2012年5月2日水曜日

末期の青函連絡船に公共交通機関の原点を見た

青函トンネルが開通し、連絡船が廃止される直前、自動車航送を利用したことがある。
 深夜の便で、船は石狩丸だった。

 客船の主役たちは津軽丸、八甲田丸、松前丸、羊蹄丸、大雪丸、摩周丸、十和田丸の7隻で、貨物船を改造した石狩丸には、売店も食堂も無く、旅に出る高揚感とは無縁のうら寂しい雰囲気が漂っていた。
 それは、青函連絡船との別れにふさわしいようにも思った。

 石狩丸、1982年に自動車航送用に改造されたもので、貨物の他に自動車航送の専用便に使われていた。

 桟橋から鉄製の急な斜路を登って船内に入ると角ごとに係の人がいて、駐車位置まで誘導してくれる。やがて、所定の位置に車を停めると、船が揺れた時、動き出すのを防ぐためにワイヤーで固定する。
 1954年の洞爺丸台風の時は、貨車甲板で貨車を固定していたワイヤーが切れ、船の中を貨車が走り回ったということを聞いた。そのため、この作業は非常に重要なものだ。
 それは、民間のフェリーも同じだ。驚いたのは、固定するワイヤーを4本もかけたことだ。津軽海峡の波は荒いとは言え、わずか4時間足らずの航海だ。
 30時間以上もかかって小樽から舞鶴まで日本海を航行するフェリーでも前後に二本のワイヤーをかけて固定するだけだった。
「なんと大袈裟なことをするものだ」と思った。しかし、その考えは、一瞬の後には感心に変わった。
 青函連絡船には80年の歴史がある。その間には、たくさんの事故や事故寸前の事態があり、様々な気象現象に遭遇して経験が蓄積されているのだ。
 船は、いったん港を出ると、荒々しい自然の凶暴さと自分の力だけで向き合わねばならない。そのためには、十二分の安全策が必要なのである。

 極端に効率や経済性を追求し過ぎると、4本のワイヤーを2本にし、作業員の数を減らし、結果的には安全性が限りなく失われていく。普段の海上ならそれで間に合うかも知れない。しかし、ひとたび時化るとそんな些細な弱点から、取り返しのつかない事故が起きないとも限らない。安全のためには「必要な無駄」というものは、あるのだ。

 これが当時の国鉄のやり方だったし、それは決して間違っていなかったと思う。
 公共交通機関は、経営を採算だけで考えるべきでないと思うから。よく言われることだが消防や警察に「採算」を求めるだろうか。
 公共交通機関は、高い安全性のもとに、国民が等しく適正な価格で、恩恵を享受できるものであるべきだと思う。

 鉄道の恩恵などどこを探しても皆無の知床半島に住んでいて、強くそう思うのだ。そして、高速道路での深夜バス事故のニュースに接するたびに、あの夜の石狩丸のことが思い出されてならない。

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