2012年6月16日土曜日

鍼治療を受けて総合的視点について考えた

退院後、初めて外出し鍼治療を受けてきた。

 今回の事故で、医師たちがもっとも心配したのは、折れた肋骨が肺を損傷して気胸が起こっていた点だった。整形外科ではなく、外科の病棟に送られた理由もそこにある。
 気胸の悪化を防ぐために、力を尽くしてもらえたと思う。
 ただ、肋骨だけでなく鎖骨も一本折れていた。この方は整形外科の担当ということで、しばらく放置されていた。これは、気胸の経過観察を優先させなければならなかったのだろうからやむを得ないだろう。
 お陰で気胸の経過は良好で、骨折も快方に向かっているようだ。

 生命もと取り留め、怪我も治りつつあり、メデタシメデタシなのだが、未解決の問題が一つあった。ちゃんと立ち上がれず、マトモに歩けないことだ。
 足に力がはいらなかった。初日は、立ったり座ったりもままならなかった。二日目は、ほんの10メートルも歩けなかった。
 日ごとに歩ける距離は伸びていき、回復への見通しも立ってきてはいた。
 だが、昨日あたりから回復のペースが停滞気味に感じられ、腰回りの別の場所が痛むようになったりし始めた。
 そこで、今日、ときどき診てもらっていた鍼灸院へ行くことにした。
 一時間ほどかけて、手、腕、足、脚などに鍼を打ち、何カ所かに灸をすえてもらった。不思議なことだが、それまで、ほとんど上に挙げることのできなかった左膝が、難なく持ちあがるようになった。歩行の様子も変わったと思う。
 リハビリテーションで、問題のある部分だけを解決しようとしても、別の部分に歪みを生じさせることがよくあるそうだ。ヒトの身体は、全体のバランスを注視しながら部分の問題を解決していくようにしなければ、なかなか完全な回復には至らない、と聞かされた。 確かにその通りだと思う。
 ヒトの身体は、間違いなく一つの生態系なのだ。問題のある部分を細かく精密に見ると同時に全体を総合的に捉える視点も不可欠なのだ。

 部分を詳細に分析的に見る視点と総合的にものごとを捉える視点、どんなことにもこの両方は必要なのだと思う。
日本の科学教育に欠けているのは、後者の視点だろう。原子力政策、エネルギー政策にも。

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