2011年9月2日金曜日

経済成長を礼賛する人々への三つの質問

 前から気になっていたのだが、「経済成長」というのは、いつまで続くものなのだろう?

 一般的に生物の「成長」は、ある到達点(目標と言っても良いかもしれない)に達したら止まり、あとは徐々に衰えて死を迎えるものではないだろうか。

 「成長」には、停止と死を必ず伴う。

 それとも「経済成長」だけは、特別なのだろうか?
 いや、特別だと思いたいだけじゃないのか?
 悲しい願望か?

 物理的に考えても、資源には限りがあり、使い続ければいつか枯渇する。さらに、廃棄物が増え続け、やがて処分しきれなくなる。
 放射性物質を含む廃棄物なら、現段階でも処分方法は定まっていない。処分法が未確定なのに、実用化を見切り発車したこと自体が、モラルに反しているし、地球の自然環境が人類だけのものでない、という認識に立てば、あってはならないことだ。

 このような状況になってもなお、経済成長を推し進めるべきだという思想の人がいたら、是非とも次の点をご教示願いたい。

 第一に、経済成長がどんどん進んで、世界中の人が携帯電話や自動車やコンピュータや音楽端末などの家電製品をもれなく手に出来たら(本当にそうなれたら素晴らしいけど)次は、それらの工業製品をどこの誰に売れば良いのか。
 どこを探したら、その市場があるのか。

 第二に、それらの工業製品を作る過程で地下資源を採りまくり、森林を伐りまくり、石油を使い尽くして、海を汚し農地面積を減少させて食料の生産量を減らしたら、僕らは何を食べれば良いのか。

 第三に、工業生産の過程で出る廃棄物、使い終わって廃棄した工業製品をゴミとして処分するには、どうすれば良いのか。
 中でも発電所の原子炉から出てくる放射性廃棄物の安全な処理はどうすればいいのか。

 以上三点について、是非ともご教示頂きたい。
 もし、その説明に納得できたら、僕はこれまでの考え方を変える用意がある。

 しかし、やはり、マトモな説明はできないだろうな。彼らには。
 だから、こんなゴマメの歯ぎしりみたいな質問にちゃんと答えられず、黙殺するに決まっている。

 こうして、反論を黙殺して、ひたすら黙って環境を破壊し続けるのが新自由主義者の本性だろう。
 そこに、僕はそこに、ファシストの影を感じる。

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