2011年10月28日金曜日

修学旅行なんて止メチマエ!

某高校の職員室での会話。
「二年生の5時間目の体育、どうします?」
「う~ん。天気がいいから外でやりたいけどナァ。風が冷たいし、風邪をひかせたらまた、なんか言われるしぃ・・・・。ホントになぁ。」

これは、修学旅行の出発を数日後に控えて、体育教師同士の会話。
似たようなジレンマは野外で活動する科目を持っている僕にもある。
風は強いものの晴天だったこの日、僕も外で授業を取りやめ、教室内での授業をした。生徒たちも、屋内での授業を当然のような態度と服装で受けていた。
 いつもなら、外に出られる服装に着替え、
「先生!今日はどこへ行くの?」と屋外活動への意欲をみなぎらせているところなのに。

 一生に一度の「ハレ」の修学旅行に万全の体調で参加したいあまり、出発前にはまるで感染症から逃げ回るような大騒ぎとなってしまう。

 気持ちは理解できるが、どこかおかしくはないだろうか。

修学旅行の目的は、高等学校学習指導要領(文部省告示第58号 平成11年3月29日)によると、

 「平素と異なる生活環境にあって、見分を広め、自然や文化などに親しむとともに、集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。」

となっている。

 決して物見遊山の旅ではなく、買い物ツアーでもなく、一生に一度の「ハレ」の旅でもないのだ。
 学習活動の延長なのであるし、出発する直前まで「平素の学習活動」をしていて構わないはずだ。と言うより「平素の学習活動」をしていなければならない。

 だいたい、「平素の学習活動」ですぐに風邪をひくような虚弱さで、「平素と異なる生活環境」を無事に乗り切られるワケがない。

 今の修学旅行は、旅行代理店の立てた計画に乗って、出発から帰着までお膳立てされている。交通機関や宿泊施設はもちろんのこと食事の手配、見学先の入場料や拝観料の支払い、記念写真の手配まで、言われるままにお金を支払えば、あとはだまって参加するだけでOKだ。

 旅というものは、行き先を決め、計画を立てる。旅先の情報を集め、交通機関を調べて予約し、宿泊先を確保し、持ち物や服装を考えて出発する。
 自分のことはすべて自分でやるということが基本だと思う。そんな経験のない生徒たちにそのような経験をさせるのも旅の目的であるはずだ。
 それらの大部分を安直に解決して、楽しい結果だけを求めて「団体行動」の中に埋没してしまうのがいまの修学旅行の現実の姿だ。
 生徒に行く先や見学予定の場所、出発時刻や宿泊先を尋ねても、99パーセントは、「知らない」と答えるのが現状だ。

 帰ってきてから、どこへ行ってきたかを尋ねても、答えは同様だろう。
 印象は?と訊くと、九割が
 「宿で友達と話したこと」などと答える。

 こんなお金の無駄遣いが他にあるだろうか。

旅行前に体調管理に特別に気を配るというのは悪いことではない。旅を楽しくするためには不可欠なことに違いない。
しかし、健康管理も自分で考え対応するのが自立した人間だし、そんな人間の育成をめざすのが教育の究極の目的であるはずだ。

寒風の中で体育をしようと冷たい川の中に入ろうと、簡単に風邪をひいたりしない強い身体と自己管理能力を身に付けて、その総仕上げが修学旅行であるべきだろう。

ひ弱な精神と身体のままで、業者の言うなりのお仕着せの計画による物見遊山、買い物ツアーを「修学旅行」というなら、そんなもの無いほうがいい

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