2012年7月23日月曜日

オスプレイの悲劇

「陸揚げは待ってくれ」と岩国市。(市長)
「安全性が確認されるまで国内での飛行はさせない」と無表情に繰り返す政府。
 基地の置かれている土地の先住民である岩国市民の声をまったく無視して淡々と作業を進めるアメリカ。

 オスプレイ国内持ち込みについて、この三者が全く噛み合わぬまま、事実だけが着着と積み上げられている。
 東京にある「政府」がどこの国の政府なのかとか、アメリカという国は、他国の人権弾圧に対して、厳しい態度をとってきた「民主主義の国=正義の味方」ではないのか、などという疑問は、発しないでおこう。バカバカしいから。
この際、初歩的で素朴な疑問に絞ってみたい。
 「安全性を確認する」とは、どのような作業なのだろう。過去の墜落事故について、事故調査委員会を作り、機体の構造や動作の機構、コンピュータのプログラムなどについて全てを把握し、墜落時にどのような操作が行われたか、その時の気象条件はどうだったか、までを「確認」するのだろうか。
 よもや、アメリカ側が紙に印刷した「事故報告書」のようなものをパラパラと読んで、「確認した」と言うのではないだろうな。

 しかし、それにしても、日本側に「事故調査委員会」が作られたということは聞かない。そして、今後の配備のスケジュールだけが発表されいるのは、どういう訳だろう。
 沖縄本島北部には、オスプレイを受け入れることを前提にしているらしい、ヘリポートの建設も強引に進められている。

 昨年の原発事故による放射能漏れで「直ちに健康に影響はない」と言い続けた政府。原子炉の事故は「想定外の津波が原因だった」と強弁する東電。
 その場の責任追及から逃れるために、言葉を弄ぶ醜い姿がまた続いている。

 言葉巧みに不安を煽って、現金をせしめる振り込め詐欺の国は、こうして誕生したのかも知れない。

 誰でもが予言できる。
 8月中旬、「オスプレイの事故は、人為的な操作ミスや想定外の追い風による揚力喪失が原因であり、機体そのものには欠陥は認められない」という「報告」が届き、日本政府はそれに「理解」を示す。
 そうやって、オスプレイの飛行訓練が各地で始まる。
 最初、反対の声は大きいが次第に小さくなっていく。

 秋には、一機、また一機とあの進化し損なったゴキブリのような姿が沖縄の上空に現れる。
 その間、マスコミはオリンピックのお祭り騒ぎに浮かれるよう国民の関心を手引きする。
 そして、オスプレイの存在が日常的になってきたある日、墜落事故による悲劇が起きるのだ。その日は、来年かも知れないし5~6年先かも知れない。   

そんなシナリオに行かせないために、今、もっと頑張らなければならない。

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