2012年9月19日水曜日

旅の記 その8

 9月18日(火) クラコフ~ヴロツラフ~ボレツワビエツ                   ・・・・・テツな一日そしてお城へ   朝、8時58分発の列車でヴロツラフへ。そこで乗り換えてボレツワビエツまでの旅だ。 ヴロツラフ着は14時21分。5時間あまりの時間を一等の客車で過ごす。コンパートメントは6席。3席ずつ向かい合わせに、クッションの効いたシートが心地よく身体を包む。この座席に5時間あまりしか座っていられないのは、ちょっともったいない気がする。 予定の時刻通り、ヴロツラフでローカル線に乗り換えた。  いかにもローカル線らしく古い車両の車内は、地元の人々だけ。飾らないポーランドの農村の人々ばかりだった。  ボックス4人がけのシートだが、後から来たおじさんは、礼儀正しく 「こんにちは。ここに掛けても良いですか」(たぶんそう言ったのだろう。「こんにちは」以外はそうぞうである)と声をかけてくれた。  こんな一言で、隣席に人が座ることを抵抗なく受け入れられるようになるものだ。  そして2時間後、ボレツワビエツに到着。  駅や町の規模は厚岸くらいだろうか。もう英語もあまり通じない所に来た。  今夜の宿は、昔のお城だが駅からクルマで20分かかる場所だという。タクシーが並んでいたので先頭のクルマに声をかける。  60代とおぼしきドライバーはちょっと怖い顔をしていたが、動きだすと気さくに声をかけてくれた。ただし、言葉はなかなか通じない。  元気の良い?運転でほどなく本日の宿となるお城に到着した。  『お城』というからクラコフのヴァベル城のような所かと思っていたが、着いたところは、3階建てで、まあちょっとした館に毛の生えたようなくらいの建物だ。だが、考えてみるとクラコフの城はポーランド全体を治める国王の城で、その支配下にこのような地方行政を行う王さんたちがたくさんいたわけである。  そう考えて見直すと、この城もなかなかどうして、立派な構えなのではないか。  ふと思いついたのは、「ドン・キホーテ」に登場する小地主のアロンソ・キハーナが夢想した「城」というのは、このくらいの規模のものだったにだろうということだ。  昨日はオスカーシンドラーのほうろう工場の博物館を見学し、ユダヤ人地区の中を歩いた。その前日はアウシュビッツを訪ねた。  ポーランドの田園地帯に来て、昨日までのナチスの時代から一気に中世にまでさかのぼったことになる。

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