「好きなだけ持って行っていいよ。」という言葉につい欲を出し、スケソ(スケトウダラ)の大きな袋を下げて、帰った。
昨日は、遠来の友人を迎えての夕食の会があったので、それまでのわずかの時間を利用して捌いた。
20匹近い量だったのですべて頭を落として捨てることにした。実にもったいない。スケトウダラの頭は煮るといい出汁が取れるし、食べても美味しいからだ。
卵巣と精巣の生殖腺と肝臓を取り出した。
今日は、釧路へ行かなければならないので、今夜遅くまで家の冷蔵庫に入れることはできない。こんな時は、冬の寒さはありがたい。車のトランクに入れておけば、そこは冷蔵庫よりも低温だろうから。
しかし、肝臓や生殖腺は傷みやすいし、イキの下がったものは食べたくない。
そこで、これらは濃い食塩水に漬けた後、蒸してみることにした。
身の方も海水よりも少し濃い食塩水に漬けてから荷造りした。
これで今夜まではなんとか鮮度を保つことができるだろう。
羅臼の前浜のスケトウダラ漁は、かって大変なものだった。盛漁期にはスケソに携わる人で町の人口の倍くらいになり、漁期の2ヶ月少々の期間に120億円から150億円の水揚げを誇っていた。
スケソ漁をしている人々と温泉で一緒になったことがあったが、彼らが
「もう1本いったか?」
「うん、いったいった。もうすぐ2本目だ」などと会話しているのを聞いたことがある。
「1本」とは1億円の水揚げのことらしかった。
今の羅臼には、その頃の賑わいはない。
スケソ漁に来る男たち相手に営業していた、酒場の看板が、山を越の風に痛々しく揺れているばかりでだ。
「資源」としてのスケトウダラの最盛期は過ぎ去ったのだろうが、「生物」としてのスケトウダラは、この海でしっかりと生きている。
明日は、この魚を楽しめるだろう。
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