2012年7月28日土曜日

知床の戦後開拓についてもっと論じなければならない

「活字中毒」というのだろうか。  手元に読むものがないと落ち着かない。  本を伏せてだらしなく寝ていることも多いのだが、とにかく手元に本が欲しい。  病院に行くとき、乗り物に乗るとき、一人で外食するとき、本を手放せない。  待ち時間に読むのだから、そんなに小難しい本ではない。ごく通俗的な本だ。  昨日は、中標津空港から出発した。朝、9時30分出発の便だった。  ちょっと慌ただしく家を出て、空港に着いたのは8時40分頃だった。搭乗手続きを済ませ、待合室に入ろうとしたとき、気がついた。  「本を持っていない」ちょっとしたパニックだった。  中標津町内の書店に戻り、何か買ってこようかと、一瞬だけ真剣に考えた。もちろん一瞬後には自分の中で否定してたが。  空港内の売店をのぞいた。  北海道の観光案内のための本ばかりが並んでいて、さすがに買おうとは思わなかった。代わりに新聞を買ってもいいからネ。だが、搭乗までの待ち時間、飛行中の機内、千歳空港で降りてから札幌までの移動時間、出発後の時間の量を考えると新聞は読み尽くしてしまいそうに思った。  そんなことを考えながら、本の並べられた棚を眺めていると、一冊の本が目に飛び込んできた。菊池慶一さんの「もうひとつの知床」戦後開拓ものがたり という本だ。  この本は、以前、どこかで見つけて読んでみたいと思っていたのだ。  迷わずに買い求めた。そして、昨日から今日にかけて、一気に読んだ。  「知床開拓」は、羅臼高校の「知床概論」でも取り上げているからある程度は知っていた。  大正期の開拓、戦前、戦後と主に三つの波があり、大正時代の開拓は、飛蝗による害で壊滅的な被害を受けて頓挫、第二次の開拓も冷涼な気候、強風、生活上の困難性などが原因で、結局は失敗、戦後の開拓者は、機械力や畜力によって、粘り強く条件の悪い土地を農地とするべく努力したが、結局は全員離農せざるを得なくなった。  開拓農民は過酷な条件で悲惨な生活を強いられたという一般的な知識は持ち合わせていたが、菊池さんの本は、多くの開拓農民から話を聞き、その人々の体験に基づいて書かれていて、事実の重みが感じられた。  一方、「知床開拓スピリット」という写真を中心にした本がある。著者は栂嶺レイさんという女性だが、こちらは、主に戦後開拓に焦点を絞って、開拓地の生活の明るい部分や楽しい思い出に光を当てたものである。  ある意味でこれら二冊の本は、対照的で内容は矛盾しているように受け取れるが、僕はどちらも真実なのだろうと考える。  人は、どんなに過酷な運命にあっても、生きていく楽しみや希望を捨てないと思うし、また、それら個々の思いとはかけ離れたところで、政治的な思惑や駆け引きによって、無情な力が個人に対して働くものだと思うから。  いずれにしても、「知床の大自然」を語るときに、そこで繰り広げられてきた人間の営みについて、我々は正しく理解し、「自然環境」が自然と人間との相互作用の結果としてそこにある、ということ理解しなければならない。

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