南相馬市の5つの小中学校で授業が再開されたと報道されていた。
新聞には、
「緊急時避難準備区域の指定が解除された福島県の5市町村のうち、南相馬市原町区の5小中学校で17日、本校舎での授業が再開された。指定解除地域での学校再開は初めて」とある。(読売新聞)
正直に言うと、ちょっと違和感を感じている。
その理由。
1:それぞれの学校で「除染」が行われたのだろうが、なぜ5校そろってなのか?
「除染」の作業の進展は場所によって違うはずなのに、5校の足並みをそろえる必要がどこにあるのか。
原子力発電所が爆発し放射能がまき散らかされるという、かつて経験したことのない大事故だというのに、敢えて5校の足並みをそろえる必要がどこにあったのだろう。
2:放射能による汚染の程度も多様だったろうし、通学してくる児童生徒の状態も様々だ ろう。現に4割程度の子どもたちしか登校していないそうだ。
再開を急いだように思えてしかたがない。
3;学校に生徒が登校し、授業が行われているという風景はおだやかな社会生活のシン ボルとなる。いわば平和な日常の象徴だ。
周りのオトナたちは、「学校の再開」という事実が欲しかったのではあるまいか。
もしも、そんな一部のオトナの思惑で、児童生徒たちが放射線の危険に曝されるのだとしたら許されることではない。
学校の再開を判断するのは、本来は校長の仕事だ。
校長は、自分の学校の環境をよく見極め、判断し、責任をもって決断すべきだ。
同じ地区とはいえ、他の学校の動向に左右されるのはおかしい。
しかし、現実には、自分の判断に自信を持てず、周囲の動向や、校長の任命権者の顔色をうかがって決断するということが多いようだ。
校長が、大きな権限を持っているのは、現場で児童生徒の安全に直接責任を持つためだろう。それが学校を預かる最高責任者の仕事だ。
五人の校長がそろって同じ日に再開のは、そこへ至る過程で児童生徒の安全よりも学校管理上の都合を優先させているように感じられてならない。
繰り返すが、これによって危険に曝されるのは児童生徒なのだ。
ここで、児童生徒の安全を放棄したとすれば、もはや教師とは言えない。
2011年10月17日月曜日
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