2012年9月1日土曜日

秋が来た。浜にも、野にも、国家にも。

 知床自然大学院大学ワーキンググループの会合で、帰宅は夜11時。
 このところ連日忙しい。
 それでも月が明るく、涼しく気持ちの良い夜だ。

秋が兆している。
 アオサギが集まりだした。
 ナガボノシロワレモコウ、クサフジ、トリカブト、アラゲハンゴンソウ、アキノキリンソウ、フランスギク、ホザキシモツケにエゾフウロ。
 今朝、ぶらりと散歩しただけでここに載せきれないほどたくさんの秋の花と出会った。

 一昨日、風力発電用の大型風車のことを書いたら、何人かの方からお褒めをいただいた。
電力会社は、大型三枚羽根風車の電力しか購入対象にしないという事実がまだよく知られていなかったからである。
 買いかぶりの言葉は別にして、互いに知っている情報をインターネットなどで共有することは意義のあることだとつくづく思い知った。

 考えてみれば、このような事例は他にもたくさんある。
たとえば、理科教育振興法(通称「理振」)というに基づいて、学校の理科の実験器具などを国費で購入する制度がある。一校あたり数十万から百万前後の予算が配当されるのだが、このお金で買うことのできる器具はすべて指定のカタログに載っているものに限られている。しかも、そこで売られている製品の値段は、ベラボーに高いのだ。同じ物をホームセンターなどで買えば十分の一以下の価格で買えるような例さえある。
 
 このような現象は、すべて官僚と一部の業者を儲けさせる構造に行き着くのだ。この日本を支配する官僚機構は、ある意味では旧ソ連の官僚機構よりも強固で効率よく働いているだろう。
 ムラ意識が強く、社会的な同調圧力に弱く、すぐに群れて行動しようとする江戸時代以来培われてきた日本社会の特徴によく馴染んでいるからだろう。

 最近、坂本龍馬を気取って「ナニヤラ八策」を作ってみたりしてこれまでの馴れ合いと妥協とで進められてきた政治に嫌気を感じている「無党派層」の人気を取り込むために、今高まっている政治への不信感を「維新」に例えようとする動きがある。だが、明治維新がはたして日本の社会を根底から変える革命だったかに捉える前に、そうではないとする学説も少なくないことに注意を向ける必要がある。
 あれは単なる権力の委譲であり、日本全体の支配被支配の構造には変化がなかったとする考え方もある。

 これは僕の専門外のお話で、詳しいことはよくわからないのだが、革命の機運を単なるムードや心情だけで判断すると本当の革命は流産してしまうものだろう。そのような事例は歴史に数多あるはずだ。




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