2012年9月19日水曜日

旅の記 その6

引き続き アウシュビッツについて  歴史上の出来事は、飛び去る木立の向こう側に、煙って見える風景のようだ。  高速で走る列車から林の向こうに垣間見える景色を見ながら、ふと考えた。  アウシュビッツでの出来事も、今の我々には飛び去る木立の向こうの景色のようなものかも知れない。  「働けば自由になれる」と言われて連れてこられたユダヤ人たちの誰もが、本当は自分たちの運命を知っていたのだろうと、アウシュビッツを案内しくれたガイドの中谷さんは話してくれた。  そのころ書かれたものを読めば、彼らの心が、諦念と絶望に塗り込められていたことがわかる。  「優秀な」ナチスドイツによって、巧妙に仕組まれた殺人システムがいかに有効に稼働していたか、アウシュビッツに来てよくわかった。  彼らはユダヤ人同士をいくつもの階層に分け、同胞同士が支配被支配の関係になるように仕向けた。  さらに密告を奨励し、生命を脅かす厳しい罰とごく僅かな報償によって、大集団が暴発するのを防いでいた。  そして、ドイツ軍の親衛隊(SS)やゲシュタポは、殺戮に直接手を下さなくても良いような「分業制」を作り出していた。こうすることで、良心の呵責を薄め、大量殺人の遂行が可能になった。  また、アーリア人の優位性を前面に掲げることで、民族浄化という妄想を持たせて、この大量殺戮の理由を正当化することもしていた。  これらの政策は、国会で選挙によって選ばれたことを最大の根拠に推進されていった。 中小の政党が乱立し、「決められない政治」が続いて、それに嫌気がさした国民の気分に応える形でヒトラーの独裁体制が作られていったことは、多くの政治学者が指摘している。  アウシュビッツは「合法的な」大量殺人の現場なのである。  ガイドの中谷さんは、アウシュビッツの惨劇を起こした責任は、ヒトラーに代表されるナチスドイツだけにあるのではなく、それを傍観した他の政党、国民の存在が大きく重いいと指摘していた。その通りだと思う。  「選挙で選ばれた」ことが「民意」である、と短絡した論理を振りかざし、それが「わかりやすい政治」であるとすり替える。  「決められない政治」に業を煮やし、独裁体制の樹立を待ち望む。  小さな事実を積み重ねて、ナショナリズムをかき立てる。「民族の優秀さ」を強調し、少数者や外国籍の人々を排除使用とする。  ナチスの時代だけではない。現代の日本にもよく当てはまるではないか。  この愚行、この蛮行を日本の政治家らはいったい、どう受け止め何を学んでいるのか。  アウシュビッツの地に立って、こんな思いがわき上がっている。  ユネスコ宣言の冒頭に「心に平和の砦を築かねばならない」という言葉が書かれている意味の重さをかみしめた。
写真1枚目 収容棟の間に作られた「死の壁」。この前に反逆的な者や脱走を試みた者を並べて立たせ銃殺した
写真2枚目  この貨車に200人程度が押し込められ、立ったまま何日もかけて運ばれてきた。
写真3枚目 鎮魂の言葉が、犠牲になった人々の国の言葉で書かれてある。全部で18種類の言語におよぶ。

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