2011年2月20日日曜日

「生活水準」と環境維持

 「持続可能な開発のための教育=ESD」という事に関わるようになってかなり経つ。 「環境教育」の延長線上にある概念だ。

 「現在の地球上の資源や環境を持続可能な形で利用しつつ未来へ向かう」と言う理想を語れば、多くの人が、こういう疑問をぶつけてくる。
 「環境をこれ以上悪化させないと言っても、今の生活水準を落とすことは不可能ではないかしら?」と。

 この疑問に、正面から答えている人は少ない。皆、逃げ腰になる。そして、ウヤムヤにしてしまうように思う。
 先日、東京で暮らしているある人と話したときにも同じ疑問をぶつけられたが、僕は、ハッキリと答えてしまった。
 「今の生活水準を落とす覚悟も必要でしょうね」と。

 実は、この論議はあまり生産的ではない。
 まず、「今の生活水準」が何を指しているかが曖昧なままだ。毎日食べる物に不自由せず、こざっぱりした衣類と、雨露寒さをしのぐ住居があるという「生活水準」なら現在の環境諸問題を解決して、人類社会を持続可能な状態に保てるのではないだろうか。
 だが、これに南米で獲れたエビやインド洋のマグロ、オーストラリアのビーフステーキを食べフランスのワインを飲むような食生活。ブランド品を身にまとって強力な冷暖房付きの豪邸で暮らしガソリンを多量に使うクルマを乗り回すといった「生活水準」なら果たしてどうだろう?
 世の中には様々な「生活水準」があり、それへの評価は、主観的になりがちだろう。 だから、同じ「生活水準」でも、幸福に感じる人と不満だらけの人とがいるだろう。
 要はココロの持ち方なのかも知れない。何を幸福と感じるか。何を満足と思うか。
 現代の資本主義は、人々の欲望を暴走させることで太っているところがある。その「成長路線」に皆が乗っていると地球は破滅する。

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