2011年11月7日月曜日

放射能を食う話

 原発事故以来、放射能が飛散し、各地の放射線量が高まって、国民の不安が増している。
 日本の半分近くが以上が放射能で汚染されてしまったことは紛れもない事実だし、事故以来、しばしば僕もこのことに言及してきた。

 そして、政府・電力会社・研究機関など原発に関連する巨利に群がる産・学・官が癒着した「原発利益共同体」によって情報が操作され、客観的で正確な情報が提供されないことで、不安感はますます高まっている。

 そのためもあって、一部の人々の間であろうが、放射線あるは放射能に対する恐怖心が必要以上に増幅されているような現象も見られる。そんな人々の多くは不安に駆られ、何を信じてよいのかわからず、しかし、何かせずにはおられない気持ちになっているのだろう。
 一種のパニック状態で「右往左往している」と表現してもよいのかも知れない。
 特に子どもを持つ、またはこれから持とうとするお母さんたちの不安は、どれほどのものだろうと同情する。

 そんな状況であちこちで原子力や放射能に関する「講演会」や「学習会」が盛んに行われている。
 有名な学者や著名人を招聘して行われるもの、知名度はそれほど高くない専門家によるもの、互いに語り合うものなど形は様々だが、日本中でこの半年間に開かれたこの種の集まりが、いったいいくつになるだろう。

 出版物も原発や放射能に関連した書籍が、この半年間にいったい何種類発行されただろう。

 先日、書店の店頭を眺めてふと思った。
 人々が、知りたい学びたいと思い立つことは良いことで、できるだけ放射能や放射線、原子力への理解を深めて、その正しい姿をつかんだ末に判断してもらいたいと願う。
主体的にものを考える人が増えることは良いことだ。

 だが、出版されている本はまさに玉石混淆だと思った。原発は安全で問題ないと力説するものは問題外だとしても、原発に反対し脱原発を訴えるものの中にも、データの表現を都合良く変えて、(「ねつ造して」ではないが)危険性を必要以上に強調しているものがあったりする。
 「脱原発」を望む人々の中には、このような本を購入し意を強くする人もいるだろう。放射能の危険性を誇大に感じて不安にさいなまれる人も出てくるかも知れない。
 講演を行う講師についても同様だと思う。

 もしも、これらの著作者や講演者の中に「脱原発」の波に乗って一財産作ろうなどと考えている人が混じっていたら、ちょっと困ったことだナァと思ったのである。

 僕たちは、どこまで行っても事実から出発しなければならない。
 事実はどうなのかを共有するのが科学であるだ。

 「原発推進派」の測定する放射線量と「脱原発」を主張する学者の測定する放射線量が違っていてはならいのだ。
 もし、その「土俵」が違っていたら、同じ土俵に乗るように努めなければならない。
「原発利益共同体」によって、そのような科学が歪められ、貶められてきたわけだが、原子力に頼らず、自分たちの子孫の世代にも幸福な環境を遺したいと考える人々の側までもが、それと同じ手法で「反原発」の主張をしてよいわけがない。
 まして、「脱原発」を食い物にしてはならないだろう。

 今日、ちょっと思ったことだが。

0 件のコメント:

コメントを投稿