2012年2月29日水曜日

流氷が連れてきた動物たち 流氷百話 16/100



 今日、羅臼沖の流氷の密度が高まったように感じる。
 昨夜から今朝にかけて、弱い南風が吹いた。
 そのため標津町の海岸にあった流氷が離岸した。その分だけ羅臼の沖の密度が高まったのかも知れない。

 流氷が岸に迫ってくると、いつもは沖の方にいる動物たちを海岸近くで見られることがある。アラナミキンクロなどのカモの仲間、ウミスズメの仲間など。流氷の上で出産するゴマフアザラシの仔が見られることもある。
 オオワシは氷を食卓として利用している。流氷に追われるようにトドも来る。

 流氷とともにやって来るこれらの生き物は、「流氷が連れてきた動物たち」と呼ばれる。
 羅臼で暮らしているとこれらの動物は身近な存在だが、彼らに会うために、わざわざ遠方から道東を訪れる人たちもいる。
 オオワシは、地球上でオホーツク海沿岸にしか生息していないから、ヨーロッパのバードウォッチャーたちの憧れである。

 知床で暮らす人々とも、これら流氷の周辺にいる生き物たちに対して、もっと興味をもって見てくれるようになればいい、と願っている。

2012年2月28日火曜日

こんな官僚がなぜ生まれたか・・・・エリート教育考

去年3月11日以降の福島原発の事故の時、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI=スピーディ)の情報を国民に知らせなかっただけでなく、その存在さえ総理大臣などに知らせていなかったことが、原子力事故の民間調査委員会によって明らかになった。
 アメリカにはいち早く知らせていたのだから、開いた口が塞がらない。

 これは、おそらく日本の行政を担っている官僚の仕業だろう。それも、政府の中枢にいるエリートたちだ。そして、そのエリートたちの中のさらに選ばれた者たちは政治家になっていて、今や政党の幹部になっている者も少なくない。
 国民の生命、財産、健康を守り、弱い者の立場に立ってものを考え、人権を尊重し、自然の力に畏敬の念をもった官僚は、いったい何パーセントくらいいるだろう?
 その比率は、これら「エリート官僚」と呼ばれる人たちとごく一般的な国民とでは、どのように違うだろう?非常に興味あるテーマだ。

 さまざまな見方があるとは思うが、僕は、教育の観点からこのような国民に害をなす政治家や官僚がどうして生まれたか考えてみた。
自分の受けてきた教育も含めて、戦争直後、現在の六・三・三・四制が始められて以降学校教育は徐々に変わってきた。変化する時代や科学技術に応じて見直されるのは当然だが、それに紛らせて、密かに様々な勢力の思惑が混入してくる。
 早い話が昭和30年代あたりから「エリート」と「一般国民」との分別を前倒しして、可能な限り早い段階から「エリート」には、高度で難解な教育を、「一般国民」には、簡単であまり深く真理に迫らなくて良いようなカリキュラムを与える政策がとられるようになった。これは、あまり目立たないよう、少しずつそっと進められたようだ。

 いろいろな議論があるだろうが、「エリート」と「一般国民」を早々と分けることで、効率的な教育ができる面もあろうが、「エリート」にとっては、「ごく普通の人々」の感じ方や考え方を理解する機会を奪うことにもなると思う。

 防衛局長の暴言、沖縄県庁忍び込み、原発事故、しゃくに障ることは数々あるが、根っこにある要因は。共通しているのではないだろうか。

 機会があれば、もう少し具体的に詳しく書いてみたい。

2012年2月27日月曜日

「理解」すべきは野田さん!アンタだ

今日、一斉に野田総理大臣の沖縄への訪問がニュースになっていた。
たとえば、時事通信の記事の冒頭。

 野田佳彦首相は26日、就任後初めて沖縄県を訪問し、同県糸満市の平和祈念公園や「ひめゆりの塔」など戦跡を視察した。首相は那覇市内のホテルで記者団に対し、仲井真弘多(ひろかず)知事との27日午前の会談では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「県外移設」を撤回したことなどを陳謝するとともに、同飛行場の名護市辺野古への移設に理解を求める考えを示した。(ここまで引用)

 どの報道も同様の内容だが、どうしても納得できないことがある。
 それは、何度も出てくる「理解を求める」とか「粘り強く理解をお願いしていく」と言う言葉だ。
 「理解する」とは、「物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。他人の気持ちや立場を察すること。」と辞書にある。

 日米両軍の激しい地上戦に巻き込まれた末に、27年間アメリカの統治下におかれ、その後40年経っても米軍基地や演習場がひしめき、アメリカ軍駐留に起因する事件や事故が絶えない沖縄。

 もっと遡れば、ヤマトと清国との二重支配を受け、薩摩藩による異国化政策とその影響による琉球差別など辛い経験をしてきた沖縄の人々の苦しみを理解すべきは野田さん!あなたの方だろう。
 あなたが「理解してくれ」と言うのは、おかしい。断じて間違っている。

 もちろん野田総理大臣は、知っている。
 「理解を求める」のではなく、本当は「強制的に辺野古に基地を作っちゃうから、黙って従えよ」と言っているんだということを。
 それが日本の政財界の意志だ。
 だから、前防衛局長の田中某の『不適切発言』などが飛び出すのだ。あれは、『不適切』じゃない。『正直発言』『ホンネ発言』である。
だから、夜明けにコッソリと環境影響評価書の一部を守衛室に持ち込んで、『提出』したことにできるのだ。「この連中には、この程度のやり方でアリバイが作られればいい」と考えているに違いない。

 野田首相は、最初から沖縄の人々の怒りや苦しみを「理解」するつもりなどない。もちろん新基地建設を「理解」させるつもりもない。
 もし、沖縄の人々の気持ちをちょっとでもわかろうとするなら、ヘリコプターによる上空からの視察で済ますなどという無礼千万な行動をとるはずはないだろう。

 「理解する」は、英語で「understand」だ。
 相手よりも下(under)に立って(stand)、相手の「気持ちや立場を察する」ことが理解なのだと思う。

 胸くその悪い出来事だった。

2012年2月26日日曜日

航空機のトラブル

札幌からの帰り、新千歳空港発15時50分。中標津空港着16時45分。ANA4835便に乗る予定だった。

 新千歳空港に着いたのは14時少し過ぎ。空港は吹雪だった。除雪のため滑走路は閉鎖中で、全便の搭乗手続きが停止していた。
 一瞬呆然となり、どうするか考えていると、中標津行きより先に出発する稚内行き、女満別行き、釧路行きの道内ローカル便の欠航が次々に告げらていく。道内便で残るはANA4835のみとなった。

 仙台行きや東京行きなど長距離便の欠航も次々に決まり、予約の変更や払い戻し手続きを行うカウンターには長い長い列ができていた。

 そばにいた地上係員に中標津行きの見通しについて尋ねてみた。
 彼女は、現在の状況、これまでの経験から、中標津行き欠航の可能性はきわめて高い、と話した。自分とほぼ同意見だった。

 そこで迷いが出た。この時点でJRの特急に乗り換えれば、今日のうちに家に帰ることは出来る。しかし、格安のチケットで来ているので、払い戻しされる航空運賃より特急列車の運賃の方がずっと高くつく。それに加えて、中標津空港にクルマを置いてある。
 結局、明日になってもいいから飛行機で帰ることを決意して、カウンターへの列に並んだ。
 まだ欠航が決まったわけではない。飛ぶ可能性は残っていた。列に並び、自分の順番が来るまでには、欠航かどうかが決まるに違いない。当初予定していた交通機関のトラブルなのだから、明日、遅刻や欠勤という事態になってもやむを得ないだろう。 こんなふうに腹を括ったのである。

 列の中程くらいまで進んだ時、表示板がパッと変わり、中標津行きの搭乗口変更が示された。最初、目を疑ったが、自動チェックイン機で搭乗券を発行された時、やっと確信することができた。

 航空機を利用する頻度は、それほど多いわけでもないが、過去の人生で、飛行機の欠航や到着地変更などの経験は一度もない。もちろん事故に遭ったこともない。
 今日は、人生初の経験になるかと思ったが、ギリギリのところで救われた。旅が一日延びたことでノンビリ過ごすのも悪くないかも知れない。だが、やはり予定通りに進むのが一番だろう。
 自分の幸運さに感謝しながら帰ってきた。

2012年2月25日土曜日

「競争」のふうけい

札幌に来ている。昨夜はJR札幌駅近くのホテルに泊まった。
 今日が、国立大学二次試験ということで、ホテルは混み合っていた。特に朝食時が混み合うということで、ホテル側からわざわざ丁寧な説明があった。

 受験生は、一生に関わる試験だから、こちらはいくらでも我慢できる。
 ただ、この「受験戦争の現場」に直面して、つくづく競争について考えた。
はたして競争は万能なのだろうか、と。

 すべての競争を否定するつもりはない。幼稚園の運動会で、「皆が並んでゴールイン」なんて、絶対にバカげていると思う。
 しかし、この受験戦争が、いったい何年続いていることか。そして、受験戦争は、はたして、どのような社会的なメリットを生み出したか?ほとんど百害あって一利無しだったのではないか、と。
 その証拠が、昨今、様々の面で行き詰まりを見せている我が国のシステムではないだろうか。
 受験戦争の結果、より優れた人材が輩出するなら、福島の原発事故は無かったかも知れない。事故が起こってしまってからでも、もっと住民のためになる選択がなされていたのではないだろうか。

 受験競争では、定員の数だけ合格者がいて、定員をオーバーした数だけ「敗者」を生み出すことになる。
 今、目の前にいる受験生に、
「頑張って!」と声をかけると、その受験生が合格することによって、誰か一人の受験生が合格できなくなることを祈ったことになる。
 もちろん、人情としては理解できるのだが、突き詰めて考えれば、そういうことではないだろうか。だから、そんな制度はおかしい。おかしいと思いつつ、ずっと続いている。
今では、その「受験戦争」を勝ち抜いた者たちが、「戦争」を継続させ、「戦場」へと向かう者を再生産している。

 もっとなんとかならないものだろうか。

2012年2月24日金曜日

愛について

「愛する」は命令できない。
 「愛する」は意志では決まらない。
 「愛する」には現在完了形しかない。
 「愛しちゃう」ものだと
 昔、教育原理特講の先生が言っていたのを思い出す。

 「教育でもっとも大切なものは何だと思いますか?
  それは『愛』です」
 昔、勤務していた高校に
 昇任して校長になった
 長谷川先生が
 少し紅潮した表情でそう言った。

 僕は、
 いや、教育においてもっとも重要なのは『真理』だべ、と
 心の中で反発しながら聴いていた。
 だが、
 やはり間違いだった。
 教育でもっとも大切なのは『愛』だ。
 長谷川先生は正しかった。

 人を愛し
 真理と正義を愛する
 真理と正義があふれる国になったら
 国も愛しちゃうだろう。

 不正に目をつぶることを強い
 危険に目をつぶることを強い
人々を危険にさらして
反論を許さない
 
 歌うことを強い
 起立すること強い
 国を愛することを強いて
 抜け殻のようの人間を大量生産したがる

そんな国を愛することはできない。
 「愛する」は命令はできない。
 「愛する」は意志では決まらない。
 「愛する」には現在完了形しかない。
 「愛しちゃう」ものだと

2012年2月23日木曜日

吹雪の夜

北海道南岸を通過する低気圧が急速に発達し、午後から吹雪模様になった。風、雪ともにまだ、ちょっと弱いだろうか。

 数年前までは一冬に数回は襲ってきた、本格的な吹雪にはやや力不足だろうか。
 本当に、力のある圧倒的な吹雪は少なくなったように感じる。

 現在22時10分。
 風は、そこそこに吹いているようだが、雪が少ない。このまま推移すれば、吹雪の影響は、あまりなさそうに思う。

 じつは、吹雪が好きだ。
 低気圧が近づいて来ると、少し期待して天気図を見る。吹雪であることを理由に、仕事へも行かず、屋外での作業もせず、家にこもって、普段できないことをやっているという状況が好きなのだ。

停電になるのもまた良いものだ。停電するとPCも使わないから、家に持ち帰った仕事もしない。本もあまり読めない。
 お酒を飲むことぐらいしかできない。
 蝋燭をともし、お酒を飲みながらギターなどを引っ張り出してきて、歌ったり、ネコと遊んだりする。
 
 吹きだまりが家の屋根ほどの高さに達し、スコップを持たなければ道を歩けないような吹雪は、もうやって来ないのだろうか。

2012年2月22日水曜日

日本海のこと

「日本海」と聞いて、何を連想するだろう?
荒波? 吹雪? 失恋? 夕日? 演歌?
 最近はあまり使われなくなったが、むかし、日本海沿岸を「裏日本」と呼んでいた。そこからは、寂しさ、哀れさ、切なさが感じられる。

知床半島は観光地として有名だ(と思う)が、知床五湖やフレペの滝などよく知られた観光スポットがあり、大きなホテルやお土産店も多い網走側の斜里町ウトロが、知床国立公園の「表玄関」であろう。根室側の羅臼町を「裏知床」と呼んでいる人に会ったことがある。
「そーか!俺はウラの人間なんだ」と一瞬思った。ちょっと嬉しかったが。

それはともかく、「日本海」から受ける印象は、実態よりもはるかに寂しく哀れで切ない。
それは、津軽の弥三郎節、北陸の瞽女、深い雪に埋もれた集落、流刑地とされた佐渡、親不知海岸の断崖だったりする。

そして、「裏日本」である日本海沿岸は、「裏」として忘れられ、無視され、「表」の都合に振り回されてきた。
 それは戦争に刈り出される兵士の供給源だったり、「表」で不足している食糧の生産地だったり、労働者の供給源だったり、挙げ句の果てには原発を乱立させられ、「表」が必要とするエネルギーの供給地ともなっている。
「表」の繁栄は「裏」に犠牲を強いることによって維持されてきた。

 だが、日本海沿岸は、海を挟んでユーラシア大陸と向かい合う地域だ。先進的な文化や技術は、昔から、日本海を渡ってやって来た。
 日本海の向こうは、陸続きでヨーロッパまでつながっているのだ。日本海を介した文化交流には長い歴史がある。

 そして、北海道と本州との間の交流も「北前船」という日本海航路よって担われていた。北前船が、サハリンや千島列島を経由して北海道にもたらされた、大陸からの文物や技術を各地に運んだ。日本海は、優れた技術者、文化、情報の通り道でもあった。
 北前船の寄港地には、今でもそれらの痕跡が残っているという。

 だから、「日本海」という言葉には文化の香りを感じる。

 太平洋側が日本の中心になってから歴史はまだ浅い。中でもアメリカが日本のお手本か目標のように扱われ、多くの日本人がアメリカの方ばかりを向いてしまってから、日本海が顧みられる機会は減った。

 そんな日本海がたまらなく好きだ。どうしてなのかは、わからないが、惹かれる。
 これから時々、日本海へのノスタルジーを書いてみたい。

2012年2月21日火曜日

劣ったサルとしてのニンゲン

日曜日、偶然ラジオで動物学者の今泉忠明さんの話を聴いた。その中で「人類は類人猿のネオテニーだ」という話が印象に残った。

 後で調べたらこの説は、心理学者の岸田秀さんや生態学者の今西錦司さんなども支持しているという。

 ネオテニー(neoteny)とは「幼態成熟」と訳される。動物で、性的に完全に成熟した個体でありながら生殖器官以外の部分は未成熟な、つまり幼生や幼体の性質を残している現象のことをいう。
 外鰓を残したまま生殖能力を獲得するが、一生水中で生活するアホロートル(ウ-パールーパー)など脊椎動物では両生類に多く見られる。
 昆虫の世界でもホタルの仲間や、ミノガ(みの虫)の仲間の雌が、幼虫態のまま生殖する。つまり性的には成熟しているわけだ。

 人類も類人猿の胎児の「幼形成熟」で、その証拠に人間の赤ん坊は無能力で、成人しても体毛が少ない。
 いわば子供のまま大人になってしまった「劣った猿」だというのである。
 そして、子供であるが故に、成長し、学ぶ期間が長く、その結果、人間は知能を飛躍的に発達させることができたという。
 さらに、イヌやネコなどのペット、ウシやブタ、ヒツジなどの家畜もネオテニーの傾向を持っているという。

そう言われてみれば、野生動物の荒々しく厳しい生活環境に置かれたら、人間のみならず、これらのペットや家畜の仔は、まず生きていけないだろう。
 そして、加熱した食物しか食べられず、雨風に打たれて生きていけず、大量の電気エネルギーに支えられなければ生活できない人類は、究極の家畜ではないだろうか。

 休日、イヌを連れて散歩に出かける。
 原野に出ると彼女はかすかな音や匂いに感覚を研ぎ澄まして集中している。その横顔を見ていると、何も聞こえず、何も嗅げない自分自身の能力は、明らかにイヌよりも劣っていることを痛感する。
 家にいる時には、僕から餌をもらい、僕に甘える存在だが、ひとたび野に出ると関係が逆転する。

 人類は「霊長類」で、地球上に出現した生物で、進化の究極に立つと、ずっと昔から信じてきたが、最近になってやっとその思想の呪縛から解き放たれたばかりだった。
 だから、「ネオテニー説」を知って、今まで漠然と感じていたことが、はっきりと見えて来たと思った。
そんな自分自身の出自と弱さに気づいた僕は、幸である。

 電気がなければ生きていけないと信じ込み、今に至っても原子力発電にしがみつこうとしている人々、そこから生み出される巨利に目が眩んでいる人々、そして玩具を欲しがるように新しい兵器を欲しがったり、湖や海岸をほじくり返して何かを造ろうとする人々は、「おとな」の皮を被っているが、幼稚で救いようのない存在だということが納得できる。

そして、こう思った。
 「やっぱりな」

2012年2月20日月曜日

水の不思議 その2 流氷百話 15/100

今年は、例年にない冷え込みが続く。羅臼町でも、連日マイナス二桁の気温が続き、水道の凍結が後を絶たない。凍った水道管が破裂するケースもよくある。

 凍結した水道管が破裂するのは、水が凍って膨張するためだ。
 水は凍ると体積が増える。常識だ。体積が増えると言うことは密度が小さくなるということで、氷が水に浮かぶ原因もこれによる。
 氷が水に浮かぶとも、身の回りの現象だ。僕も毎晩ウイスキーを入れたグラスに氷を浮かべ、実験で確認しているが。
 流氷も海に浮かんでいるからこそ潮流や風で動き回ることができる。

 ところで、他の物質も水と同じように液体より固体の方が密度が小さく、固体が液体に浮かぶだろうか。ちょっと実験すればわかるが、蝋燭のロウは、固体は、液体のロウに沈む。また、低温で一部が固まった食用油を見ると、液体の方が上にあることがわかるだろう。
 アルコールを液体窒素で凍らせ、液体のアルコールに固体になってアルコールを入れると固体の方が沈む。ほとんどの金属も液体の方が密度が小さいから固体が沈む。
 
実は、水の方が例外的なのだ。
ほとんどの物質は、温度が高くなると体積が増え、低くなると収縮する。だから低温での密度が大きくなる。
 水は例外的で、4℃の時に密度が最大となり、温度がそれより高くても、低くても体積が増える。水は、物質の中で、非常に変わった性質を備えている。

 流氷がオホーツク海北部のアムール川河口から知床半島まで、はるばる旅してくるためには、水のこのような変わった特性があればこそである。

2012年2月19日日曜日

放射能・第三の危険性

原子力発電所事故が起き、放射性物質による汚染が広がった。
 放射能の危険性は、直接的な急性被曝と内部被曝も含む低線量による緩慢な被曝とが指摘されている。
 どちらも生体にとって致命的で、危険であることは論を待たない。
 最近、これらに加え、第三の危険性について考える。
 それは、個人の心のあり方や人間社会にとっての危険である。
 
 放射性物質によって環境汚染を引き起こしてしまうと、加害者側や原発を推進してきた責任のある側は、事態を小さく見せようとして必死になる。(なった。)その結果、情報隠しや情報操作に一生懸命になる。(なった。)
 権力を持つ側がこうなると国民の知る権利は著しく侵害され、民主主義社会(そんなものがあると仮定しての話だが)の構造が一気に歪められる。日本国憲法で保証されている言論、結社、表現の自由などの諸権利は、これまでも緩やかに締め付けられ、圧迫を受けつつあったが、福島第一原発の事故を契機に一気に加速したのではないだろうか。
 「不安をあおるから」とか「復興に差し支えるから」などという口実で、マスコミも重要な報道が抑えられている。規制は、マスコミ自身の自粛による場合と外部からの力による場合とがあるだろうが、われわれにその区別はつかない。
 たとえば、今日、全国で脱原発を求めるデモが行われているが、それをニュースとして取り上げた報道機関は少ないし、扱い方も小さい。黙殺しようとする意志が透けて見える。
間違いなく、70年ほど前、日本が侵略戦争への坂を転がりだした頃、同じような社会状況が作られていたことだろう。

 とにかく、ヒトの心の内側に入り込み、恐怖に陥れたり、社会のファッショ化を推し進めるのが原子力の危険性の一つだと思う。

 原子力発電を推進したい人たちは、原発に反対する人々が邪魔でしかたがないに違いない。
 東電の社長あたりは、「あの連中など、いなければいい」心の奥底で、こう思っていることは間違いないだろう。人間にそんな考えを抱かせること、これこそ原子力の怖ろしさの一つでは、ないだろうか。

2012年2月18日土曜日

水の不思議 その1 流氷百話 14/100


 「化学物質」という言葉があり、それは人工的に合成された物質をさすのようだ。だが、この言葉の意味するところは曖昧だと思う。なぜなら、人工的に合成された物質なら、「人工合成物質」などと呼べばいい。原子が(厳密には単一の元素から成っている「単体」が)化学反応によって結合して出来た物質はすべて「化学物質」と呼んでいいと思うからだ。
 もっとも、このような物質を学校では「化合物」と教えているはずだが。

 それは、ともかく、水が化合物であることは、皆に知られていることだ。それは水素と酸素の二種類の元素からできており、身近な、ありふれた物質だ。ありふれ過ぎている。珍しくもないし、危険性もない。毒性もない。値段も安い。

 ところが、実はこの世で水ほど奇妙な物質は無い。少なくとも多くの科学者は、そう考えていると思う。

 水は、他の物質と同様、三態を示す。水の三態とは、言うまでもなく氷・水(湯)・水蒸気つまり固体・液体・気体のことだ。そして、普通は、温度変化に伴って氷から水へ、水から水蒸気へ、またはそれらの逆方向へと状態が変わる。つまり液体を真ん中にして、低温では固体、高温では気体になる。

 ところが、液体を通ることなく固体から気体へ、または気体から固体へ直接変わることがある。これを昇華と呼ぶが、水でも頻繁に昇華がみられる。

 今朝、原野を散歩していると雪の割れ目に昇華によってできた結晶を見つけた。雪の結晶も同じなのだが、水は結晶になると羽毛状の繊細な結晶を見せてくれる。

 実は、水がこのような結晶を作ることと、アムール川河口で誕生した氷が、はるばるオホーツク海を渡って道東地方沿岸までやって来ることは、深い関係がある。
 流氷について語るとき、このことを知っておかなければならない。

 今日は、ありふれて平凡な物質である水のもつ非凡さの一つ、水の結晶について書いておきたかった。

2012年2月17日金曜日

シーシェパード!沖縄のジュゴンを守りなさい

お正月の伝統料理である鯨汁を作った。
こんな時季外れに作ることは、ほとんどないのだが、鯨の塩皮が安く売られていたのでつい買ってしまったのだ。
 たぶん、お正月の売れ残りだろう。
 熱い鯨汁は風邪の予防にもなるし…。
 

そして鯨正宗(くじらまさむね)
 先日、富良野・旭川へ行った時、「鯨正宗」というお酒を手に入れた。



 鯨汁を作るなら、このお酒を飲まないわけにはいかない。
 料理しながらチビチビと飲み、鯨汁が完成してからは、正式に?に味わった。
 ウメェ~。

 今年も恒例のようにシーシェパードが調査捕鯨の妨害に出てきたようだ。データに基づいて捕獲の可否を論ずるならともかく、感情をむき出しにして暴力的に行動するやり方と人種的偏見に基づいた彼らの行動は許せない。

 鯨食文化圏で育った者として、鯨正宗を飲み鯨汁を食べながら、独りココロのうちで息巻いていた。

 どうする?シーシェパード!鯨はこんなに美味いんだゼ。かかってきなさい。
 海獣がそんなに可愛いのなら、辺野古へ行ってジュゴンを守り、アメリカや日本政府と闘いなさい。

2012年2月16日木曜日

シーハイルの歌

羅臼高校二年生の選択授業「野外観察」でここのところ毎時間スキーの実習をしている。
スキーと言っても短く幅が広く、「スキー靴」など使わずゴム長靴で直接履くスキーだ。滑走面にはシール(本来はアザラシの毛皮だが、現代ではナイロン製のモヘアで代用している廉価版が普及している)が貼り付けてあるので斜面で後戻りせずにスイスイと登れる。
 幅が広いので新雪にも埋まりにくい。長さが短いので立木の混み合った森林の中でも小回りが効き、冬の森を歩き回るには最適の道具だ。
 ただし、これらの特徴を裏返せば滑るのはとても難しい。
 短いので直進安定性が無い。幅が広いのとシールが付きっぱなしなので、斜面での滑り出しが遅く、緩斜面に入ったときの減速が大きい。
 慣れるまでには相当時間がかかる。

 羅臼高校には「野外活動」という科目があり、本来はこっちで取り上げたい種目なのだが、「野外活動」は三年生の選択科目なのた。三年生は、この時期自宅学習に入っていて授業を行っていない。しかし、羅臼では1月~2月でなければ十分な積雪にならない。
 そこで便宜的に「野外観察」でスキーの練習をすることになる。

 若い高校生たちの適応力は旺盛で、初めの頃は危なっかしい姿で滑る生徒が多かったが、最近では大部分の生徒が楽しそうに急斜面を滑り降りるようになった。

今日も、スキー実習を!と勇んででかけたのだが、高校の付近は風が強く、地吹雪になっていたので、直前で中止することにした。

 さて、その代わりの授業をどうするか。
 突然のことだったので、良いアイディアが浮かばず、昔から歌われているスキーの歌を教えることにした。

 シーハイルの歌
 作詞:林柾次郎、作曲:鳥取春陽
1 岩木のおろしが 吹くなら吹けよ
  山から山へと われらは走る
  きのうは梵珠嶺(ぼんじゅね)
  今日また阿闍羅(あじゃら)
  けむり立てつつ おおシーハイル

2 ステップターンすりゃ たわむれかかる
  杉のこずえよ 未練の雪よ
  心は残れど エールにとどめ
  屈伸滑降で おおシーハイル

3 夕日は赤々 シュプール染めて
  たどる雪道 果てさえ知れず
  町にはチラホラ 灯(ともし)がついた
  ラッセル急げよ おおシーハイル

 この歌は、大正時代の演歌『浮草の旅』のメロディに、林柾次郎さんという方が新しい歌詞をつけたものらしい。

 林柾次郎さんは明治31年(1898)、青森県五所川原の生まれ。東奥日報の記者をしていたという。歌人・俳人としても、多くの作品を遺しているそうだ。

 1番に出てくる「岩木」は、いうまでもなく、岩木山のことだろう。
 梵珠嶺(ぼんじゅね)とは、青森市と五所川原市の間にある標高460メートルくらいの梵珠山という山のことで、昔はスキー場があったようだ。
 阿闍羅(あじゃら)山は、現在の大鰐スキー場のある山。大鰐スキー場は伝統のあるスキー場で、競技会などで有名である。
 もちろん岩木山にも有名なスキー場がある。

 シーハイル(Schi Heil)は、ドイツ語。「Schi 」はスキーのこと。「Sch Heil」で、「スキー万歳」といった意味になるらしい。
 「スキーヤー同士がゲレンデや雪山で交わす挨拶」と言われている。(北海道ではあまり聞いたことがないけれど)
 シュプールとは同じくドイツ語で、足跡・痕跡という意味だが、スキーの滑降した跡のことだ。
 ラッセルは英語で、スキー・登山用語としては、雪が深い場所で道を開きながら進むことを言う。                      (二木紘三氏のブログ参照)

歌は、例えば下記で聴くことができる。

http://www.youtube.com/watch?v=YvWmSMXFdzE  

2012年2月15日水曜日

激しい吹雪と優しい人々



 今日の羅臼はお昼前から激しい吹雪になった。

 仕事で遅くまで羅臼にいた時とか。飲み会のあった時、悪天候で帰路が危うい時などは羅臼に泊まる。そのために住宅もある。

 ところが、今、その住宅は、灯油タンクが空になっており、その上それが雪に埋まっている。だから燃料の補給ができず、暖房が使えない。

 そんなわけで、今日は、何としても帰ろうと考えていた。

 落ち着かない思いで窓の外を何度も見ている僕を見かねたのか、職場の同僚たちが、異口同音に「帰れ、帰れ」と言ってくれた。
 幸いなことに今日は仕事も少なく、残りの仕事は家に持ち帰ってもできる。

 そんなわけで、言葉に甘えて帰らせてもらうことにした。
 午後2時少し前、職場を出た。

 市街地は吹雪。完全なホワイトアウト。
 前照灯はもちろん、フォグランプ、屋根の作業灯も点灯する。
 後ろもリヤフォグランプはもちろん、後方の作業灯も点けて、ソロリソロリと走った。
 最近になく緊張する運転だった。

 小一時間後、羅臼町を出て標津町に入ると、吹雪はウソのように鎮まり、太陽さえ照りつけている。
 あの吹雪は何だったんだ?

 ともあれ、今は暴風雪警報も出て、根室地方は全面的に吹雪き。
 やはり、早く帰らせてもらってよかった。

 本当に優しい職場の人々と働いている幸せにあらためて感謝している。

2012年2月14日火曜日

厳寒のあさに






 朝、何気なく窓の外を見るとキツネがいた。
 キツネは別に珍しくない。だが、その姿がなんだかオカシイ。
 いやに肥って見えるし、時々振り上げられる長い尾が二本見える。足もたくさん見える。
 よく見ると二頭の狐が交尾の最中だった。

 野生動物にとって、食べることもまぐわうことも快楽ではない。
 自分が生き残るため、自分の種を保存するため、必死に取り組む。

コトが終わってから二匹は、雪の上に座り込んでくつろいでいる様子だった。もっと近くでその表情を撮りたいと思い、そっと近づいた。
 30メートルくらいまで近づいた時、彼らは僕に気づき、そそくさと立ち去った。
 ちょっと悪いことをしたかなあ。

 気温-14℃。厳寒の朝、我が家の庭で新しい生命が宿ったことだろう。

 なんだか良い気分にさせてもらった朝のひとときだった。

2012年2月13日月曜日

流氷の紋所 流氷百話 13/100

海岸から流氷のかけらを取ってきて、冷蔵庫で作られた氷と並べてみる。
 見かけ上、ほとんど違いはわからない。
 以前にも書いたように、舐めてみてもわからない。

 北海道大学の低温研出身の友人から聞いたのだが、これらの氷を薄く切り取って顕微鏡で見れば、両者の違いはすぐにわかるのだそうだ。

 その理由は、流氷に切片には「ブラインチャンネル」と呼ばれる縦方向の細かな筋が無数に入っているからだという。
 流氷は、表層の海水が凍って生まれる。「海水が凍る」と言っても海水のうちの純粋な水だけが凍る。凍りつつある流氷の中で、水に溶けている塩分は濃縮されていく。(この濃縮された海水を「ブライン」と呼んでいる)塩分濃度の高くなった海水は次第に比重も大きくなるからやがて下に向かって流れ出で行く。
 この最後に濃い海水が流れ落ちた跡がブラインチャンネルとして残るのだそうだ。

 以前、流氷の切片を偏光顕微鏡で見せてもらった時、ブラインチャンネルが明瞭に見えた。
 ブラインチャンネル。
 それは、その氷が由緒正しい流氷であることを示す紋章なのである。

2012年2月12日日曜日

願望より事実の究明が先

東京電力福島第一原子力発電所2号機の圧力容器下部に設置されている温度計の一つが先日から上昇の傾向を示し、冷却水の注入量を増やしていた。その後、上昇は止まって下降し始めたかのように見えたが、今日、再び上昇し、午後には82℃を示したという。

 このことについて東電は、測定機器の故障の可能性が大きいと発表した。

 故障であってほしい。
 東電でなくてもそう望むのだが、時間とともに変化する値は、継続的な上昇傾向を示しているように思える。
 故障なら、もっとデタラメに上下するんじゃないかな、などと考えてしまう。それに対して、変化の傾向が一貫しているのを見ていると、故障とは思えなくなる。

 原子炉の内部を見ることが不可能な現状で、東電も周りのわれわれも推測することしかできないことに歯がゆさを覚えるのだが、東京電力は「故障だ」という見解を示すのであれば、もっと詳細なデータを示さなければならない。
 どのような故障が考えられるのか。原因は何か。他の温度計の数値を比べた時に、どのように変化しているのか、などが説明されなければ納得のしようがない。
 「故障であってほしい」という願望を表明しているだけじゃないのか?と思ってしまう。
 そこに東京電力の甘さが見える。

 これで、もしも最悪の事態が起きたら、また「想定していませんでした」と言うのだろうか。温度計の故障であればいい、というのは誰もが望む結果だ。
 しかし、「最悪のシナリオ」をかなぐり捨てる態度は、この一年間の事態を全く教訓にできていないことを示している。

 また、今回の温度上昇一つを例にとっても、福島第一原子力発電所の事故を終息したなどと言うのは、まったく事実に基づかない暴論だということがわかるだろう。この状態で他の原子力発電所を稼働させることなど考えられない暴挙である。
 政府も同罪だ。

2012年2月11日土曜日

建国記念の日に君が代フェチの人々へ贈る言葉

踏み絵を強制されたら、どうするかって?きまっているじゃないか、二度踏んづける。踏み絵を踏んづけ、踏み絵そのものを踏んづけてやる。
                    (むの たけじ 「詞集 たいまつ」123)

 大阪府の教員採用試験合格者の一割が辞退したそうだ。(2012/02/10 11:50【共同通信】)
 
 教育現場への思想統制が激しさを増している中で、教師への道を諦める人が増えるのだろうか。それは自然な現象だ。策謀と偽装で幻想をふりまいて、票をかすめ取った為政者の元では教職に就けないということだろう。
 
反対に、その票と権力と利権にすり寄って一旗揚げようというヤカラが、そいつの作る政治塾に群がっている。
 その連中に贈りたい言葉を「たいまつ」の中からもう一つ。

 人肉を食う風習は消えても、人の心を食えば食人だ。その野蛮ぶりは一層ひどい。人間にとっておそらく人間を食う以上にうまいものはあるまい。この原初の誘惑を抹殺し両足で立って歩いても品種はカマキリだ。サルはサルを食わない。(「詞集たいまつ」646)

 蛇足としての注:カマキリの共食いにも一理あると思うが、ここでは、筆者 むのたけじ氏の比喩として理解したい。

2012年2月10日金曜日

流氷のゆりかご、オホーツク海 流氷百話 12/100

羅臼は、北緯44度にある。
 地球的に見ると中緯度地域に属している。この緯度は、スペインとフランスの国境地域、つまり南フランスと同緯度になる。
 この緯度で、流氷が来るのは、特異な地域で、知床半島が世界遺産地域に登録された理由の一つだ。

 では、なぜ中緯度地域であるにもかかわらず、流氷が来るのか?

 オホーツク海の二層構造が原因だとされる。
 オホーツク海は、ユーラシア大陸と千島列島、カムチャツカ半島に囲まれた「閉じた海」である。そこへアムール河が大量の淡水を流し込む。淡水と海水はすぐに混じり合うことはなく、比重の大きな海水の上に淡水(厳密には薄められた海水だが)が溜まり二層構造となる。
 冬になるとそこへ、シベリア寒気団からの冷たい空気が吹き込み、濃度の低い上層の海水が凍り、流氷が誕生すると考えられている。
 だから、オホーツク海は「流氷のゆりかご」なのだ。

 オホーツク海の畔で、一生の大半を過ごしてきた僕は、この海のそのような特異な性格を、今、とりわけ愛おしく感じている。

2012年2月9日木曜日

日本海でも地震が続くのだろうか

昨日は佐渡で震度5強の地震があった。
 震央は、佐渡の西南端付近、震源の深さは10キロほどで、日本海東縁変動帯(にほんかいとうえんへんどうたい)という地質学的な歪みの集中帯に含まれている。変動帯は、日本海、日本列島の東縁を幅数百キロメートルで、間宮海峡から積丹半島沖を通って、男鹿半島沖から新潟沖にかけて伸びている。
 この変動帯のすぐ近くに北海道の泊原子力発電所、柏崎刈羽、能登半島の志賀と原子力発電所が並んでいる。

 この変動帯は約100年間隔で活動時期と静穏期が繰り返されていると言われ、過去に起こった地震を並べてみると、次のようになる。

 1833年 三条地震 (M6.9)
 1833年 庄内沖地震 (M7.3)
  <14年>
 1847年 善光寺地震 (M7.4)
  <93年>
 1940年 積丹半島沖地震 (M7.5)
  <24年>
 1964年 男鹿半島沖地震 (M6.9)
       新潟地震 (M7.5)
  <19年>
 1983年 日本海中部地震 (M7.7)
  <10年>
 1993年 北海道南西沖地震 (M7.8)
<2年>
 1995年 ネフチェゴルスク地震 (M7.6)
  <5年>
 2000年 ウゴレゴルスク地震 (M6.7)
  <4年>
 2004年 新潟県中越地震 (M6.8)
<3年>
 2007年 新潟県中越沖地震 (M6.8)
 <4年>
 2011年 長野県北部地震 (M6.7)

僕は地質学の知識は全く無い素人だ。
むやみに不安を煽るつもりもない。
しかし、<>で示した間隔が少しずつ短くなっていることが不気味に感じる。

2012年2月8日水曜日

龍のねむる海峡


 根室海峡からは、たまに龍が飛び上がる日がある。
 そう見えるだけなのだが。

 複雑な知床山系の沢筋を駆け下りててきた風は、海面に激突する。
 その時、水面は泡立ち、時には白い飛沫が空高く巻き上げられる。

 もう、だいぶ見慣れてしまったが、最初に見た時は驚いた。
海のこんな表情を見たことがなかったから。
恐ろしい光景だが、そこに潜む大きな力が感じられる。
 龍が空へ駆け上っていくみたいで、震えるような興奮を覚える。

 この泡立ちで海水と空気が混ざり合い、海中に酸素が供給される。そして、海の中の生き物が増える。
 根室海峡の生物相が豊な理由は、こんなところにもある。
根室海峡を守る龍たちだ。

今日も、午前中は風が強かったので、あちらこちらで龍が飛び上がっていた。
 夕方、強風は収まってきたが、水面を走る風の軌跡がくっきりと描かれていた。
根室海峡の底には龍が眠っている。

 帰り道、海を見ながら龍たちに、辺野古への新基地や不完全で危険な原子力発電にしがみついている者たちに、襲いかかり、奴らを噛み砕き、引き裂き、徹底的に駆逐してほしいと頼んでおいた。

2012年2月7日火曜日

流氷の民 流氷百話 11/100

網走市にモヨロ貝塚という大きな遺跡がある。
 そこはオホーツク文化期の代表的な遺跡として有名な所だ。

 オホーツク文化とは北海道のオホーツク海沿岸地方で、3世紀から13世紀頃まで海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送っていた人々、オホーツク文化人(またはオホーツク人)たちの文化で、その頃の北海道には続縄文文化とそれに続く擦文文化が併存していた。

 オホーツク文化人は、3世紀頃、サハリンから宗谷海峡を渡ってやって来た人々であったと考えられている。 オホーツク文化人の遺跡は、13世紀以後、忽然と姿を消している。
 謎の多いオホーツク文化人だが、その遺跡は流氷がやって来る地域にしかない。おそらく彼らの行う海獣猟は、流氷が押し寄せ、波が静まった海にカヤックを漕ぎ出して行われたのだろう。もちろん、その獲物であるアザラシやトドも流氷が連れて来る。
 つまり、オホーツク文化人は流氷に依存して暮らした「流氷の民」なのである。
  
 彼らの使った道具に描かれた精密な動物模様や独自の土器の装飾などが、北海道で昔から暮らしていた擦文文化の人々と間で融合して新しい文化(トビニタイ文化)を生み出したとされている。
やがてそれはアイヌ文化に受け継がれていくと言われている。

 海岸に立ち、流氷の軋む音に耳を傾ける。オホーツク文化人も同じ音を聞いて暮らしていたに違いない。
 文明は自然を改変し、様々なモノを作り出したが、流氷が作る海の景色、流氷を渡ってくる風は、その時代と同じなのである。

2012年2月6日月曜日

水温上昇・・・・でも原子炉じゃないけど

毎週月曜日には管理職打ち合わせがあるから早目に出勤する。 
朝7時15分、ARCTICA号のエンジンを始動させた。気温-13,5℃。

 いつもの通り、動き出す。
 年老いたクルマをいたわり、はじめはゆっくりと走る。
 いつもの通り、町を抜け出す頃、ギアを5速に入れる。

 速度は徐々に上がる。
 いつもの通り、水温計の針が動き出してからヒーターのスイッチを入れる。
 いつもの通り、水温計はゆっくり右側に振れていく。
しかし、まだ温風が出ない。
 いつまで経っても冷たい風が足下に吹きつける。
 「あれ??」吹き出し口に手を当てて確かめる。やはり冷風。

 水温計を確かめて驚いた。
 通常の位置を通り越し、右側いっぱいに振り切れそうになっているではないか!
 間もなくレッドゾーンに入る。ウワッ!オーバーヒートか?
 出発してから10分も走っていない。引き返すべきか?心が揺れ動く。

 いや、まず落ち着こう。少し速度を落とし水温計を睨みながら走り続ける。
 今のところ水温計は、レッドゾーンの手前で止まっている。

 水温計が上がるのに、温風が出てこないのはヒーターに温水が回っていない、つまり冷却液が循環していないためだ。その原因は、ポンプの故障、あるいはサーモスタットの故障だろうか。冷却液が少なくてもこういう現象は起きる。
 針がレッドゾーンに入らないようならこのまま走り続けよう。そして、とにかく職場に出勤し、エンジンが冷えてから点検しよう。
 そう腹をくくった時、針がスーッと戻った。同時にヒーターが何事も無かったように温風を吐き出し始めたではないか。
 そのようにして、とにかく無事に羅臼まで走った。

 エンジンが冷えてからタンクを見てみると、冷却水がかなり減っていた。原因はこれだったのかも知れない。
 さっそく補充して、帰路は何事もなかった。


 福島第一発電所2号機の水温計の一つが数日前から上昇を続け、昨夜から今朝にかけては71.7℃だったそうだ。
 ポンコツ寸前のクルマと原子炉を一緒にするわけにはいかないが、内部の様子を直接見ることのできない点は共通で、そのような場合リモートセンシングによってデータを集める。
 計器が異常な数値を示したら、まず第一に計器に示されたとおりの異常を疑うべきだろう。
異常の原因について、「計器(温度計)の故障の可能性もある」などと(たとえ客観的にその可能性があったとしても)言うべきではない。
 まず、最悪のシナリオを想定すべきではないだろうか。そして、それを隠さずに発表すべきではないだろうか。
 こんなところにも、事故をいまだに反省していない東電の体質が垣間見えるように感じた。

2012年2月5日日曜日

根室バードランドフェスティバル

根室半島一周バスツアーという催しがあった。
 根室バードランドフェスティバルの行事の一つである。
 
 根室市内から花咲港→友知港→歯舞港→珸瑶瑁港→納沙布岬→温根元と根室半島を一周した。
 確認した鳥は25種。
 ほ乳類は2種。
 オホーツク海側(半島北側)は流氷がビッシリと接岸しており、鳥は少なかった。
 例年、普通に見られるオオハクチョウの姿がなかったし、今年は多く飛来しているというコミミズクやユキホオジロにも出会えなかったのは「種類数を稼ぐ」上で、ちょっと痛手だった。

 野張写し
シノリガモ     
クロガモ    
コオリガモ
クロガモ     
スズガモ
キンクロハジロ
ホオジロガモ
オナガガモ    
ヒドリガモ   
ウミウ
ヒメウ
オオセグロカモメ
セグロカモメ
ワシカモメ 
シロカモメ
オジロワシ
オオワシ
トビ
ノスリ
スズメ    
ハシブトガラ
シジュウカラ
エナガ
ハシブトガラス 
ハシボソガラス

ゴマフアザラシ
キタキツネ

2012年2月4日土曜日

流氷の密度 流氷百話 10/100




 毎年、流氷の密度が気になっている。
 海上保安庁第一管区から出されている情報や衛星写真を見ても、ここ十年間くらいの間に流氷の密度は低くなってきているのは明白な事実だ。
 体感的にも感じられる。

 これは間違いなく気候変動のせいだろう。温暖化だと思う。
 作られる氷の量が少ないから、氷の総量が少ないのだ。だから風で吹き寄せられていても密度が上がらない。
 今日、網走側の流氷の様子が知りたくて、見に行って来た。

 斜里町から網走市にかけての海岸線からは流氷は離れていて、沖合に流氷帯が見えるだけだった。
 斜里町から知床半島に入り、半島基部の峰浜という場所まで行ってみた。ここでは流氷群が接岸していたが、海が氷に覆い尽くされているという状態ではなく、氷の間は、隙間だらけであった。ひとたび東風が吹けばサッと移動してしまうだろうと思われる。
 氷に乗ってみたが、海岸から10メートルほどの所で完全に浮いている動いている氷があり、僕たちが乗った氷も亀裂が入って流れ出す直前といった感じであった。
 (もちろん10分や20分で動き出すという状態ではなかったが)

 今の季節は、網走側ではもっと密度が高くなければならない。
 知床半島の峰浜あたりでは、海岸から数百メートル沖まで歩いて行けるほど密度が高かったものだ。
 知床半島東海岸、羅臼町側と違って、西側の斜里町や網走の海岸は、北西の風で氷が次々に流れ着き、先に着岸した氷に後から来た氷が乗り上げたりして、海岸は氷の山脈のようになっているし、海面も「白い大陸」と呼ばれるほどの高密度の氷で覆われていたものだ。

 一年ごとの変化量は小さいものかも知れないが、10年単位くらいで比較していくと、流氷の総量は確実に減少している。

2012年2月3日金曜日

振幅する表情 空と海 流氷百話 9/100

今日は風もなくスカッと晴れた空が広がり快適な一日だった。
 昨日は、前夜から風が強く、朝になって少しおさまった。
 朝、国道を走ると一晩中吹いた風で、氷泥が海岸に寄せ集められていた。




 空は、まさに鉛色。
 暗く陰鬱で、絵に描いたような北の冬の海だった。
 こんな景色を見、チャイコフスキーの交響曲を聴き、昔ふられた女性のことなどを考えたら、死にたくなってくるかも知れない。
この海底に、人生のあらゆる寂しさと悲しさが結晶して沈殿しているように思えてくる。


 この重たい空と氷泥の暗い流れは、生命を育む大切なはたらきをしているのだが。

 だが、実はこんな「北国の冬」らしい風景は、道東では珍しい。こんな日は稀だ。
 一般的に道東の冬には、明るい青空でカチンと空気の冷えた日が多い。



 明るい空、青い海を背景に浮かぶ流氷を見ることが多いのである。

2012年2月2日木曜日

第一回羅臼町ユネスコスクール研究大会

数年に一度という強力な寒気が上空に入ってきている。
 そのため。夜の冷え込みは、大変なもので、22時30分現在。-17℃になっている。

 今日は、羅臼でも気温が低かった。-9℃以下になっていた。そして、羅臼特有の強い風も吹いていた。-9℃以下で、5~6m/sの風に吹かれると、体の芯までもが凍り付くように感じる。

 そのような中で、「第一回ユネスコスクール研究発表会」が開かれた。
 町内の全学校がユネスコスクール登録申請中で、近々認可される見通しである。
 来年、正式に認可されれば、この研究会はもっと大規模で充実した内容で開かれることになるだろう。そんな発展を前提とした記念すべき第一回の研究発表会で、町内の二つの中学校と一つの高校の生徒全員が集まり、それぞれの学校の代表が日頃行ってきた学習の成果を発表した。

 開会の前に、ユネスコスクールについて説明することになった。
 その原稿である。

  みなさんは、「地球環境問題」という言葉を知っていることでしょう。
 「地球温暖化」「酸性雨」「森林の減少」「人口爆発」「石油枯渇」・・・・これらのどれひとつとってもまだ、解決の見通しがつかない深刻な問題です。他にも問題は、たくさんあります。

 人類にとって深刻なこれらの問題を解決するには、僕たちオトナの世代ばかりでなく、みなさんがたのような若い世代も含めて、皆が真剣に取り組くむ必要があります。

 ところで、国連にはユネスコという機関があります。「国連教育文化科学機関」を英語で言い表し、その頭文字をとったものです。知床を世界遺産としての登録を決めたのがユネスコだということは、知っているでしょう。

 ユネスコでは、若い世代の人々が国境を越え、互いに交流し、地球環境問題の解決に取り組み、未来の世界も現在と変わりない生活を続けられるようにするにはどうすべきかを積極的に考える教育を進めています。

 また、そのような教育活動を行う学校を「ユネスコスクール」として世界中にネットワークを張りめぐらそうという計画を進めてきました。
 現在、世界中で約9000の学校、日本では328の学校が登録されています。

 世界遺産の知床半島にある町羅臼町でも、昨年8月、町内にある幼稚園から高校までの七つの学校全てがユネスコスクールへの登録を申し込みました。今、その登録が認められるのを待っている状態です。

 みなさんは、これまで、各学校の総合的な学習や生徒会の活動で、知床のことを調べたり羅臼の町のためになる実践をしてきました。

 そこで「羅臼町ユネスコスクール研究発表会」として互いの活動を発表して、交流を深め、ユネスコスクールとしての活動をさらに活発にしていこうということになりました。
 今日、その第一回目を迎えたわけです。

 間もなく、パリのユネスコ本部から、ユネスコスクールへの登録を証明する登録証が送られてくるでしょう。そして、羅臼町のユネスコスクールの活動は、小学校や幼稚園にも広がり、ますます盛んになっていくと思います。
 この研究発表会もどんどん大規模なものになっていくと思われます。

 ユネスコスクールの活動を通して、世界遺産の地=知床から世界に向けて、私たちの活動を発信していきましょう。

 では、第一回研究発表会の成功のため、発表する人も聴く人も、精一杯の努力をお願いします。

2012年2月1日水曜日

ああ、鱈ちりよ! 広がる放射性物質、深まる恐怖

ツイッター上で北海道の水産物に含まれる放射性物質検査の結果が出ているという記述があったので見てみた。
 今年1月8日、室蘭沖で捕獲したマダラから39(Bq/kg)、 昨年12月6日、同じく室蘭沖のマダラで30(Bq/kg)のセシウム137が検出されていた。同じくセシウム134もほぼ同様の割合で検出されている。(「北海道放射線モニタリング総合サイト」より) 

 この値は、発表されている中では、もっとも高い値である。
 マダラの検体は43匹あり、セシウム137についても最大で39(Bq/kg)、最小0.38(Bq/kg)以下である。
 また、セシウム137の平均値は、6.3(Bq/kg)である。
 一般的に、室蘭沖の検体の方が釧路や根室沖の検体よりも高い傾向がみられた。

 なんだか論文のようになってしまったが、この寒い時期に「ウマイ、ウマイ」とヨロコビながら食べていたタラに対して、これほど気を遣わなければならない事態をいったい誰が引き起こしたのか?
 言うまでもなく東京電力であり、原子力発電を推進した日本の政府、財界、学者たちである。

 物理がもっとも苦手な僕でさえ、放射線と放射能、放射性物質などという概念や放射線量、放射能などの単位にやたら詳しくなってしまった。

 インターネットの世界では、食品に含まれる放射能に関する情報が大量に飛び交っている。情報には、正確で的確なものから、やや大げさなもの、かなりアバウトなものまであり玉石混淆と言うべき状態だ。


 だが、どれもこれも、家族や子どもたちの健康を真剣に心配する心から発せられている。情報を隠蔽し、被害を小さく見せようとしてきた政府や東電の発表、財界の圧力、マスコミの報道、御用学者たちの「見解」などが不信感を増幅し、不安を煽りたてている。
 だから、たとえば冒頭のデータを見ても、「マダラ=39(Bq/kg)」という数値が一人歩きして、全てのマダラに39(Bq/kg)のセシウム137が含まれているかのように思い込んでしまう人がいたとしても、その人を責められない。

低線量による内部被曝が、どこまで許容されるのかというもっとも知りたい情報は、学者の「立場」によって大きく食い違っていて人々を惑わせる。
 そうなると、当然、放射性物質が少しでも含まれたものは、口にしたくないという事になる。恐怖を感じるようになるのだ。
そういう人を誰が嗤えるだろう。

 これは、とても悲しい事態だと思わずにいられない。
 僕らが教壇で何を教えてきたのだろう?
 何を恐れ、隠された悪意を見抜き、自分の目で見えるものの底に潜む真実を見抜く力を身に付けることが理科教育の目的のはずだったのではないか。

 北海道の水産物、特にマダラのデータをよく読んでみると、昨年より今年に入って値が増えている傾向がみられる。
 これは、海水の汚染がまだ収まっていないことを意味している。
 今後も監視を継続していく必要があることを意味している。

 多くの人が、正確なデータに触れ、そこから見えるものについて、議論する風土を作らなければならない。今がその時だ。
 そして、正確なデータが、隠されずに速やかに提供されているかをいつも注意していなければならない。

 思い切りタラを食べるために、是非、そうしたい。