2011年3月26日土曜日

ファシストたちの黄昏

皮肉なものだ。
 東京電力福島第一原子力発電所一号機は、運転開始から今日で40周年を迎えるのだそうだ。
 
 あまたの反対意見、批判、危険性の指摘な拙速を諫める意見を一切無視して建設され運転を強行した結果が現在の状況だ。反対意見の中には地震や津波に襲われた時の危険性をズバリと指摘したものもあった。
 強行した人たちは、なんと申し開くのだろう?月並みの詫び言で済むはずはない。

 新しい技術は、期待と歓迎によって受け入れられるものだが、同時に懐疑と警戒の視線を浴びせられるものでもある。
 自分の姿を写真に撮られると魂を奪われる、と忌み嫌われた時代があった。
 蒸気機関車が登場した時、沿線住民が大反対をしたということもあったようだ。
 携帯電話の電磁波が身体に悪いと信じて疑わない人もいる。
 新幹線沿線の低周波振動で健康被害が出たのは事実だ。
 大規模風車による風力発電が原因の低周波被害も事実である。
 巨大風車は実際、短期間で16羽に及ぶオジロワシを殺した。しかもきわめて残虐な殺し方で。

 技術の発達と進歩は人類に幸福をもたらすべきだし、開発者もそれを願いながら努力しているはずだ。だが、その道のりはで可能な限り慎重であるべきで、開発の過程で様々の角度からの批判や意見に耳を傾ける謙虚さを失ってはならない。

 原子力発電は、批判に一切耳を貸さず、実現を強行した顕著な例であろう。

 聞くところによると「原子力村」というものがあるそうだ。東海村のことじゃない。
 霞ヶ関にあるらしい。みんな仲良しで、企業経営者、監督、保安院、検事、判事、学者、一部マスコミもいるようだ。
 結束は固く、原子力発電を取り巻く大小様々の関連事業の経営者、官僚、学者などが原子力発電所から生じる莫大な利権に群がっているらしい。
 利権に目が眩むと、客観的な安全性なんて全く見えなくなるものだ。
 それを喜んで受け入れている人々のなんと哀れで悲惨なことか。
 本当に気の滅入る話だ。

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