昨日のつづき。
昨日は、200キロメートルと少しを往復して、その間の燃費は32.4キロメートル毎リットルだった。
普段、通勤に使っていて、27km前後だから、ゆっくり走る値打ちはある。二酸化炭素排出量などまではあまり考えないが、化石燃料を無駄に使わない(それでも使っているのだからあまり大きなコトは言えない)ことは良いことに違いない。
ホンネを言えば、何よりもお財布に心地よい。
そのために片道30分、往復で1時間を余分に費やすことになる。
しかし、これも考え方次第だ。
出発前、木陰に椅子を持ち出し、気持ちよさそうに昼寝するアファン(犬1歳)のそばで、ゆっくりと本を読んだ。
街でもゆっくりと買い物したので帰宅は遅くなったけれど、家で留守番していたアファンに大歓迎してもらった。
クルマと整備された道路があることを前提に100km=約2時間という距離と時間の関係が成り立っている。
ハダカのニンゲンの独力では、こんな関係は成り立たず、別の数値に置き換えなければならない。
だから、現在の構造に硬直的に依存していると、その前提が崩れた時にどうして良いのかわからなくなる。
「発電量が足りなくなる」という事実を突きつけられると(それは脅しも含まれているだろうが)
「原子力発電に頼らざるを得ないかな?」とか
「代替エネルギーを探さなければ・・・」となってしまう。
なぜ、この工業資源の乏しい国で、工業を興工業製品の輸出に頼っていかなければならないのか?
そして、そのしわ寄せで、ほとんど海外からの輸入した材料で作られている天ぷらそばしか食べられないのか?
人が生きていくために必要なものは、お金ではなく食べものではないだろうかと思う。
こんな論議が起こってこないことが、不思議に感じられる昨今だ。
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