2012年5月23日水曜日

フラッシュバック!原子力空母「エンタープライズ」佐世保寄港反対闘争

雨が降るという予報を信じて、バイクで行くことは諦めた。夕方になってほんの少し、言い訳のような雨が降った。粒の大きな雨で、クルマのフロントガラスに音を立ててぶつかり砕け散っていた。


 雨粒を見つめながらぼんやり考えていた。
 雨は、
 必ず
 降る。
 あの日も、
 雨が
 降った。
 あの日・・・
 佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港する日だ。
 日本に寄港した、最初の原子力空母。

 激しい反対運動が、その前に何度も何度も繰り広げられた。
 1967年秋から1968年1月にかけてのことだった。

   昭和43(1968)年1月19日、米第7艦隊所属の
      原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保港に入港した。
       エンタープライズは、世界最初の原子力空母で、基準排
      水量7万5700トン、原子炉8基を持ち、F4ファント
      ム戦闘機などを70~100機積載できる。
       原子力潜水艦は佐世保や神奈川・横須賀に寄港したこと
      があったが、原子力空母が日本に寄港するのは初めて。当
      時艦載機がベトナム戦争の空爆に参加しており、労働組合
      や学生らが、ベトナム戦争への加担や、核持ち込み疑惑な
      どを問題にして入港を反対するデモを連日展開し、警官隊
      とたびたび激突した。   (この部分「毎日新聞」記事から引用)

エンタープライズの入港を突破口にして、寄港の回数が
      徐々に増え、ついには横須賀が原子力空母の母港になるこ
      とについても、さほどの大きな抵抗は生じなかった。
日米政府は、激しい抵抗が予想される場合、最初は遠慮
      がちに、小出しに実行し、少しずつ「慣れ」を作っていき、
      終いには大胆に開き直るというやり方をいつも用いてきた。
       その手法は、今も全く変わっていない。
       その背景には、「日本の国民の大多数を占める無知で愚
      かな階層は、こうやって馴らして行くのがもっとも有効」
      というエリートたちの強固な思い込みがあることは明らかだ。

 高校生だった僕らは、
 その出来事を見ていた。
 そこに権力の本性を見た。
 権力は、巧妙に「世論」を操作しながら
 反対する勢力が怯みを見せると
 態度を豹変させて襲いかかってくる。
 そんな卑怯で、姑息で、屁ナマずるく、
 それでいながら、侮れない力を持っている、と。

 そんな腐った側に立つ生き方は、絶対にしないと
 あの映像から学んだ。

 40年以上の歳月を経て、
 あの時の思いが、
 突然よみがえってきた、知床の海岸だった。

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