2011年12月8日木曜日

生きる ということ

東高西低の気圧配置で、北西からの風が強い。
 羅臼は、沢ごとに結構激しい吹雪になっていた。

 氷点下3℃の風はカミソリのように肌を切り付けてくる。
 太陽は一年中でもっとも弱々しい。
 お昼でも夕方のような斜光を投げかけてくる。

 根室海峡のイカ漁もピークを過ぎ、夕方に出漁していく船もすっかり少なくなった。早まった夕暮れの海に、十数個の漁り火が輝いている風景は、一段とわびしさを感じさせる。
 最盛期には、イカ釣り船の集魚灯の光で夜でも本が読めるほどに明るかったのだが。

 羅臼のイカ釣り船は地元ではなく、全国のあちこちから集まって来る外来船が主体だ。今年は豊漁だった上に浜値も高く、先に故郷に帰っていった船の人たちは、今頃家族と再会し、皆で迎える新年に希望を託していることだろう。

 今でも暗い夜の海に、取り残されたように輝いているわびしい漁り火の下で、働いている漁師たちは、どんな思いで仕事をしているのだろう。

 他の船と共に故郷へ帰らず、まだ残って漁を続けているのには、それぞれ様々な事情があることだとは思うが、イカ漁最盛期の9月の頃に比べれば、気温は低く、風も強く、波も荒くなっている。
 ヒーターの効いた運転席で、フロントガラスに吹き付ける吹雪をワイパーで拭いながら沖に浮かぶ漁り火を見ながら、ついそういう思いにとらわれる。

 だが、人は、与えられた仕事を黙々とこなしていかなければならないものだ。それが「生活」であり、生きるということなのだろう。

 来週は、朝から夕方まで会議や打ち合わせ、研究会などがすごい密度で連続する。
 今、それを考えると、正直なところ気が重くなるのだが、季節風の吹き付ける海に浮かんでいる、頼りなげな漁り火を見ていると、「頑張ろう」という気持ちになる。
そうなのだ。
 生きるということは、生きている現実から逃げずに踏みとどまることから始まるのだ。

 だが、福島の原子力発電所事故は、そのような人々の生きる場をメチャクチャにしてしまったのである。

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