2011年7月5日火曜日

ヒトという動物の不思議さ




 昔、運輸大臣(当時)になった途端、国鉄の幹部に圧力をかけ、自分の選挙区の駅に急行列車を停車させた代議士がいた。その時は、公共交通機関の私物化に怒りを覚えた。(もちろん今も考えは変わらないが)

 だが、今回の松本龍復興担当相の暴言と尊大な態度に比べると、あの運輸大臣は、なんだか子どもじみていて微笑ましく思えてくる。
 松本大臣の場合、可愛らしさなどはマルハナバチの毛の先ほどにも感じない。

かの運輸大臣に感じた怒りの感情が薄まったのはどうしてだろう?
 ヒトというのは不思議な存在だ。

 夕方、散歩したら夕焼けが綺麗だった。
 だが、写真に撮ってみるとそれほどでもない。
 カメラの性能もあるだろうが、脳で感じている風景よりもカメラに写る風景の方が真実に近いように思う。
 よく言われていることだが、脳は、眼に映像を補正し、取捨選択し映像として感じていると言われる。
 つまり「見る」と「見える」が協調して視覚が成り立っているのだ。

 実物とそれを感じる側との間に、言葉や電波、活字、モニター、マイク、スピーカーなどが介在すればするほど歪みは大きくなるのだろうか。

 ヒトは他の動物にない、優れた働きの大脳を持ちながら、視覚や嗅覚、聴覚、記憶のみを頼りに毎日を命がけで生きている獣や鳥たちよりも愚かで懲りない存在であることは、間違いなさそうだ。

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