2011年11月15日火曜日

「いま、気になること」の原因について

昨日の記事に、次のようなコメントを頂戴した。
再録させて頂く。

親も一因かもしれません。

親にとって都合のいいように、こうしなさい、それはだめと叱り親が思う通りにやらせてきた結果、自分で考えない人間ができるのではないでしょうか。今まで親がいけないこともやることも決めてきたのですから、自分で考えるチャンスがなかったのかもしれません。また、叱られないためには親の顔色を伺うのがベストと防衛手段でもあったんでしょう。
かわいそうに、話を聞いてくれる人がいなかったんですね。

ふと思ったのですが、みんなでディスカッションする授業ってどうでしょう。ブレインストーミングみたいに一人3回は必ず発言するとか。そういう授業が日本には欠けているせいか、外国人との打ち合わせで黙りこむ日本人をよく見かけます。


まったくその通りだと思う。
日本の社会では、いつの間にか真理や正義よりも、誰かの決めた「正解」が優先されるようになってしまった。

多くのおとなも、その子どもも、そこにある「正解」を手探りしながらものを考える習慣が染みついてしまったようだ。

これは、怖ろしいことなのである。
もし、その「正解」を決めるのが「将軍さま」だったら、あの国と同じではないか。

フクシマ第一原子力発電所の事故以来、その色彩が一段と濃くなっているように思う。
あれら4つの原子炉がまき散らした放射能は、その前に固められた「自立的判断力」「建設的批判力」を失った精神構造からなる社会の上に降り積もった。

放射能はもちろん怖ろしいが、その下にあるココロの地層には、もっと怖ろしいものが埋まっている。

そして、そんな精神を形成するのに、少なからず荷担しているのがゲーム会社かもしれない。

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