2011年12月6日火曜日

「除染」は、猫のない笑いか

僕は、Atokという日本語入力ソフトを使っているが、「じょせん」と入力しても一番はじめは、変換されなかった。一文字ずつ「除」「染」と変換した。
 最近のソフトは実に頭が良いので、すぐに変換できるようになったが。
各種の辞書で調べても「じょせん」に該当する単語には行き当たらない。もちろんインターネットの世界では、もう普通に出てくるのだが。
とにかく、「除染」は、今までの日本語には無かった単語らしい。

 毎日、メディアやwebで使われていると、言葉はすぐに「市民権」を得て、昔からある言葉のような表情で流通する。日本語の造語力は、なかなかのものだということができる。
 だが、少し気になることがある。
 言葉や概念が定着するのと、現実の世界でその技術が確立されるのとは別のはずだ。最近は、ある概念を表す単語を皆が使うようになることで、その概念がひとり歩きすることが多すぎないだろうか。

 教育の世界でもこの例は多い。
 「ADHD」とか「アスペルガー症候群」「高機能広汎性発達障害」などなど。

 逆に別の言葉に言い換えることで、負のイメージを払拭しようというのもよく見受けられる。
 例えば、「老朽化」と言わず「高経年化」という。「原子炉の高経年化」と使う。これなどは、悪質なイメージの隠蔽だ。
 僕ももうかなり高経年化が進んでいる。
 これからは、老化と言わずにこう言えば良いかも知れない。
 高経年福祉年金とか高経年者介護施設、高経年者ホームとかね。
 「高経年化意識障害」と言えば、なんか偉そうに聞こえる。
 中国のお酒は「高経年酒」となるのかな?

 一度、「コーケーネンカ」と、耳に入っただけですぐに漢字が思い浮かぶだろうか?実に奇怪な日本語で、言葉を貶めているとしか思えない。

 話題が脱線しましたが、それまで漠然と問題が存在していたものを的確に言語化することで、多くの人が共通理解を持つようになることは便利だし望ましいことだ。文明の発展には必要なことだと思う。

 だが、繰り返しになるが単語が生まれても技術が確立したことには、ならないという点に、今、われわれはもっと注意すべきだ。

 もっとも気になるのは「除染」である。
「除染」しても放射能が消えて無くなるわけではない。ある場所から汚染された土などを取り除いて、他の場所に移すだけか、鋤き返して深いところに埋め込むだけなのだ。
 洗い落としたとしても水に溶かし流して、結局は、地下水→川→海へと流れて行く。

 最近、呪文のようにニュースで繰り返される「除染」という言葉を聞き続けているうちに、「除染」で放射能が消え去ってしまうかのように錯覚しそうな危惧を感じる。まあ、作為的にそうされているのに違いないのだし。

 「チェシャ猫症候群」というものがあるそうだ。もちろん「不思議の国のアリス」に登場するチェシャ猫だ。
 「不思議の国のアリス」に出てくるアリスとチェシャ猫とのやりとり。

アリス  :「チェシャ猫さん、あたしはどこへ行ったら良いのかしら?」
チェシャ猫:「あんたはどこに行きたいんだい?」
アリス  :「ワタシ、どこへ行っても良いんですけど・・・」
チェシャ猫:「へぇ。じゃあどっちに行っても良いんじゃないの」
アリス  :「どこかへ出られさえするならば・・・」
チェシャ猫:「そりゃ、どこかへ出るに決まってるさ。どこまでも進めばね」  
 まともな回答をしないまま、チェシャ猫は笑いながらスーッと消えてしまうのだ。
アリスは消えていくチェシャ猫を見て、
「笑う猫は見たことあるけど、猫の無い笑いなんて初めて見たわ」と言う。

 チェシャ猫症候群というのは、
 症状が顕れているのに病理的な所見がないような場合の呼び名らしい。
極端な例かも知れないが、事故で切断して、今は失われている指の痛みを覚えるような現象だろう。
 英語の「Cheshier cat」には、「理由もなくニヤニヤ笑う」という意味があるらしい。
病因がないのに症状がある。いや、チェシャ猫は「消えた」だけであって、存在しなくなったわけではない。

 「除染」によって、放射線障害、中でも内部被曝による障害という病因が無い(ように見えるだけだが)のに症状だけが存在する現象をあちこちに出現させるに違いない。
 それは、あたかも「猫の無い笑い」に似ているかも知れない。
 しかし、笑い事ではない。

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