2011年7月9日土曜日

ちょっと貧しく ちょっと不便で でも安心

 羅臼町は日本の東のはずれにある町だ。人口は6000人弱。鉄道は通っていない。
 JRの最寄りの駅まで100キロ以上ある。

 夏は二本だが、冬は一本の国道しか通じていない。ほんの小さな橋が壊れただけで、「本土」から孤立する。

 スケトウダラの漁獲が、天文学的な数字で推移してた30年ほど前とは違って、今では、それほど多額の水揚げがあるわけではない。

 他の自治体にも言えることかも知れないが、町は深刻な財政難にあえいでいる。

 町長専用のクルマなどとっくに無くなっている。運転手もいない。町長がどこかへ行く時は、自分で運転する。

 町の職員は給料を一部カットされている。

 二つある中学校の校舎はボロボロ。限界を超えている。
 先日、クマ学習で訪れた中学校の体育館では、割れた窓ガラスの所に段ボールを当ててしのいでいた。

 病院も明治時代を彷彿とさせるような建物だったが、つい先日やっと建て替えが決まった。

 職員は、ボールペン一本、消しゴム一つをも大事に使っている。


 佐賀県の玄海町町長が、原発を抱える自治体としての苦衷を述べていた。
「玄海町は日本の西の端にあって、これと言う産業も無いので原子力発電に伴う国からの交付金に頼らざるを得なかった」という言葉が引っかかった。
 地理的に羅臼町との共通点が多いようだ。
 しかし、TVで紹介された玄海町には、立派で新しいスポーツ施設や温泉、学校などが建っている。
 どうしても羅臼町の各種施設と比べてしまう。

 原子力発電所を受け入れ、「原発推進の側」に付けば、こんな立派な町になれるんだ。

 つくづく考えた。
 お金に困っても、町の施設がボロボロでも、今のままの羅臼で良いではないか。
 ひとたび暴走すれば、半径何十キロにもわたり、そして何十年間にもわたり、放射能汚染をまき散らす原子力発電所と同居し、危険と引き替えに「豊かな」暮らしを手に入れるより、たとえちょっとみすぼらしくても安心して暮らせる町の方が良いに決まっている。

 羅臼では皆、このように頑張っているのではないだろうか。
 今年から正式に「持続可能な発展のための教育(ESD)」が町長の町政執行方針に採り入れられた。

 今のままで良いではないか。
 町の前浜根室海峡に行けば、お腹いっぱい食べられるだけの魚が獲れる。
 ウニも美味しい。濃いダシのとれるコンブもある。
 
 悪魔に魂を売ってまで、豊かな生活を求める必要はない。 

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