。特に「チェルノブイリハート」と呼ばれる心臓の奇形(心房や心室、またはその両方の中隔欠損)を持った子どもとその手術にボランティアで取り組む米国人医師チームの仕事をフィルムに収めている。
 
 観る人の感情に訴える側面ばかりが強すぎるいう批判もありようだが、そこが映画のねらいだったのだろうと思う。
 2004年に国連総会で上映されている。
 
 放射線の人体への影響に関して未知な部分が多すぎるから、専門知識の無いわれわれへの伝わりやすさを追求すると、あのような内容になるのかなとも思う。

 疫学的に、つまり状況証拠として、放射線が催奇形性を持っていて、「子どもの子ども」の世代に影響を与えることは確実なようだが、作用機序は必ずしも十分に明らかにされていない。
 この因果関係の曖昧さをめぐって、「反原発派」と「原発推進派」は対立する。
 「推進派」は、原発から発生する利益に群がっているいるし、権力も、お金も、暴力装置もそろっている。マスコミも味方につけている。
 それに対して「反対派」は、圧倒的に力を持たない。より多くの市民の支持に依拠して闘うしかない。そのため、反原発運動は、あくまでも理論的に進めなければならないだろう。
 だから、因果関係のわかりやすい説明が渇望されるわけである。
 この映画が撮られてから現在までの9年間に、分子生物学の分野などで放射線の影響についての研究も大きく前進していることだろう。今後、この方面からのわかりやすい情報提供が増えることを希望する。
そして、感情的なアプローチも大切なことではないかと思う。
 母親が、生まれてくる子どもが健やかで幸せであるよう願うのは、理屈を超えた感情だと思うし、僕たちが次の世代に、健全な環境を残してやりたいと考えるのも自然な感情だと思うから。

 映画の冒頭で、日本公開に際して寄せられたメッセージとしてナジム・ヒクメットの詩が紹介されていた。
 映画の制作者の思いは、ここに込められていると思う。
 僕も同感。

「生きることについて」
                ナジム・ヒクメット

生きることは笑いごとではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば
生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない

生きることは笑いごとではない
あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない

大真面目とは
生きることがいちばんリアルで美しいと分かっているくせに
他人のために死ねるくらいの
顔を見たことのない人のためにさえ死ねるくらいの
深い真面目さのことだ

真面目に生きるということはこういうことだ

たとえば人は七十歳になってもオリーブの苗を植える
しかもそれは子供たちのためでもない

つまりは死を恐れようが信じまいが
生きることの方が重大だからだ

この地球はやがて冷たくなる
星のひとつでしかも最も小さい星 地球
青いビロードの上に光輝く一粒の塵
それがつまり
われらの偉大なる星 地球だ

この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
ましてや死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにコロコロと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ

そのことをいま 嘆かなくてはならない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」と言うつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない

2011年11月29日火曜日

タラとの格闘

「好きなだけ持って行っていいよ。」という言葉につい欲を出し、スケソ(スケトウダラ)の大きな袋を下げて、帰った。
 昨日は、遠来の友人を迎えての夕食の会があったので、それまでのわずかの時間を利用して捌いた。
 20匹近い量だったのですべて頭を落として捨てることにした。実にもったいない。スケトウダラの頭は煮るといい出汁が取れるし、食べても美味しいからだ。
 卵巣と精巣の生殖腺と肝臓を取り出した。
 今日は、釧路へ行かなければならないので、今夜遅くまで家の冷蔵庫に入れることはできない。こんな時は、冬の寒さはありがたい。車のトランクに入れておけば、そこは冷蔵庫よりも低温だろうから。
 しかし、肝臓や生殖腺は傷みやすいし、イキの下がったものは食べたくない。
 そこで、これらは濃い食塩水に漬けた後、蒸してみることにした。
 身の方も海水よりも少し濃い食塩水に漬けてから荷造りした。

 これで今夜まではなんとか鮮度を保つことができるだろう。

 羅臼の前浜のスケトウダラ漁は、かって大変なものだった。盛漁期にはスケソに携わる人で町の人口の倍くらいになり、漁期の2ヶ月少々の期間に120億円から150億円の水揚げを誇っていた。
 スケソ漁をしている人々と温泉で一緒になったことがあったが、彼らが
「もう1本いったか?」
「うん、いったいった。もうすぐ2本目だ」などと会話しているのを聞いたことがある。
「1本」とは1億円の水揚げのことらしかった。

 今の羅臼には、その頃の賑わいはない。
 スケソ漁に来る男たち相手に営業していた、酒場の看板が、山を越の風に痛々しく揺れているばかりでだ。

 「資源」としてのスケトウダラの最盛期は過ぎ去ったのだろうが、「生物」としてのスケトウダラは、この海でしっかりと生きている。
 明日は、この魚を楽しめるだろう。

2011年11月28日月曜日

未熟な社会の未熟な人々

朝夕は、冷え込み、霜で道路が凍っている場所もチラホラと見かけるようになったが、例年に比べると冷え込み方が弱いように感じる。
 過ごしやすいので楽なのだが、その一方で物足りなく感じるのは、ニンゲンの我が儘というものだろうか。

 大阪の選挙で当選した人や、われわれの税金から1200万円も払いチャーター機で中国を訪問した外務大臣など国政の中心にいる「エリートっぽい」人々、100億円を超えるお金をギャンブルに注ぎ込んだ大会社の三代目など、どこか共通するニオイを感じる。
 どの人も何かしらの「勝者」であること、人生の辛酸を体験せずに育ってきていること、そのためだろうが競争によって何でも良くなるという「競争至上主義」を信奉している点、競争至上主義の帰結として新自由主義者であろうと思われる点などが共通しているのだろうか。
 誰をとっても同じような目つき・表情・態度で、どうにも胡散臭く鼻持ちならず、不快な存在だ。

 このような体系を下ざさえしているのが「一流有名大学卒業」というラベルである。やはり日本の入試制度は根本から作り直さなければならないのだろうが、「一流大学」が経歴にハクをつけるためにだけ使われている事実は嘆かわしい。
 同じ大学でも地道にコツコツと勉強している学生や教員も多いだろうに。

 先日亡くなった立川談志は、17歳で柳家小さんに弟子入りしたという。たぶん絢爛たる学歴とは縁のない人だったのだろう。
 だが、彼の知識は古典落語以外にも広く深いものだったことは、ここにあらためて書くもでもないだろう。

 人を肩書きや学歴だけで評価することから日本の社会はまだまだ脱することできないでいる。
 ひょっとしたら、永遠に脱出できないかも知れない。

2011年11月27日日曜日

3号機の稼働

昨日設置した3号機が、本日、稼働を開始した。

もちろん原子炉ではない。
 生ゴミを発酵させて堆肥にするコンポストのことです。

 昨年の春、1号機を設置したが秋には一杯になった。そこで2号機を設置してほぼ一年間使ってきたがそれも満杯になったので3号機の設置ということになったのである。

 気温が低いためか発酵が遅く、堆肥化の進み方が緩やかで、ただちに堆肥化するわけではない。
 想定以上に時間がかかった。
 そこで、3号機の建設?ということになったわけだ。

2011年11月26日土曜日

冬晴れのオリオン星雲


 冬晴れの一日。
 遅ればせながら冬支度が少し進んだ。
 それにしても、ゆっくりと冬支度をする時間がない自分が情けない。

 まあ、それはともかく、カラリと晴れ上がった空は気持ち良い。


 夜は当然のように降るような星。
 そしてキリリと冷え込む。

 しかし、昨夜は新月。
 今日も月の無い闇夜だ。
 星の写真を撮るまたとないチャンス。

 重い三脚を担いで草地に出る。
 北極星にレンズを向けて、露光15分。

 レンズが暗いのだろうか?どうも写りがよくない。
 収穫はオリオン座くらいのものかな?

2011年11月25日金曜日

科学と自然災害、そしてシンポジウム

昨日、北海道の浦河沖で震度5弱の地震があったが、その直前に緊急地震速報が流れた。
「道東から道南の太平洋側の地方で、強い揺れが予想されます」というアナウンスは、一瞬で全身を緊張させる。
 北海道東部に住んでいて過去、数度強い地震を経験しているので、放送を聞きながら、
「また、あんな揺れが襲ってくるのかなあ」と身構えたのだ。
 結果的には、ここ道東地方は震度2で、大きな周期の横揺れが、少し長く続いただけだった。

 以前に体験した震度5クラスの大きな地震は、すべて突然襲ってきた。
 揺れている最中はほとんど為す術がない。これは、予想があろうとなかろうとあまり変わらないのではないかという気がするが、揺れが来る前に自分の周囲を見回し、小さな対応ならできそうな気がした。
 わが家では、ガスレンジで湯を沸かしていたが、揺れの前に火を消すことができたのは、緊急地震速報の効果だった。

 福島第一原子力発電所の事故で、科学技術への不信感が高まっているが、直前とは言え、大地震の予測ができるようになったことは、画期的なことではないだろうか。
 2000年3月31日の有珠山噴火も、当時北海道大学大学院教授だった岡田弘(おかだひろむ)先生らによって、完全に予測され、住民が噴火前に避難したことで人的被害は皆無だったというのも科学の快挙だ。
 
研究費も切り詰められ、応援してくれる企業などもそれほどない厳しい条件の中で、ただひたすら地味な研究に打ち込んでいる科学者も少なくない。
 こういう科学者の爪の垢を煎じて、原子力発電を推進する御用学者たちに飲ませてやりたい。(「ただちに健康被害の出る恐れのないセシウム137などもコッソリ混ぜたてネ)

 岡田弘さんも参加するシンポジウムは12月3日(土)札幌クリスチャンセンターで開かれる。

 シンポジウム「東日本大震災:超巨大地震・津波被害、福島原発災害を考える」
とき:2011年12月3日(土) 13時~
場所:札幌クリスチャンセンター・2Fホール(札幌市北区来た7錠西6丁目)
  報告者:岡田弘  (北海道大学名誉教授)
     ◎「東日本大震災から何を学ぶか…直撃回避への道」 
松井英介(岐阜環境医学研究所)
◎「『低線量』内部被曝と健康管理」
大友詔雄((株)NERC(自然エネルギー研究センター)センター長)
◎「転換期を迎えた自然エネルギーの現状と今後の可能性」
主催:東日本大震災問題シンポジウム実行委員会
(原発問題全道連絡会、自由法曹団道支部、全大教北海道、日本科学者会議道支部、北海道民医連)

2011年11月24日木曜日

地球の息づかい

朝、温暖前線が通過し非常に激しい雨が降った。その後、午前中は気温が上昇したが、昼過ぎに寒冷前線が通過して一気に気温が下がった。
 考えてみれば当たり前の話だが、大気循環の息吹と言ったようなものが直接感じ取れた一日だった。

 地殻や大気の息づかいを正しく感じながら暮らすこと。科学技術が進めば進むほどわれわれはこれを肝に銘じていくべきだろう。
 それを忘れた時、足下をすくわれて、取り返しのつかないダメージを受けるのだ。

2011年11月23日水曜日

知床の海から




 火曜日、「野外活動」の授業は釣りだった。
 港に出かけチカを釣った。

 授業で釣りをするのは奇妙に受け取られるかも知れない。
 「野外活動」という科目は、トレッキングやホエールウォッチング、シーカヤックなど知床で可能な各種の野外活動を安全に楽しむための指導者を養成することを目指している。
 だから釣りも立派な学習項目になる。
 単に釣りをして楽しむだけでなく、体験を通してマナーや心構え、安全のための注意点なども学ばせるわけだ。

特に、釣りは指先の器用さや忍耐力、集中力、注意力などを養うのに、案外有効だと思う。

 もちろん教える側も一緒に釣る。
 釣果はまずまずで、大小入り混じったチカ多数とニシンを一匹手に入れることが出来た。

 大きなチカは開いて一夜干しに。
 小さなチカは唐揚げにして南蛮漬けを作った。

 今夜も知床の恵みに感謝だ。

2011年11月22日火曜日

小指の怒り

パソコンの「Enter」のキーがへたっていることに最近気づいた。
「『ただちに・・・・』だと?」
 「『冷温停止』だと?」
 「『除染』だと?」
 入力する度につい小指に力を込めて「Enter」を叩く。あまりの怒りで。

 「どれほど憤っても、オマエの怒りなど小指の先の力くらいにしかないのだよ」という嘲りの声が「トーデン」とか「ケーダンレン」などから聞こえてくるような気がするが。

 東京電力福島第一発電所の3号機で、20日に1600mSv/hの放射線量が記録されたという。
 この値は過去最高だったと言われているが、マスコミに大きく取り上げられた記憶はない。
 その一方で、「年内に冷温停止」をに到達するという政府や東電の意気込みだけは大きく報道された印象がある。
 これによって、多くの人が、
「原発事故はもう終息。あとは除染してヒトが住めるようになるだけ」という根拠のない安心感を持つよう、誘導され、原発事故は過去のものになる。

 事故が直後も「ただちに健康に影響はない」が繰り返され、放射能への真面目な対策よりも世論の沈静化が優先された。

 言葉を弄ぶのはもう止めるべきだ。

 太平洋戦争で形勢が不利になっても「退却」と言わずに「転進」、
 ボロ負けしても「敗戦」ではなく「終戦」と言い張る。
 何か大きな問題が起きても「課題」と言い換える。

 営業終了の後片付けをしているのに「準備中」という表示を出す。
人権を踏みにじるような差別をしても「区別だ」と強弁する。
 
 これほど言葉を軽んじた人々が、今までいただろうか。
 これほど言葉をねじ曲げた国は、今まであっただろうか。

言葉を冒涜した人々は、言葉によって滅びるに違いない。
 あたかも、マクベスが二重の意味を持つ魔女の予言で破滅したように。

2011年11月21日月曜日

亡霊を復活させてはならない!と思うのヨ

一昨日、忠類川でオオワシの成鳥を見た。
 オオハクチョウたちは今月中旬、滞在数が最大値になり、徐々に減り始めた。次々に南へ渡っているのだろう。
 今年は、南へ行く渡り鳥たちを見送るのが辛い。心が痛む。

 オウム事件の裁判が終わった。

 あまりにも衝撃的な事件で、つい昨日の出来事のような感じがしているが、もう16年も経ってしまったのだ。
 事件の原因や背景に対していろいろな立場から様々の意見が述べられているが、裁判を通して解明されたことはそれほど多くなく、被害を受けた人々にとっては釈然としないものが残っているようだと報じられていた。

 物理学や医学など理科系の優秀な学生や研究者が、数多く教団に入信し、続々と凶行に加わった。事件が明らかになってから、理科教育者の間で、科学的なものの見方を徹底的に教えていくことで非合理主義を退けようと話し合ったことがあった。
 「事実をありのままに見、事実から出発する」
 「物事を論理的に説明する」
 「仮説を立て、実験によって検証し、そこから法則を導き出す」等々のごく当たり前のものの見方をしていれば、空中浮揚などという、物理の初歩の法則から外れた子供だましのトリックに目を眩まされるはなかったと、その場の教師たちは考えた。

 だが、世の中は、単純ではないものらしい。
 原子力発電所の事故で、「科学への不信感」は高まるばかりで、「反科学」などというかび臭い言葉すら復活の兆しをみせている。
(「反科学」の旗を振っている本人たちが、科学技術の頂点が生み出した媒体に依拠しているところは可愛らしくもあるが)
 とにかく、科学への風当たりは一般的に強まっていると考えて良いだろう。

だが、頭を冷やしてほしい。
 原子力発電に固執し、建設を強行し、データを改ざんし、ヤラセを演じている側こそ科学的ではないのだから。

 科学の成果は、鉄腕アトムのように常に人間に味方し人間を助けるために活躍するほど甘いものではない。同時に、人間に害をなす魔物でもない。
 入力された事実に対して、淡々と結果を出力しているに過ぎない。そこに「意図」は存在しない。
 重要なのは、科学の成果をどう役立てるか、または、活用しないかを決めるのがニンゲンの側だということである。
 
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という心情は理解できる。しかし、だからと言って科学を蔑視し、非合理主義や神秘主義に走るのは、どうなのだろう?
 科学は、人間に害をなす魔女や悪魔や妖怪や呪いを否定する一方で疫病から多くの命を救い、飢饉を防ぎ、災害による被害を小さくしてきたではないか。
 もちろん戦争の手先となって大量殺戮を行ってきたのも科学である。

われわれは、自然科学の両面性をありのままに受け入れなければならない。
 「反原発」「脱原発」の機運が盛り上がることは大歓迎なのだが、オウムの亡霊が再びよみがえってくるような事態には立ち至ってほしくないのだ。
 それが気がかりなのである。

2011年11月20日日曜日

拡大する汚染被害

拡大する犠牲だと思う。

 福島市大波地区の米が放射性セシウムで汚染されていたこと。
このような事例は、これからもあるだろう。

 福島第一原子力発電所が事故を起こし、放射性物質がばらまかれるという事態になった時、住民や国民の安全を確保することよりも、事故をいかにして小さく見せるかという命題に真剣に取り組んでいたかという証拠がここにもある。
 米の栽培が不可能な地域をどれだけ小さくするかの努力が払われたのだろう。
  
本当に安全を第一に考えたのであれば、最初からもっと広い地域で栽培を制限すべきだったろう。

 「作っていいです」と言われて、収穫した後で、
 「やっぱりダメでした」と言われた農民の気持ちを考えているとは、とても思えない。

 事実よりも規則が先にあって、規則に触れなければいい。
 規則スレスレでも規則に抵触しなければ、何をしてもいい、という日本人の「真面目で小ズルイ」一面が、この間の出来事で次々と裏目に出ている。

2011年11月19日土曜日

獅子座流星群の夜に下弦の月に出会って考えたこと

獅子座流星群を見ようと
一昨日の深夜、空を眺めに外に出た

雲が密度を増し
星空は見づらくなっていたが
オリオン、木星、火星などの明るい星は見えていた

獅子座はまだ昇っていず
流星の気配もなかった

10年前
間断なく降り注ぐ流星雨を見て
この世にこんな現象があるのだと
心が震えた

それに比べ
なんと静かな夜であることか

どれほど長くても
百年足らずしか自然を観ることができない
人生の短さを指摘するかのように
「未曾有の」自然現象が
眼前に次々と展開する

われわれはそれらを
記録することはできるが
記憶することはできない
こうして
この種族の精神は
遅遅として発展せぬ

雪山で
道を見失い
一つ所をめぐり続ける遭難者のように

東の空に目をやると
月が出ていた

明晩は下弦の月

2011年11月18日金曜日

カニムシとの出会い


「カニムシ」って聞いたことありますか?
「蟹蒸し」=カニを丸ごと一匹蒸した料理・・・ではありません。それは「蒸し蟹」。

「セッソクドーブツ門 シュケイ綱 ギケツ目」漢字で書くと「節足動物門クモ形綱擬蠍目」と小難しく分類されている。

 「擬蠍」つまりニセモノのサソリだ。
 主に土壌中で暮らす陸生小動物で世界に23科3300種。日本には9科に約70種が記録されている。

 体長2ミリメートルほど。鋏の付いた腕を思い切り広げていて、凶暴そうに見えるけど、あれは実は腕ではなく、触肢だ。触肢とは、昆虫や蜘蛛などの口の周りにあるひげ。味や食感?などで食べられるかどうか判断するための感覚器感だ。
 人間でいえば舌や唇に近い働きをしている。

 この派手な
「いつでもやってやろうじゃないか。来るなら来てみやがれ!べらぼーメッ!」というポーズは、ほとんどの虫が地味で、ひっそり生きている土壌動物たちの中では、とても目立つ。顕微鏡下の人気者である。
 ただし、本人?は、いたって臆病だ。驚くとこのポーズのまま後ずさりして逃げ回る。見かけと性格がかけ離れているタイプ。

ただし、カニムシは肉食で、自分と同じくらいの大きさのトビムシをその鋏で抑えつけて食べる。そう考えれば、やっぱりミクロの世界の凶暴肉食動物である。

 カニムシは、自然度の高い環境でしか生きられないと言われていて、環境の豊かさを測る指標にも使われている。


 普段注意を払うことの少ない土壌動物の世界では、ひっそりと、しかし、しぶとく生きている生き物がたくさんあ。そこにも食べる・食べられるの関係、助け合う関係、利用しあう関係などがり、サバンナの動物たちと変わらない世界がある。

 放射能をまき散らして土壌を汚染する。
 「ジョセン、ジョセン」と大騒ぎしつつ表土を取り除きあちこちに動かしたり捨てたりする。
 ニンゲンの身勝手な振る舞いに、抗議することもできない小さな生き物たちは、いったいどんな思いで、この間の愚行を見つめているのだろう?

2011年11月17日木曜日

なにも今さら驚くことではないが

北海道電力と北海道庁が醜く癒着して、泊発電所のプルサーマル計画の説明会で「ヤラセ」を画策していた疑いが濃くなった。

 福島県では、検査して「安全」だったはずの※から600ベクレル/kgを越える放射能が検出された。

 前々から、政府の発表や商業マスコミの報道やらには、どうしようもない胡散臭さが付きまとっていた。だから、今回の事態を知っても「やっぱりナ」としか思わなかった。


 だが、考えてみれば、国の機関や当の電力会社が発表することが、まったく信用できない状態というのは、悲しいことだし大変な不幸だ。
 「勝った、勝った」と伝えられ続けいるうちに、大敗北に至った侵略戦争の時代と変わっていないではないか。

 もう一つ、この一連の事態のお陰で、本当に人間にとって必要で、人間を幸福にするための科学技術にまで、人々が不信感を抱くようになっていることも悲しいことに違いない。

 原子力発電を強行した勢力を断じて許すことは出来ない。

2011年11月16日水曜日

初雪


初雪が来た。
 昨夜から急速に冷え込み、朝、うっすらと雪が積もっていた。
 昼間の日差しと気温の上昇で、雪はあっという間に消えたが、
 「もうじき、ちゃんと来るからね」と言い残して、去って行ったような感じがした。

 初雪の書き置き一筆、草の上。「やがて地上を覆い尽くさん」

2011年11月15日火曜日

「いま、気になること」の原因について

昨日の記事に、次のようなコメントを頂戴した。
再録させて頂く。

親も一因かもしれません。

親にとって都合のいいように、こうしなさい、それはだめと叱り親が思う通りにやらせてきた結果、自分で考えない人間ができるのではないでしょうか。今まで親がいけないこともやることも決めてきたのですから、自分で考えるチャンスがなかったのかもしれません。また、叱られないためには親の顔色を伺うのがベストと防衛手段でもあったんでしょう。
かわいそうに、話を聞いてくれる人がいなかったんですね。

ふと思ったのですが、みんなでディスカッションする授業ってどうでしょう。ブレインストーミングみたいに一人3回は必ず発言するとか。そういう授業が日本には欠けているせいか、外国人との打ち合わせで黙りこむ日本人をよく見かけます。


まったくその通りだと思う。
日本の社会では、いつの間にか真理や正義よりも、誰かの決めた「正解」が優先されるようになってしまった。

多くのおとなも、その子どもも、そこにある「正解」を手探りしながらものを考える習慣が染みついてしまったようだ。

これは、怖ろしいことなのである。
もし、その「正解」を決めるのが「将軍さま」だったら、あの国と同じではないか。

フクシマ第一原子力発電所の事故以来、その色彩が一段と濃くなっているように思う。
あれら4つの原子炉がまき散らした放射能は、その前に固められた「自立的判断力」「建設的批判力」を失った精神構造からなる社会の上に降り積もった。

放射能はもちろん怖ろしいが、その下にあるココロの地層には、もっと怖ろしいものが埋まっている。

そして、そんな精神を形成するのに、少なからず荷担しているのがゲーム会社かもしれない。

2011年11月14日月曜日

いま気になること

ごく個人的な思いを書きたい。

 顔色を窺う生徒が増えていないだろうか?

 つまりこういうことだ。

 生徒を飽きさせないよう、配慮しながら授業を進めていくのは今や高校でも常識だ。
 一方的な「講義型」の授業では、通用しずらくなって久しい。

 そこで、授業中に様々な工夫を凝らした(それほどでもないが)発問(これは「業界用語」かな?ようするにこちらから生徒への質問です)をしながら授業を進める。
 できるだけ生徒に考えさせたいので、考えさせるように考えた発問をする。(クドイ!)

 ねらいとしては、教師からの質問への答えを考える作業をさせたいのである。

 僕が最近感じる不満は、生徒たちが答える時に、あまり考えずに答えることだ。
 質問に対して、とりあえず何か答えを言ってみる。そしてこちらの顔色を窺うのだ。
 「答えが違っていそうだ」と判断すれば、すぐに別の答えを言う。そしてまた、顔色を窺う。
 時によってはそれが正反対の答えだったりするワケね。

 「バカヤロオ!結局オマエの考えはどっちなんだ?」と詰め寄りたくなる。
 (詰め寄る時もある。)

 正解を出すことより考える過程を大切にしたいのに、いつから、こんな卑屈なニンゲンが増えたんだろう?
 
 こんなクソ面白くない精神を持った子どもたちを生み出した、現代の日本社会を僕は憎む。

2011年11月13日日曜日

サヨナラ東京


 昼過ぎに羽田空港を飛び立った。
 いつになくホッとした感覚を覚えた。
 東京の方々には申し訳無いが、やはり放射線の影響から少しでも遠い地へ帰ることのできる安心感を感じる。
 そして、出来るなら、自分の身内中でも年若い身内は、なるべくこの地に来させたくないという思いを強くした。

 座席は左舷の窓側だった。
 ふと外を見ると富士山が雲の上に堂々と頭を出している。コニーデの美しい斜線が目を捉えて離さない。まだ、東京湾の真上にいる。東京から富士はこれほど近くにあるのだとあらためて感じた。

 そして、ふと考えた。
 こんな美しい山。美しいということは、この山が若い活火山であることの何よりの証拠だ。日本という国は、列島全体が火山で出来ていると言っても過言ではない。
 これだけ火山があること。富士のような若い火山があるということは、地質的にもきわめて不安定であるということだ。

 そんな不安定な土地に原子力発電所を建てまくるなんて!
 どう考えても暴挙だ。狂気の沙汰である。

 原子力発電の技術は、アメリカやヨーロッパなど地震も少なく安定した地盤を持っている国で開発された。それをそのまま日本に導入するとは。
 明治維新以来、日本は欧米の技術を導入し、改良して今日の「繁栄」を築き、「技術大国」を標榜してきた。
 たしかにそれはそれで素晴らしいことだと思う。

 だが、欧米に追いついて、まだたかだか百年ほどなのだ。少し、急ぎすぎていないだろうか。
 科学技術ばかりでなく、欧米の植民地主義も真似た。そして手痛い失敗をしたのではなかったか?

 あまり知られていないようだが、風力発電用の大規模風車も同じような失敗例だと聞いたことがある。デンマークで生まれ、風量や風向が安定しているヨーロッパの風に合わせて設計された風車は、平野が少なく山が海に迫っている地形の日本のような不安定な風で回されると軸の部分がいつも大きな力を受けて、故障しやすいのだそうだ。

 日本人は「猿まねが上手い」と揶揄される。
 「真似」がすべて悪いとは思わないが、設計思想や歴史的な背景まで視野に入れた真似ではなく、上辺だけを模倣したのでは、手痛い失敗を繰り返し、世界の笑い者になってしまうのではないだろうか。

 そういう愚行に気づく人が、もっと増えて欲しいと願う。

2011年11月12日土曜日

東京海洋大学で


 その標本は、ミニバン3~4が入ればいっぱいになるほどの小さな建物の中に押し込められるように展示されていた。二頭分だった。
 
扱いが粗末なのではない。入れきらないほど大きいのだ。セミクジラの骨格だから。やむを得ないだろう。

 痕跡的な骨盤まで付いている。
 会議が東京海洋大学で開かれていたので、しばらくの間、鯨たちをゆっくり対面することが出来た。

 必要時上に鯨を神格化したり美化したりする考え方とは距離を置きたいと思うが、こんな巨大なほ乳類が海で暮らしているという事実は素直に受け止めたい。

 海や地球は、ニンゲンだけのものではない。
 骨格は、静かにそう思っているようだった。

2011年11月11日金曜日

東京の放射線量

出張で東京にやって来た。
 以前から気になっていたので、放射線量計を持参した。

 正直なところ、北海道の我が家の周辺とどのくらい違うかが知りたいという野次馬的な気持ちもある。
 しかし、購入した線量計が、正しく動作しているのかどうかを確認したいというマジメな理由もあった。

 千代田区のホテルの部屋で、0.14~0.21(μSv/h)だ。
 50メートル離れたコンビニからホテルまでの歩道を測ってみたが、0.15~0.24を示した。
 街路樹の周りや側溝の上がやはり高い。はっきりと有意な差が表れた。

 北海道の自宅では、線量が低い時は0.08を示す。
 どれほど精密なものかわからないので、数値そのものは完全に信用できない。けれども相対的に東京の放射線量が高いことは明らかだろう。
 東京では「0.08」は示されない。

 この放射線量は、もちろん「ただちに健康への影響が出る」値ではない。しかし、福島原発の事故によって、東京の人々は、本来浴びる必要のない放射線を浴び続けているということは事実だろう。

2011年11月10日木曜日

授業の一コマ




 今日から根室の日の入りが15時台になった。
 光の冬である。

 弱まる日差しを追いかけ、「野外活動」の授業は牧草地へ出かけた。

 狭苦しい校舎から解放された子どもたちにとって、この場所に立つこと自体が、もう既に十分な学びになっているのではないだろうか。

 ここも知床なのである。

2011年11月9日水曜日

立冬の知床から



 羅臼岳が雪を被った。
 羅臼岳のみではなく、標高800メートルより高いところは雪になったようだ。
この雪は、もう春まで融けないのではないかという予感がしている。
 いよいよ、知床にも冬が来る。

 家でも、たまに薪ストーブを焚く。
 薪ストーブは強力で、部屋の片隅で燃えているにもかかわらず、間仕切りのない部分全体が、短パン半袖で過ごせるほどに暖まる。

石油ストーブで、これほどまでに室温を上げると、
 「もったいない!」という思いが強くなり、心がチクリとする。
 だが、薪ストーブの温もりは、思い切り手足を伸ばして浸りきることができそうに感じるからおもしろい。

 もちろん、燃やされる樹木に感謝しているのだが。

2011年11月8日火曜日

突然の断水

 羅臼に一軒住宅をお借りしている。
 由緒ある商家だった方の住宅で、大変古い。
 一週間ほど水道を使わずにいた。先週、蛇口を開けたら水の出が悪くなっていた。
「出が悪い」などというものではない。一分間に200ミリリットルくらいしか出ない。
「ほとんど出ない」と言ってもよいだろう。

 屋内の配管も相当に古そうだったからすぐに修理業者に連絡した。

 今日、工事が始まったが念のためということで、まず外の配管を調べた。
 すると、外からの水の供給がすでの悪くなっていることが判った。
外の配管となるとそれは役場の管轄で、役場の水道課の人がすぐに来てくれた。
 来てくれた時点で暗くなって、今日の作業は終了時刻を迎えた。
 その時、役場の方から意外な申し出を受けた。
「お隣の家へ入っている水道管から分岐させて、臨時の配管を引きましょう」と。
 おおっ、なんという親切。
 しかし、即座に辞退した。一日や二日、たとえ一週間水道が出ないからといって、何が問題だろう?

 部屋の中にいて、寝ぼけ眼にボロパジャマで、蛇口をひねれば新鮮な水がどんどん出てくる状況は、贅沢の極みではないだろうか。日常の、そのような便利さに対して、僕たちは、感謝すべきであり、それが当たり前と思ってはいけないのだ。

 生活用水を手に入れるのに、近くの井戸まで水くみに行くというは江戸時代の普通の生活だった。それだって、遠い川まで行き、重い水を担いで帰ってくる時代の生活から見れば便利だったに違いない。

 僕が子供の頃、函館市に住んでいたが、地域によっては、町内に一カ所しかない共同の水道栓まで、家庭で使う水を汲みに行っていた。

 そう。
 水を手に入れるということは、大変な努力と労働を伴うことだったのだ。栓をひねるとドドドッと水が出てくる暮らしなんて、われわれが手に入れて100年にも満たないのではないだろうか。

まして、未来永劫水道が出ないわけではない。ほんの一週間か十日の間のことだ。臨時の配管をして今夜からまた水道を復活させる必要なんか、全然ない。

 便利であることは良いことかもしれないが、便利さに慣れてしまっては自分の中から逞しいココロ失われると思う。


 それにしてもナァ。
 今では、キャンプ場にまで水道がある。
 キャンプというものは文明のありがたさを知ることが目的だ、と昔習ったような気がするのだが、今は、キャンプに行っても、便利な暮らしを手放せない時代なんだナァ。

 こんな些細な日常の出来事からも、病む社会が見えてくるような出来事だった。

2011年11月7日月曜日

放射能を食う話

 原発事故以来、放射能が飛散し、各地の放射線量が高まって、国民の不安が増している。
 日本の半分近くが以上が放射能で汚染されてしまったことは紛れもない事実だし、事故以来、しばしば僕もこのことに言及してきた。

 そして、政府・電力会社・研究機関など原発に関連する巨利に群がる産・学・官が癒着した「原発利益共同体」によって情報が操作され、客観的で正確な情報が提供されないことで、不安感はますます高まっている。

 そのためもあって、一部の人々の間であろうが、放射線あるは放射能に対する恐怖心が必要以上に増幅されているような現象も見られる。そんな人々の多くは不安に駆られ、何を信じてよいのかわからず、しかし、何かせずにはおられない気持ちになっているのだろう。
 一種のパニック状態で「右往左往している」と表現してもよいのかも知れない。
 特に子どもを持つ、またはこれから持とうとするお母さんたちの不安は、どれほどのものだろうと同情する。

 そんな状況であちこちで原子力や放射能に関する「講演会」や「学習会」が盛んに行われている。
 有名な学者や著名人を招聘して行われるもの、知名度はそれほど高くない専門家によるもの、互いに語り合うものなど形は様々だが、日本中でこの半年間に開かれたこの種の集まりが、いったいいくつになるだろう。

 出版物も原発や放射能に関連した書籍が、この半年間にいったい何種類発行されただろう。

 先日、書店の店頭を眺めてふと思った。
 人々が、知りたい学びたいと思い立つことは良いことで、できるだけ放射能や放射線、原子力への理解を深めて、その正しい姿をつかんだ末に判断してもらいたいと願う。
主体的にものを考える人が増えることは良いことだ。

 だが、出版されている本はまさに玉石混淆だと思った。原発は安全で問題ないと力説するものは問題外だとしても、原発に反対し脱原発を訴えるものの中にも、データの表現を都合良く変えて、(「ねつ造して」ではないが)危険性を必要以上に強調しているものがあったりする。
 「脱原発」を望む人々の中には、このような本を購入し意を強くする人もいるだろう。放射能の危険性を誇大に感じて不安にさいなまれる人も出てくるかも知れない。
 講演を行う講師についても同様だと思う。

 もしも、これらの著作者や講演者の中に「脱原発」の波に乗って一財産作ろうなどと考えている人が混じっていたら、ちょっと困ったことだナァと思ったのである。

 僕たちは、どこまで行っても事実から出発しなければならない。
 事実はどうなのかを共有するのが科学であるだ。

 「原発推進派」の測定する放射線量と「脱原発」を主張する学者の測定する放射線量が違っていてはならいのだ。
 もし、その「土俵」が違っていたら、同じ土俵に乗るように努めなければならない。
「原発利益共同体」によって、そのような科学が歪められ、貶められてきたわけだが、原子力に頼らず、自分たちの子孫の世代にも幸福な環境を遺したいと考える人々の側までもが、それと同じ手法で「反原発」の主張をしてよいわけがない。
 まして、「脱原発」を食い物にしてはならないだろう。

 今日、ちょっと思ったことだが。

2011年11月6日日曜日

今年の合同教研

 合同教研が終わった。
 今年の合同教研の公害・環境と教育の分科会では、ここ数年原子力発電に関する話題は出されていなかったが、東日本大震災と福島原発事故の影響で、直接か間接的にこれに触れているレポートが数本あった。

 風力発電の低周波空気振動に関する話題も提供されていた。
 
 原子力発電と風力発電の両者に共通しているのは、建設の巨利に群がる利益共同体の産・学・官の癒着だ。

 それを許している社会の意識構造にも、基本的な問題がありそうに思う。

 どちらにしても、これからのキーワードは「持続可能性」ではないだろうか。

2011年11月5日土曜日

「持続可能性」の一日

 合同教育研究集会が始まった。
環境・公害と教育の分科会では、やはり福島の原子力発電所事故の問題に議論が集中した。
 核エネルギーは、現在の人類には制御できないエネルギーであるという認識は一致していた。
 そして、個人的には「持続可能性」という問題を突き詰めて考える一日となった。

 「持続可能」などと安易に使うべき言葉ではない。だがしかし、持続可能に一歩でも近づけるために、われわれは今、努力を惜しむべきでない、ということ。
 しごく当たり前のことだが、この当たり前のことを何度も何度も確認しながら進むしか、今後の道はないのだろうと思い至った。

 ああ、それにしても、なお愚かな、と嘆きたくなる現実がある。

2011年11月4日金曜日

「タイガからのメッセージ」試写会

 合同教研のために札幌に来たが、偶然にも北大で「タイガからのメッセージ」というドキュメンタリー映画の試写会を観る機会を得た。ロシア、沿海州=ウスリー地方の先住民であるウデヘの人々のタイガで生きてきた歴史と日常を取材し、森林を切り開くことを続けてきた文明の行き詰まりを打開する希望を、タイガでの暮らしに見いだした映画だ。
 優れた作品であるし、現在の日本をはじめ「先進国」の文明に対して鋭く問題点を突きつけていると感じた。

 ウスリーのタイガと言えばデルス・ウザーラの生きていた地である。
 産業革命以後の科学技術と文明は、世界中の様々な土地で暮らす先住民の生活と文化を奪い、追い詰めることをしてきたが今こそわれわれは、謙虚にかれらの世界観、価値観から学び直さねばならないだろう。

 合同教研のレポートも偶然ながらそのような内容のものを書いたので、タイムリーだった。

 このような機会が与えられたことに心から感謝したい。

2011年11月3日木曜日

阿寒の森のカツラの樹


 阿寒の森へ行ってきた。
 久しぶりに、会議とか打ち合わせなどとは無関係に、ノンビリと森を歩きくという目的ででかけた。
その森にはカツラの巨樹があるというの会いに行ってみた。
 
 暖かな一日だった。林床にフッキソウが疎らに茂っており、小さな流れが毛細血管のように森のあちこちを走っていた。この水気の多さと適度な密度に立つエゾマツの影がササの繁殖を良い具合にコントロールし、明るい開放的な林床を作っているのだろうか。

 その巨樹は、林道から少し入った所に立っていた。カツラだった。
 地上から5メートルくらいのところで6本ほどの太い幹に分かれて、天の奥に向かって枝を伸ばしているように見える。
 根元近くでは、それらの幹が一本にまとまり、大人が抱えても5~6人は必要と思われるほどの太さの幹になっている。

 巨樹の下では、時間的にも、空間的にも、自分の小ささを思い知らせてくれる。そして、ちっぽけで取るに足りない存在であることに、ある種の安息を覚える。

 ただ、ただ、ありがたいと思った。

2011年11月2日水曜日

アメリカは大嫌いだ

 アメリカが大嫌いだった。
 アメリカ人の友人は何人かいて、みないい人たちだし、アメリカ人の気質は、どちらかと言えば好きな方だ。

 だけれどアメリカは嫌いだ。

 今度、また一段と嫌いになった。
 ユネスコへの分担金の拠出を凍結したからだ。
 何様のつもりだ!と言ってやりたい。

 UNESCOは、教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないといいう理念で設立のされた。その意義を定めたユネスコ憲章の前文には、
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とある。

 パレスチナが加盟するのは、UNESCO憲章の趣旨に則ったものであり、ごく当然のことだろう。
 アメリカは、イスラエルのシオニストを支援し、トコトン世界の平和を妨害しているわけだ。

 そのアメリカの提灯を持ち、アメリカに尻尾を振り続ける日本の政府も同様で、UNESCOの精神など単なるお飾りくらいにしか考えていないことがよくわかる。
 同じように沖縄県民をはじめ、日本の国民の生命や財産も全然重要視していないのがこの国の政府だろう。

2011年11月1日火曜日

周到に計画された春を見つけに




 「ミョウガだ!」
 「いや、タケノコ?」
 生徒たちは、思い思いの印象を口にした。
 春刈古丹川の林道を奥へ入った場所。
 普通の人は、めったに行くことはない知床の内懐での授業だ。


 「みな、違う。答えは、フキノトウだよ」
 「エ~~~ッ!」異口同音に叫ぶ。

 これから冬に向かおうという11月の今、早春のシンボルであるフキノトウがあることは、大人でもにわかに信じられないかも知れない。

 だが、異常気象による現象ではない。
 ごく普通の当たり前のことなのだ。

 自然は、怠ることなく来春の準備を進めているのだ。
 やがて、この山懐も雪におおわれる。
 そして、また、春がやってくるのだ。

2011年10月31日月曜日

ミュージシャンと知床

天気が崩れるかと思ったが、きわどい所で持ち直し、今日は薄雲が広がった程度だった。
日本海に優勢な高気圧が控えているので、今後もしばらくは安定した天候になりそうだ。

そんな中を、木畑晴哉トリオの面々は帰って行った。
三人は、初めて訪れた知床の地から強い印象を受けた様子だった。


僕には偏見にも似た先入観があって、ジャズと言えば、アスファルトやコンクリートなどの人工物で固められた都会の音楽だろうと思い込んでいた。

だが、考えてみれば当たり前のことだが、音楽は、いや芸術は、すべからく環境との相互作用で生み出されるものである以上、優れた自然環境は、芸術家の感性に、有用で強い印象を与え、インスピレーションを励起するものなのだろう。

ドラマーで、フィラデルフィア出身のラリー・マーシャルさんは、羅臼ビジターセンターの映像を見終わった瞬間、
「わたしは、ここで家を探す。ここに住みたい。」と言っていた。

実現可能かどうかはともかく、心底からそんな気持ちになったのだと思う。


僕は、しばしば、
「自然環境の保護」とか「持続可能な利用」、「絶滅危惧種の保護計画は・・・」などと、シカツメらしく言うが、優れた自然環境は、もっと直接的に人の心に働きかけるものだとあらためて気づかされた。

自然環境の保護のために、科学的なモニタリングやデータの蓄積は重要だ。
同時に心に働きかける力をも等しく評価しなければならない。

自然環境を守ろうとするとき、最後の砦は、ヒトの心なのだと思う。
このことを「自然保護関係者」は、肝に銘じておかなければならない。

だから、多くの人々が情熱を傾けて守ってきたタンチョウを、亜熱帯の暑さの中でに放り出し、観光客誘致に利用しようなどと考えるヤカラに、そういう細やかな感性などあるわけがないのだ。

そして、細やかな感性を持たない者が、道民を代表する知事の座に居座ることなど許されないのだ。

2011年10月30日日曜日

 道東に生息する希少種タンチョウを台湾に連れて行き、動物園で飼育するそうだ。
 温暖な土地での繁殖の可能性を探るというもっともらしい名目を掲げている。

 なんてアホらしい。
 「暖地での繁殖の可能性」を探る前にやるべき事があるだろう!
 北海道における繁殖可能な土地の拡大や確保をもっと真剣に取り組むべきだ。
 国後島や択捉島などタンチョウが自力で移動可能な土地で、繁殖地となりうる場所がまだまだ残されている。
 サハリンやシベリアにもまだ余裕があるはずだ。

 なぜ台湾なのか?

 理由は明白だ。
 北海道に生育するツルを動物園で公開し、観光客の誘致に一役買わせようということだ。 北海道の関係者や知事は、その魂胆を隠そうともしていない。
 知事などは、台湾へ飛んで行って、公開のセレモニーで挨拶までしている。

 タンチョウは、大正13年、十数羽の生き残りが釧路湿原のキラコタン岬で再発見された。それ以来、善意の人々が私財を投じ、私生活を削って保護増殖活動に取り組んできた。また、全国の心ある人々が募金をして支えてきた。

 そうやって千羽を越えるまでに増殖したタンチョウを、「タンチョウ」という種のためではなく、北海道の観光産業振興のためにイケニエにしようというのだ。
 原発再稼働その他の問題で、つくづく破廉恥な知事だと思っていたが、ここまで厚顔無恥、無知蒙昧、カネのためなら何でもしちゃうお調子者だったとは。

 この知事は一日も早くリコールするべきだ。
 同時に、この知事を傀儡として操っている黒幕たちをもいぶしだして叩き出さねばならない。

 それにしても、暑い国に連れて行かれてさらし者にされるタンチョウが哀れでならない。

 釧路市民は、このことに何も感じていないのか?
 環境省は、釧路に事務所がありながら、この問題を看過するのか?
 タンチョウの写真を写している「写真愛好家」の皆様がたは、何も感じないのか?

 日本の自然保護行政にまた一つ汚点が加わった。

2011年10月29日土曜日

JAZZな一日JAZZの力を思い知る

3人のJAZZミュージシャンと釧路から羅臼まで短い旅をした。
見る景色、風の吹く様子、彼らにとってすべてが音楽になるようだ。
音楽が身体にしみついていると言ってよさそうだ。
今まで、あまり交際したことのない種類の人たちだったから新鮮で、嬉しいな出会いだった。

みな芸術家だ。


羅臼に着き、高校の吹奏楽部で指導するところに立ち会った。
驚いたのは、ちょっとした短いやりとりのアドバイスで、生徒の演奏がガラリと変わったことだ。

生徒たちは真面目に譜面を読み、譜面通りに演奏することに一生懸命になっていた。もちろんこれも大切なことだろう。
しかし、
「JAZZは対話であり、互いの思いから音を出し、互いの出す音を聴きながらそれに合わせていくなかで、共に演奏する楽しさを味わうことがもっとも大切です。音楽はコミュニケーションです。」
という言葉に強く感化されたらしい。

生徒の演奏にこれからどのような変化が見られるのか、とても楽しみだ。

2011年10月28日金曜日

修学旅行なんて止メチマエ!

某高校の職員室での会話。
「二年生の5時間目の体育、どうします?」
「う~ん。天気がいいから外でやりたいけどナァ。風が冷たいし、風邪をひかせたらまた、なんか言われるしぃ・・・・。ホントになぁ。」

これは、修学旅行の出発を数日後に控えて、体育教師同士の会話。
似たようなジレンマは野外で活動する科目を持っている僕にもある。
風は強いものの晴天だったこの日、僕も外で授業を取りやめ、教室内での授業をした。生徒たちも、屋内での授業を当然のような態度と服装で受けていた。
 いつもなら、外に出られる服装に着替え、
「先生!今日はどこへ行くの?」と屋外活動への意欲をみなぎらせているところなのに。

 一生に一度の「ハレ」の修学旅行に万全の体調で参加したいあまり、出発前にはまるで感染症から逃げ回るような大騒ぎとなってしまう。

 気持ちは理解できるが、どこかおかしくはないだろうか。

修学旅行の目的は、高等学校学習指導要領(文部省告示第58号 平成11年3月29日)によると、

 「平素と異なる生活環境にあって、見分を広め、自然や文化などに親しむとともに、集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。」

となっている。

 決して物見遊山の旅ではなく、買い物ツアーでもなく、一生に一度の「ハレ」の旅でもないのだ。
 学習活動の延長なのであるし、出発する直前まで「平素の学習活動」をしていて構わないはずだ。と言うより「平素の学習活動」をしていなければならない。

 だいたい、「平素の学習活動」ですぐに風邪をひくような虚弱さで、「平素と異なる生活環境」を無事に乗り切られるワケがない。

 今の修学旅行は、旅行代理店の立てた計画に乗って、出発から帰着までお膳立てされている。交通機関や宿泊施設はもちろんのこと食事の手配、見学先の入場料や拝観料の支払い、記念写真の手配まで、言われるままにお金を支払えば、あとはだまって参加するだけでOKだ。

 旅というものは、行き先を決め、計画を立てる。旅先の情報を集め、交通機関を調べて予約し、宿泊先を確保し、持ち物や服装を考えて出発する。
 自分のことはすべて自分でやるということが基本だと思う。そんな経験のない生徒たちにそのような経験をさせるのも旅の目的であるはずだ。
 それらの大部分を安直に解決して、楽しい結果だけを求めて「団体行動」の中に埋没してしまうのがいまの修学旅行の現実の姿だ。
 生徒に行く先や見学予定の場所、出発時刻や宿泊先を尋ねても、99パーセントは、「知らない」と答えるのが現状だ。

 帰ってきてから、どこへ行ってきたかを尋ねても、答えは同様だろう。
 印象は?と訊くと、九割が
 「宿で友達と話したこと」などと答える。

 こんなお金の無駄遣いが他にあるだろうか。

旅行前に体調管理に特別に気を配るというのは悪いことではない。旅を楽しくするためには不可欠なことに違いない。
しかし、健康管理も自分で考え対応するのが自立した人間だし、そんな人間の育成をめざすのが教育の究極の目的であるはずだ。

寒風の中で体育をしようと冷たい川の中に入ろうと、簡単に風邪をひいたりしない強い身体と自己管理能力を身に付けて、その総仕上げが修学旅行であるべきだろう。

ひ弱な精神と身体のままで、業者の言うなりのお仕着せの計画による物見遊山、買い物ツアーを「修学旅行」というなら、そんなもの無いほうがいい

2011年10月27日木曜日

秋のバイク

  移動性高気圧に日本全体が広く覆われ、好天だった。
 雨の心配がないというので、久しぶりにバイクで通勤した。

 防寒の目的もあり、まだ、十分に履き慣れていないブーツを履いた。
 「慣らし」にちょうど良かった。

 気温が低く、今までなら相当に寒さを感じただろう。
 しかし、このブーツとグリップヒータとウエアのお陰で、快適に羅臼まで走ることができた。夏の暑い時期の信号待ちの時などよりよほど快適だ。
 天気さえよければ、11月いっぱいは走れるかも知れない。

 例によって走りながら歌を考えていた。

十月の風は北西 傾いて肩で斬り込む 無心となって
傾けて草原の道に弧を描く 北西の風に斬り込むように
もう少しスロットル開け 日常のしがらみからも逃げようとして

2011年10月26日水曜日

「鹿よおれの兄弟よ」という文化の匂いについて考えた

 雨が上がると寒気が入ってくる。
 冷え込みの予感のする一日

 昨日、シカの解体途中、ゴム手袋が破れたことに気づかずにいた。
 気づいた時には、すでに手は血だらけ。

 脂肪が皮膚の隙間に入り込み、洗っても洗ってもニオイが落ちない。知らぬ間に髪にもニオイが着いたらしく、ベッドの中もシカ臭くなった。

 「ニオイに敏感な日本人」は、自分たちと異なる匂いの者を異端者として排除してきた歴史をもっている。
 匂いというのは、かなり原始的な感覚だから、この排他性は生理的だと思う。

 稲作米食を中心とした生活を送ってきた和人たちにとって、自然環境を多様に利用し、狩猟採集生活を原則とする続縄文人や琉球人は、排除の対象であったろうし、それが琉球差別やアイヌ民族への差別の根を作ったことだろう。
 「蝦夷」という言葉もそのあたりから生まれたに違いない。

 さらに、時代が進み、武具や馬具を作る人々、死体や獣肉を扱う人々などを自国内に住む同胞でありながら差別してきた歴史も持つ。

 匂いは文化そのものから香り立っている。

 神沢利子作話 パヴリーシン作画の「鹿よおれの兄弟よ」という絵本がある。
 神沢さんはサハリンで幼少期を過ごした。
 パヴリーシン氏はシベリア出身で数々の賞を受けているロシアの国民的画家で、シベリアの森の様子が細部まで繊細に描かれている美しい絵本だ。
 我が身から立ち昇るシカの残り香をききながら、ひと時、自分もシカの兄弟になれたような気持ちが湧き、ウットリとなる。

 これで和人たちから排除されるなら、一向にかまわない。

2011年10月25日火曜日

初猟

 夕方、エゾシカ一頭を捕獲。

 「増えすぎて有害」とはいうものの、あれだけの大きなほ乳類の命を奪うという厳粛な事実にココロが引き締まるのを感じる。
 
 二時間以上の時をかけ、なるべく無駄にならないように解体した。
 今の時期のシカは、脂肪が厚く解体はなかなか大変だが、食べてみると本当に美味しい。

 命に感謝し、ありがたく頂く。
 当分、肉は買わなくても良い。 

2011年10月24日月曜日

タイで大洪水!こりゃタイヘンだ!

 タイの洪水が連日報道さている。おかしいのは、それによる日本の経済への影響だけが、特に大きく取り上げられていることだ。

 洪水のさなかで、人々がどんな状態にあり、どんな困難や危険に遭遇しているかに、まるで関心がないかのうように。少なくともタイでの経済活動に利害関係をもつ人たちとマスコミは間違いなく、そんな態度だ。

 洪水が起きると伝染病の発生や危険な動物による被害、食料や飲料水の不足はないのだろうかと心配になってくる。
 そのような心配に応えるのがマスコミの一番の使命ではないのかな?
 自動車が作れないとか、エビが食えないとかいうのは些末的名問題ではないのか。

 なんでも自国のことを中心に、しかも経済活動への影響を一番に考える、海外のことをイヤラシイ視線でしか見られない、日本の本質が見え隠れしているようで、嫌になる。

 そうやって日本は(日本だけじゃないが)外国の自然環境をもズタズタに破壊してきた。

2011年10月23日日曜日

原野への帰還

釧路川源頭部の分水嶺を越え
原野の中心へ向かって一気に坂を駆け下りる

光さえも電波さえも吸い込んでしまいそうな闇がある

闇がどこまで広がっているか
闇であるがゆえに見えないのだ

ここが
生きていく場所

つい先ほどまで
身を置いていた場所とは異なる場所だ

これほどの近さに
二つの異なる場所が隣り合っている不思議さを覚えながら

闇の底とおもわれる方角へ
加速する



走りつつ闇の底へと呼びかける 応えなき応えを手で探るごとく

2011年10月22日土曜日

昨日のクマ


 昨日、出会ったクマ。
 川の中でマスを捕ってノンビリ食事していた。
 クマとは、かなりかけ離れていたし、こっちは川の上の土手にいたからほとんど危険は感じなかったが、クマの方は大慌てで逃げて行った。
 
 知床のクマが皆、あんな風ならいいのになぁ

2011年10月21日金曜日

幼稚園児と間欠泉

 町内の幼稚園児が羅臼ビジターセンターの見学にやって来た。
 「説明」役を命じられ、幼稚園児30人ほどに囲まれて、ビジターセンター内の剥製、骨格標本などをみながら一巡した。

 終わって、外に出て生き物を探した。
 バッタ類がそこそこいてくれたので退屈させることはなかったが、近くの間欠泉まで足を延ばしてみた。

60~70分間隔で噴出するこの間欠泉だが、生憎なことに今日は事前の情報がなかった。言わば運まかせで行くしかなかったのである。
 間欠泉に到着して10分も経たないうちに噴出が始まり、園児たちは大喜びした。
 おそらく彼らの生涯で初めて見る間欠泉だったのだろう。

 実に幸運な間欠泉見学であった。

 午後からは、高校生を連れて、ルサ川へ行く。

2011年10月20日木曜日

山々に

 今日は、山が美しい日だった。
 「生態系学習Ⅲ」ということで高校生たちと知床峠を越え、斜里町側の岩尾別台地までの区間を往復した。
 羅臼岳・三峰・サシルイ・オッカバケ・知円別岳、そして硫黄山までの「知床中央高地」の山々が青空を背景にクッキリとそそり立っていた。
 午後に訪れたわれわれには、西日を受けてそれが一層きわだって見えた。

 ただひたすらありがたく、心の中で手を合わせた。

 岩尾別台地は、昭和30年代まで農地開拓が行われていた場所で、過酷な自然環境の中であっても人々の温もりのある暮らしが営まれていた。
 この土地で生きた人々が仰ぎ見た時と変わらぬ姿で、この山々は座り続けてきたのだろう。
 落ち着きなく変わっていくのは人間の生活の方で、舗装道路が延び、今やアミューズメントパークとも言える「神秘の湖」知床五湖へレンタカーがかっ飛ばして走り、救急車が急いで駆けつけ、パトカーが焦って追いかける、大都会と変わらぬような場所になり果ててしまった。

 物言わぬ山々は、そんな風景をどんな思いで見下ろしているのだろう。

 生徒に説明している事を忘れ、思わず、ボーゼンとして立ちすくんでしまった。

2011年10月19日水曜日

写真「愛好家」に告ぐ

 10月ももう下旬に突入する。
 一昨年の今日は、新型インフルエンザに罹って辛い一週間を過ごしていた。

 じつにめまぐるしく時が過ぎる。

 「子どもの一日は短く一年は長い。老人の一日は長く一年は短い。」という言葉あるという。たしかにその通りかも知れない。

 木星が牡羊座にあり、夕方、地平線のすぐ上でひときわ明るく光っていた。


 今日も、「問題の川」へ行ってみたが、件の「写真『愛好家』」は、いなかった。
昨日、知床の困った「写真『愛好家』」のことを書いたが、友人がコメントしてくれた。
 その友人が、川へサケ類の調査に行ったところクマを待ち構える「写真『愛好家』」がいて、
「たいした調査じゃないだろ!こっちは週末 少ない日数で撮影に来てるのに云々・・・」
と横柄な口をきいたのだそうだ。
 もう、こうなると「カメラマン」ではない。
 「カメラマンの真似をしている自分が大好きな、困ったオヤジ」せいぜい「写真『愛好家』」でしかない。

 たくさんの尊敬すべきフォトグラファーを知っている。
 彼らはみんな、自然にも人にも優しく、謙虚な人たちだ。
 そういう人格者でなければ心を打つ写真は撮れない。

 だが、お金を払えばカメラは誰にでも買えるわけで、中には、そもそも自然にカメラを向ける資格のない変質的人格の持ち主がカメラを振り回し、間違えて知床に来てしまう例もあるのだろう。
 たとえばシマフクロウを巡って、タンチョウを巡って、そしてヒグマを巡って地元の住民とトラブルを起こすケースが時々みられる。
 また、山の写真を撮りたい一心でハイマツなどの立木を勝手に切り払ってしまったという事件もあった。
 この程度の「写真『愛好家』」たちは、『上手い』写真は撮れるかもしれないが、人の心を打つ写真なんて、逆立ちしたって撮れっこないだろう。
まして、「週末、少ない日数で撮影に来て」いるようでは、上手な写真さえ撮れないに違いない。

 日本の「写真『愛好家』」諸氏よ!
 反論があるなら堂々と書いてみなさい。
 おそらく、絶対に反論できないはずだ。
 こそこそと隠れるように動き回るか、開き直って妙に攻撃的に居丈高に吠え立てるしかできないだろう。

 その生態こそ、自然の営みとは全く関係のない、困った存在であるだよ。

2011年10月18日火曜日

知床の川とヒグマ

 研究会があり、そのエクスカーションで羅臼町内の川まで行った。

 最近のこの川にはカラフトマスが多数遡上していて、それを目当てにヒグマが集まってきている
 人間との濃厚な接触が続くと、それらのヒグマの中から危険な個体が生まれることも心配される。そうなるとヒグマ生息地域と人の生活圏の重なり合う羅臼町は危険きわまりない事態に陥るのは明白だ。

 ところが、この川のカラフトマスに群がるヒグマに、カメラを持ったニンゲンが群がっていた。
 それもほとんどすべてが町外、中でも本州からの来訪者らしい。

 彼らは、プロのカメラマンが長時間かけ、苦痛に耐えた末にやっと撮影した写真と同じような写真を手軽に安直に撮影したいらしく、カメラを構えてヒグマを待ち構えている。
 ルサ川河口部には漁業の番屋もたくさんあり、人の住む集落からも近い。危険を未然に防ぐためにそこまで出てきたクマは追い払いの対象になってきた。

 そのような地元の事情を知ってか知らずか、ヒグマを自分たちの被写体としてしか見なしていないような写真愛好家がいて、追い払いの業務にクレームをつけているらしい。
 これは、明らかに業務に対する妨害行為だし、羅臼町の住民を危険にさらす犯罪的態度である。

 大部分の写真愛好家は、良心的で、模範的にマナーを守っているものと信じたいが、現実にこのような写真愛好家が一部にいることは、嘆かわしい。

 巨大で強力で物静かなヒグマ。
 キムンカムイと呼ばれ、畏怖され感謝されてきたヒグマへの畏敬の念など微塵も持っていないのだろう。

 断言するが、こういう人々が日本の自然の状況を悪くしているのだなあと実感した日であった。

2011年10月17日月曜日

本当の教師は、いなかったのか!

 南相馬市の5つの小中学校で授業が再開されたと報道されていた。
 新聞には、
 「緊急時避難準備区域の指定が解除された福島県の5市町村のうち、南相馬市原町区の5小中学校で17日、本校舎での授業が再開された。指定解除地域での学校再開は初めて」とある。(読売新聞)
 正直に言うと、ちょっと違和感を感じている。

 その理由。
1:それぞれの学校で「除染」が行われたのだろうが、なぜ5校そろってなのか?
「除染」の作業の進展は場所によって違うはずなのに、5校の足並みをそろえる必要がどこにあるのか。
 原子力発電所が爆発し放射能がまき散らかされるという、かつて経験したことのない大事故だというのに、敢えて5校の足並みをそろえる必要がどこにあったのだろう。

2:放射能による汚染の程度も多様だったろうし、通学してくる児童生徒の状態も様々だ ろう。現に4割程度の子どもたちしか登校していないそうだ。
  再開を急いだように思えてしかたがない。

3;学校に生徒が登校し、授業が行われているという風景はおだやかな社会生活のシン  ボルとなる。いわば平和な日常の象徴だ。
  周りのオトナたちは、「学校の再開」という事実が欲しかったのではあるまいか。

 もしも、そんな一部のオトナの思惑で、児童生徒たちが放射線の危険に曝されるのだとしたら許されることではない。

 学校の再開を判断するのは、本来は校長の仕事だ。
 校長は、自分の学校の環境をよく見極め、判断し、責任をもって決断すべきだ。
 同じ地区とはいえ、他の学校の動向に左右されるのはおかしい。

 しかし、現実には、自分の判断に自信を持てず、周囲の動向や、校長の任命権者の顔色をうかがって決断するということが多いようだ。
 校長が、大きな権限を持っているのは、現場で児童生徒の安全に直接責任を持つためだろう。それが学校を預かる最高責任者の仕事だ。

 五人の校長がそろって同じ日に再開のは、そこへ至る過程で児童生徒の安全よりも学校管理上の都合を優先させているように感じられてならない。

 繰り返すが、これによって危険に曝されるのは児童生徒なのだ。

 ここで、児童生徒の安全を放棄したとすれば、もはや教師とは言えない。

2011年10月16日日曜日

晩秋の原野から

午前中、強い風が吹いていた

この風に乗って、冬が近づいてくるのだろうか

原野とそれに隣接する林の中を歩いてみた

あふれるほど飛び回っていた虫たちもほとんどが姿を消した

ひっそりと寒々しい空気に満ちている

同時に、虻や蚊が群がって来ることは、もうない

厳しい寒さが来る前の今が、もっとも快適に原野を歩き回れる季節だ、とも言える 



ヒトの世界にも似たような風景があるような気がした

放射線が満ちあふれた世界で

 「安全です。ただちに健康への被害はありません」

うるさいくらいにこう叫んでいた者たちが沈黙する

 「経済成長のためには、一刻も早く原発を再稼働させなければならない」

しつこく、こう繰り返した者たちが押し黙る

 「脱原発!脱原発!」

粘り強く、こう主張していた者たちの声が遠のく

そして、地上には、誰もいなくなる
 


そうなることが予感されても

生命は自らの子孫を残す営みを続けるのだろう

冬へ向かう林の中のように

2011年10月15日土曜日

雨の休日

 前線の通過で朝からけっこう激しく雨が降った。
 休日で、家にいて、雨降りで、という三条件が揃うのも珍しい。この三条件が揃うと部屋の片付けがはかどる。

 永年にわたりこびり付くように残っている不要な書類、モノ、ファイルなどの整理をして一日が過ぎた。

 どうせあの世まで持って行けるはずはないのに、ニンゲンはどうしてこれほどモノを集めたがるのだろう。
 モノは集めるより減らす方が難しい。その点ではお腹の贅肉とよく似ている。

 もっとスリムになる努力を続けなければ、としみじみ思った。
 お腹も、部屋も。

2011年10月14日金曜日

天気図

 気象通報を聞かせ、天気図を描かせる授業をやっている。
ギョーカイ人は、「天気図に落とす」などと言う。
 これは生徒にすこぶる評判が悪い。

 彼らは耳で言葉を聞き、その情報を記録する作業を極端に苦手としているからだろう。
 普段の授業でも、教師の話を聴くことを苦手とし、黒板に書かれたこと(「板書=バンショ」と呼んでいるのだが)をソックリ書き写すことが勉強だと信じている者が圧倒的に多いらしいから。

 ラジオのアナウンサーが読み上げる、各地の風向・風力、天気、気圧、気温などを聞き取るのは、非常な集中力を要し、エネルギーを必要とするらしい。
 一連の作業が終わると、深いため息と「疲れた~」という声があちこちからわき起こる。

 今は、携帯電話やTVで簡単に天気図を見ることができる。ファクシミリもある。野外で活動するために、天気図を自分で描く能力は、昔ほど必要とされていないかも知れない。

 だが、船乗りの訓練は今でも帆船で行われているし、飛行機のパイロットだって天測法を学ばなければならない。イザという時でも、もっともシンプルな方法で最大限の効果を発揮して危難を切り抜ける能力を身につける訓練は、いつの時代にも不可欠なのだろう。

 というわけで、野外活動を志す高校生に、天気図を教えている。
 コンピュータを駆使し、TVゲームにどっぷりと浸った彼らには、果てしない苦行と感じられるのかも知れないが、ここで妥協する気はない。

2011年10月13日木曜日

アブナイ国で暮らしていて

 昨日の時事通信の記事。
 「旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故による放射能の影響を調べている ベラルーシの専門家ウラジーミル・バベンコ氏が12日、日本記者クラブ(東京都千代 田区)で記者会見した。
  東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品の 暫定規制値が高過ぎ るなどと指摘し、
 「日本の数値は驚きで、全く理解できない」と述べた。

  ベラルーシはウクライナの北隣に位置し、チェルノブイリ事故後、元原子力研究者ら が「ベルラド放射能安全研究所」を設立。住民の被ばく量検査や放射能対策指導などを しており、バベンコ氏は副所長を務めている。

  バベンコ氏は、ベラルーシでは食品の基準値を細かく分類していることや、飲料水の 放射性セシウムの基準値が1リットル当たり10ベクレル(日本は同200ベクレル) であることなどを紹介。
 「日本でも現実の生活に即した新しい基準値を設けられるはずだ」と語った。

 このニュースと昨日書いた、野田総理大臣の国連演説に対する世論調査の結果で、『評価する』が60%だったという事実を合わせて考えてみれば見えてくるものがあるような気がする。
 それは、この国の人々の多くが、自分で考えて判断する主体性を失ってしまっているという事実だ。 
いや、
 「失う」とは
 「元々持っていたものを無くする」ことだから、最初から持っていなかった場合は、正しい表現ではないかも知れない。

 少なくとも江戸時代以来、「自分で考える」ということをせずに、すべて「御上」に頼ってきたツケかも知れない。
 食品に含まれる放射能の基準値でも、国が決めればその数値だけが絶対視され、はたしてその値が本当に安全なのかどうかを考えもしない。
 その基準(しかもそれは「暫定基準」なのだが)でさえ、ドイツ政府が決めた基準値より桁違いに高いのだ。
 日本の現在の基準は、国民の健康を守るために設けたのではなく、放射能がばらまかれた現実に合わせて決められ、現実を追認するための基準なのだ。
 こんな馬鹿な話は聞いたことがない。

 一事が万事、ずっと以前から指摘されていたことだが。

 そういえば、僕が高校生の頃、世の中の矛盾を言い立てると
「そんなことを言っても現実がこうなのだから仕方ないじゃないか」とよくたしなめられたものだ。
 この国は危ないのだ。
 理想に「現実」を近づける努力をするのではなく、「現実」に自分の価値観や生き方を合わせることを勧めてきたヒトたちの作った国だから。
 そしてそういうヒトたちが多数を占め、選挙で政治家を選んできたのだ。

 そういうヒトたちこそ「売国奴」なんて呼んでも良いのかもしれない。

2011年10月12日水曜日

不思議な60パーセント

 NHKの世論調査によると、野田総理大臣が国連で行った演説で、
「当面原発の利用を続け、原子力の安全の向上に向けた各国の取り組みを支援していく」
と述べたことに対して、
  ●「大いに評価する」が12%、
  ●「ある程度評価する」が44%、
  ●「あまり評価しない」が23%、
  ●「まったく評価しない」が13%になったそうだ。
つまり、約60%の人たちが「ある程度以上評価する」と考えているわけだ。

 やはり、この国のヒトはオカシイのじゃないかと思ってしまう。事故を起こし、まだその被害への補償も決まらない、いや、被害がどれほどだったのかさえ定まっていない。いやいや、事故を起こし、放射能の漏れ出しさえ止まっていない現実がありながら、首相は「原子力発電の利用を続ける」と世界に言い放ったのだ。
 順番が違うのではないか。
 事故を起こし、海へ放射能汚染水を垂れ流し、近隣の国から批判されたのだ。
 まっ先に、事故を起こしたことを詫びるべきじゃないのか。
 そして、「もう二度と原子力には手を出しません。」とまで言って欲しいが、少なくとも事故の要因や原子力発電を推進してきた産・学・官の体質への猛省を表明すべきだったのではないか。
 その上で、今後の原子力発電依存の体質を変えていく決意を表明するのがスジだし、原発が無ければ受ける必要ない甲状腺の検査を受けさせられている子どもたちへの誠意というものではないだろうか。

 そんな演説を6割近い日本人が評価しているのは、どういうわけだろう?
 どうしても理解できない。

 まさか、この60%の人たちは、首相が国連で行った演説への理解力が極端に低くなってているわけではなだろう。

 それとも、ここにも電力会社によるヤラセがあるのだろうか。

 首相演説の内容にも呆れてしまったが、この世論調査結果にも唖然となってしまった。

2011年10月11日火曜日

猫のピョートルの日記より

 四日間も家に一人で置いてけぼりにされていたから、皆が帰ってきてから少しわがままをしてやることにした。

 朝4時半、まだ寝ている親方の顔を舐める。腕を引っ掻いてみる。

 夜、窓のそばで、「出してよ、出してよ」攻撃を繰り返すと、窓を開けて外に出してくれる。
 外を一回りだけして、すぐに戻り、「入れて、入れて」攻撃を加える。
 すぐに入れてくれるが、家の中を一回りして、また、「出してよ、出してよ」攻撃。

 パソコンを使っているとキーボードに座り込んでみる。
 新聞を読んでいる時には、その上に座り込む。

 ニンゲンに意地悪をしてみるのは楽しいな。


 でもね、僕が本当に嫌がらせをして、最後には爪で思い切り引っ掻いてやりたいのは、地球の環境を自分だけのものだと思い込んで、むちゃくちゃに汚しても平気な顔をしているヤツラなんだ。

2011年10月10日月曜日

十勝の温泉でふと思ったこと

 十勝地方北部というのは大雪山地の南麓にあたる。
 然別湖、糠平温泉、ユニ石狩岳、トムラウシ山などがある。
 十勝川水系の源流部だ。

 鹿追町の帰り、トムラウシ温泉へ行く途中のオソウシ温泉という温泉に行ってみることにした。

 台風12号の大雨で、新得町側からオソウシ温泉へ達する道が決壊し、いまだに通行止めになっていた。
 十勝ダムに沿って大きく迂回して行かなければならなかったが、ここまで来て引き返す気にもならず、やや荒れ気味の林道を通って、温泉にたどり着くことができた。

 pH10を越える塩基性の強い湯は透明で、少し硫化水素臭があって、非常に心地よい入り心地だった。
 山奥の林道を分け入って、多くの人がこの温泉を訪ねて来る理由が理解できる。

 近くのトムラウシ温泉ほど有名ではないし、深い山奥の森に囲まれたそれほど規模の大きな温泉ではないことなどが理由で、一度休業に追い込まれて再開されたらしい。

 一方に「温泉ブーム」とか「秘湯ブーム」などがあり、一部の「秘湯」がもてはやされているが、地元で精一杯身体を使って農作業や造林作業を続けてきた人々の疲れを癒し、苦労をねぎらってきた小さな温泉の経営が、圧迫されている現実はおかしいのではないだろうか。

 「温泉好き」や「温泉通」による配慮を欠いた格付けや無責任な評論が、それに追い打ちをかけているのだとすれば、「温泉ブーム」も考え直さなければならないのではないだろうか。

2011年10月9日日曜日

旅の日々

 函館を発った。
 今日は鹿追泊り。
 明日は、峠を越えて道東へ向かう。

2011年10月8日土曜日

朝の散歩から


 この写真は、水族館ではない。

 昨夜泊まったホテルは、津軽海峡に面した海岸にある。
 昔は砂浜だったが、小さな漁港が作られていた。
 朝、そこを散歩してみた。
 意外なことに水がとてもきれいで、魚が泳いでいるのが良く見えた。

 この海岸は潮流が速いことで有名だから、水が汚れにくいのかも知れない。
 魚がたくさん棲み着いているのもその証拠だろう。

 津軽海峡に面した大間に原子力発電所を作るなどもってのほかだと、ますます確信した。

2011年10月7日金曜日

津軽海峡の汀から


 函館に来た。
 海のすぐそばの温泉宿。
 潮騒が心地よい。

 波の音を聞いていると海に抱かれているようだ。
この音は、母の胎内で聞いた、血流の音に似ているのか。

 この海の向こうに本州の大間崎が見える。
 いま、原子力発電所の建設がたくらまれている。

 ここにそんなものを作ることを絶対に許してはならない。

 それは、母を汚すことだ。
 母なる海を、大地を、空を、地球を汚すことだ。

 許してはならない。

2011年10月6日木曜日

札幌市にクマが「出た」



 今朝から札幌市内でクマが目撃されたというニュースが、何度も何度も流れていた。
 人口200万人の大都市だ。クマがノソノソ歩き回っているという話を聞いたら、皆が驚くに違いない。

 けれども、実のところ東京や大阪や名古屋などの大都市とはかなり事情が違う。
 札幌市の西から南にかけては、深い森林を持つ山地に接している。接している、と言うよりその森林自体が札幌市に含まれている。
 だから、札幌市内には(市街では、ありませんよ!)ヒグマが生息しているのだ。

 何かの事情で、そのクマたちが、ニンゲンの居住地に現れたとしても、さほど驚くことではないと僕は思う。
 以前、エゾシカが現れたこともあったはずだ。

 札幌をよく知らない人々のイメージとして、
 「大都会サッポロに熊!!!」という衝撃だけが強調されるということだろう。
 実態とは、少し温度差がある。
 そして、当の札幌市民も含めて、この実態をよく理解していない人が多いようだ。
 ほとんどの人が口を開けば
 「ビックリした」
 「驚いています」とコメントしている。

 本当は、こういう人々の反応の方に
 「驚いています」と言いたい。 

 ヒグマはニンゲンと桁違いの力を持った危険な動物であることは事実だが、北海道にもともと生息した動物だし、北海道で長く暮らしてきたヒトは、この大型ほ乳類と共存してきたのだ。

 危険があるのは事実だとしても、その危険だけを言い立てて排除しようとする態度は、自然への畏敬の念を忘れた、都市生活者の驕りといわれても仕方がないのではないだろうか。

 知床半島には、少なくとも300頭くらいのヒグマが生息しているだろうと言われている。
 羅臼の町中にも、しばしば出没する。
 もちろん、市街地に出てきた者は、追い払うし、危険な行動に及びそうな問題行動個体は、駆除している。また、児童生徒には、ヒグマと遭遇したときの対処法を教え、繰り返し訓練もしている。

 札幌で、今すぐ羅臼と同じようなクマ対策を行うのは困難だろうが、
 「クマが出た」のではなく、「いるクマに出会った」のだという解釈を取り入れ、もう少し長期的で、根本的なクマ対策を取り入れるべきではないだろうか。マスコミもそのような視点から報道すべきではないだろうか。

 そして、もう一点。
 知床で行われているクマ対策中の最終的な対応、「危険な個体は駆除する」という選択肢を真っ向から批判する人々が一部にいる。
 「クマを殺すのはかわいそうだからヤメテ!」という意見だ。
 このような意見は、クマとは縁のなさそうな大都会の住人から多く寄せられる。
 もちろん札幌市民からも。 

2011年10月5日水曜日

山上での暗示



 昨日、ウトロで会議があったが、午前9時に峠の通行止めが解除された。
 峠の頂上から羅臼岳を見るとうっすらと雪化粧している様子が間近で見られた。

 まだ、ほんの少しの雪をまとっただけだが、さすがに凄味のある厳しさが感じられる。

 知床の冬は、このようにして近づいて来る。
 今日、山肌の雪はほとんど消えていた。

 これからしばらくは、季節が行きつ戻りつする日々が続く。

 日本がこれから向かう時代を暗示しているような風景であった。

2011年10月4日火曜日

親友と新友




 先月、本州から四人の来客があった。はるばる訪ねてくれたのは、二組のご夫婦だ。
 大学の研究室の先輩とその奥方、それとその奥さんの陶芸の先生とその夫人だ。

 近くのキャンプ場でバーベキューを囲み、大学時代に戻ったような楽しい会話が弾んだのはもちろんだが、その陶芸の先生との出会いも嬉しいものになった。
 初めてお目にかかったにもかかわらず、ものの見方や考え方に響き合うものあり、様々な問題について、深く掘り下げた話ができたように思う。

 翌日、羅臼でクジラを観て帰港してきた一行と再合流して昼食を共にして、峠を越えて行く彼らを見送った。


 九月末になって、一つの荷物が届いた。
 箱の中には、端正な形の小鉢、皿、湯飲みなどなど。すべてその陶芸家の作品だ。
 すっきりしたデザイン、一色で深い味わいを感じさせ、作り手の心が伝わってくるような作品だ。
(こうして言葉で表現すると、いかにも生意気臭く、言葉が実感について行けない。自分の文章力の無さを痛感する)
 彼は、
「私は、陶芸家と言うより職人なんです。料理を美味しく食べてもらえるための器を作ることを心がけています」と語っていた。
 陶芸のことなどガサツな僕には、まったくわからないのだが、食器でも花器でも、その作られた目的を徹底的に追求することで、美しさに近づくのではないだろうか。

 わが家ので穫れたビーツ、昨年獲ったシカの肉でヴォルシチを作って装ってみた。
 間違いなく、ヴォルシチは一段と美味しくなった。

2011年10月3日月曜日

戻れるのだろうか?

 羅臼の町に霰が降り、羅臼岳に冠雪が見られた。
 一気に冬が近づいたように感じられた日。仕事で海岸に長時間佇んでいた僕は、とても久しぶりに「冷える」という感覚を覚えた。
 明日、ウトロで会議がある。
 知床峠が通行止めになっているので、羅臼=ウトロ間の所要時間は、30分から2時間弱へと一気にシフトした。

 昨日の「幸福論」に思いがけずたくさんの方々からのコメントを頂いた。
 考えてみると、今、「幸福」という問題が非常に重要なテーマになっているのかも知れない。

 「幸福追求権」というものがあり、人類は進歩とともに、皆が少しずつ幸福になっていくべきなのだ。「進歩」とは、もともとそういうことだったはずだ。
 科学技術、社会制度、政治、倫理などなど色々が「進歩」することで、人類はどんどん幸福になれるはずではなかったのか。

もし、現状がそうでないとするなら、「進歩」の足取りのどこかに誤りがあったはずで、誤った時点まで戻ってやり直さなければならないだろう。

 戻れるものなら、ね。

2011年10月1日土曜日

アオサギ

 なんとなく アオサギが集まり始めているように感じた。
 アオサギたちは、冬には、本州方面へ渡って越冬してくるから、この辺りからは完全に姿を消す。
 今、彼らが集まっているのを見ると、集団で旅に出る相談でもしているように見える。

 今年の本州方面は、放射能による汚染が心配だから、
 「渡っていくなら日本海側を通って、できるだけ南へ行った方がいいよ」とアドバイスしてやりたくなるが、悲しいかなそんなことを伝える術はない。

 夕暮れの湖畔の一画に集まっているアオサギたちを見ていると、切なくなる。

九月最終日

9月30日(金)

 いつの間にか秋になっていた、というのが正直な感想だ。
 そのぐらい8月後半と9月は忙しかった。
 忙しがっていた、のかも知れないが。

 昨日と今日、遅い夏休みをもらって養老牛温泉にやって来た。。
 今日、川沿いの露天風呂にゆっくりと浸かっていて、やっと休日らしさを実感した。

 来週からは、また・・・。

2011年9月29日木曜日

秋のひととき

原野は今、秋

光る草は、真っ盛り


 セイヨウオオマルハナバチの標本整理をした。
 何やかやと言って、今年200頭を超す数を捕獲している。
 今まで、特定の種をこれだけたくさん捕獲したことはないかも知れない。
 
野生生物の生息数を人工的にコントロールしようという試みは、大体が芳しい結果にはならないものだが、昆虫を相手にした時は、特にそう言えるかもしれない。

2011年9月28日水曜日

攻城戦





 羅臼町内にセイヨウオオマルハナバチの巣があるらしいことは、少し以前からわかっていた。そばに小学校があり、その付近での捕獲数が突出して多かったからだ。
 一ヶ月くらい前にハチの出入りする地点が突き止められた。そこはクマイザサの密生する崖の下の方だった。
 場所はわかったのだが密生するササが邪魔になって、地中の巣を掘り出すまでには至っていなかった。大がかりに周囲のササを刈り取って土を取り除かなければ巣を掘り出すことはできないことがわかったからだ。

 そして、ついに、今日、巣の掘り出し作業を行うことになった。
 小学校に連絡したら4年生の子どもたちが理科の時間ということで見学(応援)にきてくれた。

 午前10時、環境省のレンジャー二人と知床財団の職員に僕も加わって作業が始まった。

 やがて子どもたちも到着して、巣から飛び出してくるハチたちを捕まえる仕事を一手に引き受けてくれた。
 子どもたちの網捌きは、ちょっとおぼつかないが人数が多いことで十分効果を発揮して、50頭近いハチを捕らえてくれた。
 今は、新女王が現れる時期で、巣を壊滅させたとしても新女王を逃がしたのでは、防除の効果は半減してしまう。
 そのため、子どもたちの存在は、非常に重要だった。

 激闘一刻。
 ちょうどお昼になる頃、地中の巣は完全に掘り出され、知床に根を下ろそうとしていたセイヨウオオマルハナバチの巣が一つ終焉を迎えた。

2011年9月27日火曜日

38億年の息づかい

「生物はなぜ生きているの?」
 生物の授業をしていて、ごくたまに生徒に質問されることがあった。
 「生殖のためだよ」
 そんな時は、わざと詳しい説明抜きにこう答えてみる。
 質問したのが男の子なら
 「キミだってそんなもんじゃないのか?」と付け加えたりする。

 たいていは、
 「ええええっ!ギャハハハハ」となり、お互いに笑って誤魔化す。

 だが、ヒトの場合はともかく、それ以外の生物について、この答えは間違っていないと思っている。
 生きるためには、まず食べる。食べなければならない。
 つまり自己の生命の維持を図る。
 そして、それが満たされ、時が満ちてくると次の段階は生殖のための行動をとるようになる。つまり種族の維持だ。
 種によっては、極端に利他的な行動が見られる場合もある。
 生命には限りがある。
 誕生した者は、必ず死ぬ。
 いや、「生命活動」とは、「死」へ向かって一方通行の道を進むことそのものだ。
 だから、生命は、自分の生命を受け継い生きる、「次の世代」を生み出すことに、自分の生の全てをかけるのだろう。
 みずからの個体を維持しようとするはたらきも、できるだけ次世代の生命を残す機会を多くしようとするためだろう。

生命は、そうやってみずからの有限性の本質に基づいて、生命を受け継いでいく方法を確立し38億年の地球上の時の流れを旅してきた。
 その生命の流れを、無理矢理押しとどめ、ねじ曲げようとしたのはニンゲンの作り出した放射線であり、放射性物質であろう。

 出張から帰ってみるとアファン(犬)の発情が始まっていた。
 現在生後16ヶ月。
 2回目の発情だ。
 相変わらず年齢の割には子どもっぽい行動が治まらないが、部屋で黙っている時にはずいぶんおとなしく、一見憂鬱そうにも見えるほど、普段の行動と異なる。

 イヌの成長は早い。生後一年目がヒトの15~16歳にあたるという説もある。だからわが家のイヌはもう20歳前後だろうか。
 横顔には母の雰囲気さえまとい始めているようにも見える。
 (まあ、次の瞬間には子犬に戻っているのだが)

2011年9月26日月曜日

北海道へ

 無事に北海道に戻ってきた。
 今回はユネスコ協会連盟主催のユネスコ教員研修会という会合で、持続可能な発展のための教育(ESD)に関する研修会だった。

 「持続可能な未来」と簡単に言うけれど、以前にも書いたように、実際にはそこへ至るまでに解決すべき問題はたくさんあり、そう簡単にはいかない。
 ただ、実際に教育の現場で、児童生徒に伝えるためには、悲観的なことばかり言ってもいられないわけで、現在直面する問題を率直に伝えるとともに、それを解決しようとする意志も伝えていく必要があるだろう。

 そんな感想を持ち帰った。

2011年9月25日日曜日

危険なマチ

 東京三日目。
 何でも簡単に用が足り、こちらの欲求が満たされる便利な街だがとにかく人が多い。
 多すぎる。

 「経済成長」を夢見た政治家や資本家は、今日のこの姿を「繁栄」と受け止めているのだろうか?「豊か」と感じているのだろうか?
 僕には、やはりこれは失敗例のように感じられてならない。
 この街を快適と感じているのは、たっぷりとお金を持っている一部の人たちだけではないだろうか。
 他の人々は、狭い空間に押し込められ、押し込められているという状態に馴らされ、あまり不条理を感じなくなり、この都会暮らしが満足なものだと思わされているのではないだろうか。

 この人の集中をみていると、少子化なんてまったく問題なく、むしろ大歓迎すべきではないかと思えてくる。

 そして、この場所が、事故を起こした福島第一原発からそれほど遠くないという事実も頭から離れない。こんなに人が密集している場所が、原子力発電所事故の影響をジワジワと受ける場所であるということは、この先10年後20年後に、様々な形の放射線障害が多くの人に顕れる可能性がぬぐい去られていないのだ。
 政府は「収束しつつある」という宣伝に躍起だ。事故そのものの沈静化は進んでいるに違いない。だが、長期にわたる影響は、これから徐々に現れてくる。

 オソロシイことである。