2012年8月9日木曜日

やくざカルチャー

昔、予備校に行っていたことがあるが、その時の英語の先生で面白い人がいた。
 日本の社会はすべて論理ではなく義理と人情で動いていると言い切る方だった。
例えば、政治家の派閥の構造は親分と子分の関係に似ている点。
 代議士と後援会、選挙民の関係。
 企業の経営者と従業員の関係。
 役所の幹部と末端の役人。中央官庁と出先機関や地方自治体。
 体育系サークル。
 非論理的で「情」によって結合し、「身内」と「外」の区別がある。
 原子力ムラもそれが当てはまるだろう。
 日本は法治国家ではなく「情治国家」であるとよく言われるのも、その点を指摘したものだろう。
 だから憲法解釈など180°反対の解釈が違和感なく成り立ってしまう。
 彼は、その構造を「やくざカルチャー」と呼んで、折に触れてその具体的な例を面白く指摘して語ってくれた。
 今も時々、その頃の話を思い出し、「ナルホド」と思うことがある。その全てが正しいかどうかは別として、多くの指摘が的を射ているなと思う。

 それにしても、今回、自民党、公明党の野党が民主党野田内閣への不信任案を否決する側に回ったことは、この「やくざの論理」にも反するものではないだろうか。
 自民党や公明党の民主党批判は、今に至るまで強烈だった。これらの党が野田内閣を支持することなどあり得ないと感じさせるのに十分なものだった。
 野党だから当然と言えば当然だが。
 それが、さしたる大きな理由もなく与党支持に回ったのだ。
 驚きを通り越して、その無節操ぶりに呆れてしまう。
 自民党に至っては数日前まで、「不信任案を出す」とまで言っていたはずだ。

 消費税の増税は本当に必要なのか、この大増税を行うことに国民は納得しているのかどうか、などということはお構いなしで、とにかくなりふり構わず国民から一円でも多く搾り取ってやろうという点で、この三つの政党は一致していたのだ。
 同床異夢を見ながらも、生ぬるい寝床にはしがみついていたかったわけだ。

 いま、この矛盾に気づいている人は多いはずだ。
 なんとかして、その温々とし爛れた寝床からこの人たちを引きずり出す必要がある。
 それには、全く新しい視点で選択を行わねばならない。一人一人の候補の日常をよく見ておくこと、民主党に失望し自民党政治には戻りたくない、という気分だけで選択する人の票を掻っさらおうとしている新たな勢力にも騙されないように気をつけるべきだ。

 民主主義は手間とコストのかかるシステムで、問題が一気に解決することは期待できないかも知れないが、選ぶ側が少しずつ賢くなっていくという王道しか、社会を変革する方法はないだろうと思うから。

0 件のコメント:

コメントを投稿