2012年4月26日木曜日

霧に包まれる日々

昨日から濃い霧が知床を覆っている。
 霧だけでなく、時々パラパラと雨も降る。
 日光がさえぎられ、気温が上がらない。そのため、雪解けが足踏みしている。なかなか進まなくなった。

 今日は、「野外活動」の授業でダケカンバ(シラカバの近縁な仲間)から樹液を採る授業を行ったが、林の中には、まだ深い雪があり、足を取られて大変だった。
 足腰が弱まっているせいだろうか。それとも、靴の準備を怠り、夏靴で雪の中に入ったからだろうか。真冬の期間よりもずっとおぼつかない足取りの自分が情けなかった。

 人は、足元が定まっていないと、しっかり立てないものだ。だから「上げ足を取られる」と転けてしまう。

 人を失敗させ、失敗する姿を安全な所から眺めるのを、快く感じる人は多いのだろう。批判し、攻撃することは、実は簡単なのだ。
 批判、攻撃することで同調者を増やし、自分への支持を集める手法を採る政治家がいる。まあ、昔からいたのだろうが、マスメディア就中テレビの発達で、そういう人が台頭しやすくなった。

たとえば、一連の公務員バッシングがある。
 歯切れの良い言葉で、派手に一部の公務員の待遇の良さや、不真面目な勤務を攻撃してみせ、意識的に全部の公務員が同様であるかのように批判してみせると人の心の奥に潜む妬みに火が点き、その攻撃者が英雄であるかのような錯覚を起こさせる。
しかし、その反面、大学生の就職希望でもっとも多いのが公務員なのだ。これは、どうにもやりきれない矛盾ではないか。

 政治への関心の薄い「無党派層」の支持を取り込んで票を集めているのだ。政治に無関心だった人が、関心を寄せ始めるのは、悪いことだとは思わない。
 だが、この国の政治が、どのような経過をたどって現在のようになったか、現在の問題の根源はどこにあるのか、社会のあるべき姿をどう思い描いているか、などの深い洞察力に基づいた現状認識や判断を持たないまま、ある種の扇動に乗せられて一方へ流れるのは、危険だ。
 「日本は、法治国家ではなく『情治国家』だ」と言われることがある。
 政治家やリーダーを理性ではなく「情」で選んでいるうちは、日本の民主主義を根付かせ発展させていくのは無理かも知れない。道は遠いのだ。

 しかし、そんな暢気なことを言っているうちに、日本はまた、取り返しの付かない誤りを犯すかも知れない。いや、確実に道を逸れている。
 そして、まだ、そのことに気づいている人々は多数ではない。

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