2011年4月7日木曜日

神がかるつもりはないけれど

 チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きた時、その様子が聖書の「ヨハネの黙示録」にある描写と似ていることが人々の話題にのぼった。

『第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。』この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。』(ヨハネの黙示録8:10-11)

 「苦よもぎ」はロシア語で「チェルノブイリ」なのだそうだ。
信じるかどうかは別として、その内容があまりに似ていることに驚いたものだった。

チェルノブイリもスリーマイル島も福島も、事故に至る過程や原子力発電の様式など細かな部分ではいろいろな違いがあるようだ。
 しかし、「原子力発電所が不正常な状態になって、原子炉内部の放射性物質を環境にまき散らした」という「起きた事実」はみな同じだ。

 「予言」というものがあるのかどうか、僕はわからない。
だが、原子力発電所の大事故があっても、原子力発電にしがみついていた結果、今日の事態に立ち至っているのは紛れもない事実だ。

「黙示録」はこうも述べている。
 『これらの災害で殺されずに生き残った人々は、自分の手でつくったものについて、悔 い改めようともせず、また悪霊のたぐいや、金、銀、銅、石、木で造られ、見る事も聞 くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようともしなかった。また、彼らは その犯した殺人や、まじないや、不品行や、盗みを悔い改めようとはしなかった。』
                      (ヨハネの黙示録9:20-21)

ね、「悔い改めて」いないということは事実でしょう。

イエスの言葉が、こう伝えられている。
『その日、その時は誰も知らない。天使たちも知らない。父だけがご存知である。気を  つけて、目を覚ましていなさい。その時は、何時なのかあなたたちには、分からないか らである』(マルコによる福音書13:32)

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