2011年9月15日木曜日

曖昧で うつくしい 日本語の危険性

 日本語のLogicalityが問われている。

それは、
「ただちに健康に影響がない」という表現から始まったように思う。
だれもが
「ゆっくりなら影響が出るのだろう」と考えただろう。
「あるいは、時間が経てば悪影響が出る」とも受け取ったかも知れない。
「ただちに」とはどのくらいの時間なのか?
数秒か?
数分か?
数時間?
数日?
数ヶ月?
数年?
数十年?

 「除染」という言葉も不思議だ。
 放射能はそのすべてが放射線を放出して原子核の崩壊を繰り返し、安定な原子に落ち着くまで決して消えて無くなることはない。
 トランプのババ抜きのジョーカーのように、ある場所から取り除いてもどこかに存在し続ける。
 「除染」ですべてが片付いて、ハイ!おめでとう!というわけにはいかない。

 自分の家の中だけキレイにすれば、周りがどんなに汚れてもかまわないというモラルの持ち主ならともかく、命に関わるような危険なものをどう片付けるか、真剣に考えたうえで「除染だ、除染だ」と言っているのだろうか。

 ちなみに、東京電力福島第一原子力発電所では、冷却水を「除染」することによって、行き場のない放射性の廃棄物がどんどん溜まっている。その量は刻々と増え続けている。

 「風評被害」も検証されることなく使われている。
 風評とは、根拠のない評判、ウワサのことだ。
 放射性物質が大量にまき散らかされたのは事実だし、それが原因でいろいろな場所の放射線量が増えている。
 このような事実に基づいて、農水産物が売れなくなったとしたら、それは「原発事故による被害」であって、「風評」によるものではない。
 買わない消費者は、判断の結果買わないのであり、必ずしも「風評」に惑わされたのではない。そんな消費者の行動を「風評」と決めつけるのは、人を愚か者扱いした失礼な表現と言っていい。 

0 件のコメント:

コメントを投稿