2011年12月7日水曜日

明治製菓の想い出

昨日、「高経年化」など、言葉の言い換えの問題を取り上げたが、偶然にも東京新聞の「筆洗」というコラムに同様の趣旨のことが書かれてあったとのことだった。
 趣旨はほぼ同じで、発表の時期も偶然一致したことが、なんだか心強い。

 小学生の頃、住んでいた家は、車一台がやっと通れる路地に面していた。僕の家の向かいにK山さんという家があった。
 五十代くらいの上品なおばさんと二十代とおぼしきその娘さんとが暮らしていて、小学生だった僕は、ずいぶん可愛がってもらったことを覚えている。
 そのおねえさんは物静かで、あまり強い印象はないのだが、油絵を描いていて、展覧会にも出品していたらしいこと、明治製菓に勤めていたことの二点を、はっきりと覚えている。
 明治製菓は、函館市では数少ない全国規模の会社であり、小学生にとっては、最も身近な企業の一つだから、今になっても鮮やかに記憶しているのだと思う。

 そんな理由で、その頃から明治製菓には、ある種の親しみを感じていて、今になってもお菓子を買う時、なるべく明治の物を選んでいる。
 今回、明治の乳児用粉ミルクから放射性セシウムが検出され、製品の回収を始めたというニュースを聞いて、強い同情を感じた。

 産地の偽装や製造日の改ざん、あるいはデータの隠蔽など、食品メーカーに責任のある問題ではなく、東京電力の原子力発電所事故さえなければ起こらなかったことだ。
 製品の回収で、会社は巨額の損失を被るだろう。

 明治は、東京電力に損害の賠償を求める権利があると思う。
 それとも、東電は、国と結託して決めた「暫定基準値」よりも放射能のレベルが低かった、今回の製品の回収は、明治が勝手にやったことで賠償の義務はない、と居直るのだろうか。

 現実に東電のまき散らかした放射能のために、消費者が不安を感じ、返品したり購入を控えたりしたのだから、東京電力が責任を取るのは当然である。

 それにしても、われわれは、こんな悪魔のエネルギーとは、一刻も早く決別しなければならない。

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