2011年5月27日金曜日

誰が、いったい?

 少々辛口。
 抵抗もあるだろうが、一応・・・。

 日本の国家権力は、歴史上国民の生命や財産を守るという立場に立ったことはないと思う。日本だけではないだろうが。

 権力とは本質的にそういうものだ、という見方もあるだろうが、それは別として、民主主義社会の国家権力は国民の生命財産を守るのが建前というものだ。
 という前提に立てば、戦前や江戸時代やそのもっと以前も含めて、国民のための国家は存在したことがないと言えよう。

 戦争が終わって、60年あまり経ち、「奇跡的に」(と言われている)大きな災害は起こらなかったし、なんとか平和も守られてきた。沖縄は筆頭に、全国の演習場や基地周辺の住民へはそのツケを回してきているが。

 そんなやや生ぬるい環境で、多くの選挙民が政治家を選ぶ基準は、鉄道(新幹線なんかネ)を引っ張ってくるとか、大きなダムを造って仕事を増やすとか、道路を作るとか、○○会館を建てるなどという利益誘導だったのではないか?

 電力会社は、情報操作・隠蔽・手抜き運転など好き放題のことをやっているように見える。 今回の東電の事故でその一部がやっと少し明らかになった。

 それに対して人々が怒りを覚えるのは当然なのだが、ちょっと待ってもらいたい。
 頭から湯気を出して怒っている人たち、大声で補償を求めている人たちに質問してみたい。
 「あなたはどんな政治家に投票してきましたか?どんな基準で投票する候補者を選んできましたか?」と。

 安保条約の破棄が争点になっていた時、小選挙区制が取り上げられた時、最近では、国鉄の分割民営化や教育基本法の改悪が取りざたされていた時、問題を真剣に考えて投票行動に結びつけていたのだろうか?
 自分たちに利益をもたらしそうだから、知り合いに頼まれたから、世話になっているから、信じる宗教の推薦だから、あるいは労働組合の指示だから、エトセトラエトセトラ。

 こんな理由で政治家を選んでいた人は少なくないのではあるまいか。
 あるいは、政治に失望して選挙権を放棄したのではないか?

 どちらにしても、結果的に、そこで選ばれた政治家が、原子力中心のエネルギー政策を進め、福島第一原子力発電所の今回の破滅的な事故に、福島県とその近県に膨大な被害を作り出し、、さらには日本中に、また世界の海を汚したわけである。
 となれば、真の加害者は・・・・・?
 ということになる。

 つまりある意味では、この原発事故の原因は日本の政治風土、あるいは日本の選挙民の民度の低さにあった、ということにならないか。

 さて、そこで、次に何をなすべきか(「次」があればですが)、ハッキリしている。保守でも革新でもかまわないし何教の信者でも構わないが、どのような立場で政治を預かろうとしているか、われわれは、冷徹に見極める眼を持たねばならない。
 少しでもアヤシイ気配を漂わせる候補者には投票しないこと。
 同じように、企業に対しても厳しく見極め、少しでもアヤシイ気配の企業は社会的に葬ってしまうような行動が求められるだろう。

 テレビに良く出ていたとか、発言が景気いいとか、二枚目スターの兄貴であるとかいった馬鹿げた理由で政治家を選び続けると、この国に未来は無くなるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿