2012年7月29日日曜日

大先輩の思い出・・・・勝負に固執する態度を見ていて

生きるとは何か
 答は簡単には見つからない
 だが、一つだけ確かに言えることがある
 長く生きているほど出会いと別れが溜まっていくということだ


 僕が最初に赴任した学校は、オホーツク海に近い小さな小中併置校だった。
 三浦敬一先生(故人)は、そこの小学校の先生だった。
予科練帰りの人で、何も言わずに鋭い眼で睨まれると誰もがすくみ上がるような迫力のある先生だったが、子どもたちにも若い新米の教師たちにも優しく穏やかに接する人だった。自分より弱い立場の者に荒い言葉をかけている所は見たことがない。
 美術が専門で、子どもの感覚を熟知した上で行われる指導は見事なものだった。

 僕も含めて、教師になって一年か二年目の生意気盛りの者が数名いて、集まって色々な話をしたものだった。
 たまに、その集まりに三浦先生も来られることがあった。
 それは、運動会の時期だったと思う。
 「この地域の保護者は、勝ち負けにこだわりすぎる。どうしてもっと教育的な長い目で 子どもを見てやれないのだろう。だいたい子どもの名前にも『勝治』とか『勝一』とか 『勝』という字を好んで使う傾向がある。勝つことを目指して努力することは大切だが、 結果にこだわりすぎるのは、問題だと思う。」ひとりがこう息巻いた。
 その場にいた若い教員は、みなうなずいた。
 その時、三浦先生がボソリとつぶやくように言った。
 「ま、それだけ素朴ななんだよ」
 そこにいた全員をハッとさせる一言だった。

 どこを向いても話題がオリンピック一色に塗りつぶされている。
 見応えのある競技や試合もたくさんあるだろう。
 だが、勝つことばかりにこだわったり、メダルの個数を比較したりするだけの見方では、オリンピックの本当の意味は見えてこないかも知れない。
 こちらの方は、そろそろ「素朴さ」から脱してはどうだろう。

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