2012年4月17日火曜日

大飯原発再稼働を話し合っても議事録が無いんだそうだ

昨年度、環境省の委託を受けて、知床国立公園に侵入したセイヨウオオマルハナバチの防除事業をした。その報告書を作るのが大変だった。慣れていなかったこともあるが、細かな用語はもとより、表現、語順、実施者の名称など細部に気を遣った。
 何度も書き直し、担当の公演管理官(レンジャー)にもずいぶん大変な思いをさせてしまった。

 請負事業であり、国民の税金からその費用が支払われるのだから、いい加減な報告が許されるわけはない。誤りを指摘されたら、素直に直すのは当然なのだが、訂正に継ぐ訂正で、辟易したものだ。
 血税を使って何かをするということは、このように大変なものである。

 だが、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を判断する関係閣僚会合では、担当の官僚から技術的な説明を受けた後、政治家だけで話し合いをもって、その議事録は残さなかったのだそうだ。(毎日新聞 2012年04月17日 20時30分)
 公文書管理法は、政府が重要な意思決定を行った過程を後日検証できるよう、文書に残すことを義務づけているが、いったいどうなっているのだ?大飯原発の再稼働の策謀では、さかんに「政治判断」という言葉が使われ出している。また、電力が不足する場合には稼働するとして、再稼働の判断材料が「安全か否か」から「電力需給の見込み」にいつの間にかすり替えられている。

「もう、フクシマのほとぼりが冷めつつあるから、動かしても大丈夫だろう。国民もあまり注目しなくなったベ」という判断なのだろう。

 ほんのわずかな金額の請負事業には、詳細な報告書の提出を求めておきながら、国民の生命と安全に関わる重大な決定を話し合うプロセスは、記録に留めない。今の日本の堕落しきった政治を象徴する事例がここにもある。

 いや、おそらく記録に残したらエライことになるのだろう。
 閣僚会議で話し合われた内容のレベルがいかに低次元であるか、自覚があるから、とても公表できるようなシロモノではない、と考えたのだろう。
 そのくらいの「政治判断力」は、持っておるのだろうな。きっと。

0 件のコメント:

コメントを投稿