2011年7月7日木曜日

目盛りの違う複数の物差し・・・そして散る日

物差しが複数併存していることによる不安
不満
不毛

原子力発電を巡って、
交わされる意見の論拠が、違いすぎる。

健康や安全、平和な暮らしを続けたいという願いから出発する意見と
消費的生活の持続や経済的な繁栄・成長を続けることを前提とした価値観から出発する意見とが
「対等」であるかのように並べられて論じられる虚しさ。

そして、時には、双方が譲り合うようなポーズも見せつつ。

ほんとうは、突き詰めれば、この両者は並び立たないかも知れない。

未来にわたって、環境が生命を脅かすこのない世の中を作りたいと願うなら、やっぱり少々の快適さはガマンしなければならないかも知れない。

現在以上の快適さ、便利さ、カッコ良さを求め続けるなら、時は原子力発電所が暴走し、生命や財産を脅かされる危険性をはらむ。

どんなに知恵を絞っても、両者の良いとこ取りは成り立たないだろう。
それを、中途半端に両立できるかのような印象を与えるから、混乱がなかなか収拾しない。

きょうは、こんな事を考えながら道ばたの花を眺めていたら、金井 直さんの詩の一節が突然に頭に浮かんだ。

      散る日            金井 直
   さくらの花が散る 惜げもなく己れを捨てるすばらしさ
   うれい顔がそれを眺める いま見たときから散りはじめた
    ようなはなやかさを

   見ているあいだに散り果ててしまいそうな風情
   こんなにゆたかな心がどこにあろう 誰にも見られない
    うちから散っているのだ

   そしてまた 落花に酔った者たちが去ったのちも
   さいはてにむかって散りつづけているのだ

                   『現代の名詩』小海永二編 大和書房刊

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