2012年10月31日水曜日

ハロウィンって何だ?

 朝から「ハロウィン、ハロウィン」とラジオが五月蝿い。  この騒ぎは、最近になって急に大きくなってきたようだ。僕の子どもの頃、青年の頃、あるいは、子育てをしていた頃には、まったく聞くことはなかった。  この俄な盛り上がりはなんなのだろう、とずっと気にかかっていた。  たかが民間行事のことだから、ムキになるのも大人げないと思いながら、正直なところあまり好意的な印象は持てないでいる。 そこで、由来を知りたくなり、ウィキペディアで調べてみた。 <以下ウィキペディアから引用> ハロウィン、あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en)は、ヨーロッパを起源とする民俗行事で、毎年10月31日の晩に行われる。西ヨーロッパ古代のペイガニズムにもとづく死者の祭りおよび収穫祭、とりわけケルト人の行うサウィン祭(英語版)に由来するとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で盛大に行われ、今日イメージするハロウィンの習俗は19世紀後半以降、アメリカの非宗教的大衆文化として広まったものである。<ここまで>  ははーん、日本には、やはりアメリカ経由で入ってきたのであるな。  個人的な趣味を告白すれば、アメリカが嫌いな僕は、ハロウィンに興じることはアメリカの物真似のように感じて、どうしても反発してしまう。アメリカにもバーボンとかジャズとか良いものはたくさんあるとわかっているし、アメリカ人は明るくて冗談が好きで誰とでも気軽に話をするフレンドリーな人が多いこともわかっている。  だが、アメリカという「国」やその背後にある「資本」には、少年の頃から反発していた。ベトナム戦争、原爆、沖縄、安保条約etc.  第二次世界大戦後朝鮮戦争によってアメリカの対日政策が変わり、以来アメリカの傘の下で再軍備と軍国主義教育を進めようとしてきた保守勢力に辟易しながら過ごした中高生時代の記憶が、今も尾を引いているからだろう。  アメリカの強引で強力な文化攻勢の一つがハロウィンであり、それに無節操な商業主義が悪のりして今の状態が作り出されているように思えてならない。  という具合に無粋なことを声高に叫ぶつもりはないけれど、今夜の僕は、根釧原野の空に昇った17日の月が、雲の影を銀色に浮き立たせるのを静かに眺めて、少しワインでも飲もうかな、と考えている。

2012年10月30日火曜日

台湾のタンチョウ

 尾籠(びろう)な表現で恐縮だが、毎日一回、排泄行為のように文章をはき出している。書き散らかしている。「文章を書く」などという域にも達していないかも知れないが。  しかし、毎日のように書いていると一年前のことが嫌でも目に入る。  昨年の10月30日にこんな事を書いていた。(抜粋して再掲する)  タンチョウを台湾に贈り、動物園で飼育するそうだ。  温暖な土地での繁殖の可能性を探るという口実を付けているが本当は違う。  「暖地での繁殖の可能性」を探る前にやるべき事があるはずだ。  北海道における繁殖可能な土地の拡大や確保をもっと真剣に取り組むべきだ。  国後島や択捉島などタンチョウが自力で移動可能な土地で、繁殖地となりうる場所がまだまだ残されている。サハリンやシベリアにもまだ余裕があるはずだ。  台湾へ贈る本当の理由は何か?  動物園で公開し、観光客の誘致に一役買わせようということだ。  関係者や知事が、はっきりとそう述べている。  知事は、台湾へ飛んで行って、セレモニーで挨拶までしている。  タンチョウは、生残個体の再発見以来、善意の人々が自腹を切って保護増殖活動に取り組み、全国の心ある人々が募金にも支えられてきた。  はじめのうち、行政からの手助けは、ほとんど無いに等しかったはずだ。  やっと1000羽を越える個体数にまで回復させた今、「タンチョウ」という種のためではなく、北海道の観光振興のために利用しようという恥知らずな思いつきで、この蛮行が生まれた。  破廉恥、厚顔無恥、無知蒙昧、カネのためなら何でもしちゃうお調子者の知事のやりそうなことである。  それにしても、暑い土地に連れて行かれ、さらし者にされるタンチョウが哀れでならない。  釧路市民は、このことに何も感じていないのか?  環境省は、釧路に事務所がありながら、この問題を看過するのか?  タンチョウの写真を写している「写真愛好家」の皆様がたは、何も感じないのか?  日本の自然保護行政にまた一つ汚点が加わった。 と、まあこのように悲憤慷慨し悪罵、痛罵、非難囂々で、ブログを書いたのが一年前だ。それから一年。いったいツルはどうしているのだろう。  鳴り物入りで宣伝し、台湾に送られ、その結果がよくわからないままに、皆が忘れているという現状は情けなさ過ぎないか。 嬉しそうに報じていたマスコミも、もうすっかり忘れ去っている。  再び問いたい。  環境省は台湾に送られたツルの現況を具体的に把握しているのか。  釧路市民は、どれほど関心を持続しているのか。  「ツルの写真『愛好家』」の皆様は、台湾にその後の様子を見に行かれたか。  欲と功名心で薄汚れたニンゲンにもてあそばれるツルが哀れすぎる。

2012年10月29日月曜日

石原慎太郎氏への個人的な感情

 東京都知事だった石原慎太郎氏がその職責を途中で投げ出して、国政に復帰すると言い出したことに注目が集まっている。  いろいろな立場の人が色々なことを言っている。  批判的な意見が多いように見受けられる。  これまでの言動から、彼が右翼的で偏見に満ちあふれているレイシスト(人種差別主義者)であることは明白で、そのことへの批判も多い。  それとはまた別の理由で、僕は、彼のことが大嫌いだ。  それは、彼の中にある鼻持ちならぬ過度な東京中心主義と言うより、東京ナショナリズムに対する嫌悪である。  皆が自分の生まれ育った土地に愛着を持ち、自分の住む地域を誇ることは良いことだ。その土地ごとに積み重ねられた歴史があるし、気候的なあるいは、地形的な特徴を備えている。  それは、それぞれが輝いているし価値のあることだ。 だから「善き地域ナショナリズム」を持つことは望ましいと思う。  だが、石原氏のそれにはどうしても違和感を覚える。  「東京が日本の中心で、東京がすべての標準で、東京が何でも一番で、東京の基準で全てが決まる」と心の底で思っているに違いない、と感じる言動が目立つのだ。 この、彼の言葉に口臭のように含まれている意識に反発を覚えるのだ。  断じて違うはずである。  繰り返すが、土地ごとに積み重ねられた異なる歴史があるし、異なる気候的、異なる地形的な特徴を備えていて、そのどれもが、等しく価値のあるもののはずだ。  地域間の関係は水平的であり、上下の関係にはないはずだ。  僕の通っていた小学校の保健室に、空飛ぶ円盤のような直径7~8メートルほどの鉄でできた機械があった。部屋と言っても良い。  それは「太陽灯」という装置で、その中に虚弱な児童を入れて太陽光線に近い光を浴びさせるものであると説明されたのを覚えている。  虚弱とは縁遠かった僕は、その中に入った事はなかったし、かなり時代がかっていたその古めかしい装置が稼働しているのを見たこともない。  考えるに、戦前の遺物だったのではないだろうか。 そして、その太陽灯はいつの間にか保健室から姿を消していた。  石原さんの作る新党の名前がどんなものになるか、野次馬的な話題を集めているが、彼の(唯一の)代表作「太陽の季節」にちなんで「太陽党」が良いのではないか、という意見がツイッターに書かれていた。  僕も賛成する。  戦前の遺物太陽灯とイメージが重なるから。

2012年10月28日日曜日

原野のシカ

 今朝、5時半に起き、原野に出かけた。  猟期に入ってから、シカたちは、人間の気配に敏感になっている。今朝も500メートル離れた所にいた群れが、こちらに気づいて全速力で逃げ去った。  猟期でない時には10メートルの距離でも悠然としているし、逃げる時もモソモソという感じでゆっくり距離をとる。まったく小憎らしい奴らではあるが、野生で生き残っていくには、そのくらいの敏感さと図々しさが必要なのだろう。  20年以上も昔、バイカル湖畔の小さな集落で過ごした時のことを思い出した。  「明日の朝、シカを見に行きましょう」と言われた。  翌朝、まだ暗いうちに起こされた。  徒歩で、30分くらい山道を登って尾根筋に出た時、案内してくれたアレクセイというロシア人に姿勢を低くして、絶対に話しをするなと言われた。  こちらも緊張して息を殺してじっと待っていた。  やがてアレクセイが黙って向かい側の斜面を指さしたので、よく目を凝らしてみると小さな小さな赤い点が生い茂る樹木の間に微かに見えた。シベリアで見た初めてのアカシカであった。狩猟圧のある地域のシカは、警戒心が強く単に見るだけでもこれほど注意深く行動しなければならないのだなあと感心したものである。  その頃、エゾシカの個体数は現在よりはるかに少なく、山を歩いていてもめったに出会えるものではなかった。  あれから二十数年、これほどまでに個体数が増え、それが農業被害や環境問題になろうとは、想像だにできないことだった。 そのシカたちも、猟期になるとさすがに人間の動きに敏感に反応する。  自らが生き残るためだから当たり前なのだが。  ヒトとシカのあるべき距離というのは、人と自然のあるべき距離そのものだ。

2012年10月27日土曜日

野生を敵に回すべきではないとわかっているのだが

北緯43度22分41秒52  東経145度16分55秒56 の地点における本日の日の出 5時47分。同じく、日没 16時16分。  悔しいことに、16時16分を過ぎるとエゾシカがどこからともなく集まってくる。  他の地域より遅れ、わが家のある別海地区では、今日からエゾシカ猟が解禁となった。 今日は、久しぶりに一日中家にいたし天気も良かった。  こんな日に、1頭くらいの猟果があれば、冬場の食料をしっかり確保できると思い、時々原野に出て見回っていた。  予想していたことだが、日中、彼らはまったく姿を見せない。虚しく原野ウォークを積み重ねただけだった。  そして、日没直後、複数の群れが滲み出るように現れて草を食べ始めた。  時は既に日没を過ぎていて、発砲できない時間になっていた。  一昨年には、庭のフジ棚やリンゴ、ブルーベリーやサクラなどを食べ尽くされて甚大な被害を受けた。ウマのための牧草も手ひどくやられた。  シカと闘う日々はまだ終わりそうにない。

2012年10月26日金曜日

オーストリアの美術館で買った塗り絵のこと

 先月、ウィーンの美術館で世界的な定番の絵本「はらぺこあおむし」の塗り絵を買ってきた。  孫たちのおみやげにするためだった。  離れた所に住んでいるので、なかなか手渡す機会がなく、郵送することにした。  荷造りをするために、今日、それをあらためてじっくりと見たのだが、実によくできていると思った。  ほぼ絵本のストーリーの通りに、塗り絵が続いている。青虫が次々にいろいろな食べ物を食べていく、核心部分は、子どもが青虫になりきってごちそうに色を塗る様子が容易に想像できて、白紙に描かれた黒い線のみの絵を眺めているだけでワクワクしてくる。  このような幼児向けの教材が、日本ではどうして開発されないのか、残念に感じられた。 日本では、子ども向けの「文化」は一大複合産業で、テレビ番組・菓子・玩具などが一体となり、強力な宣伝によって普及している。  毎年、秋に新番組がスタートし、新しいヒーロー(どれも似たようなものだが)と新しい「武器」が登場する。そして、暮れのクリスマス(クリスマスが日本にあること自体が奇妙なのだが)に向けて、それらを模した玩具が発売される、という循環が繰り返されているのだ。  はっきり言えば、おもちゃ産業が子どもを食い物にして成長しているのだ。  そこには、玩具産業の成長はあっても、子どもたちの健全な成長は無い。 子どもを「これから発達し、未来を担う人格」とみなすなら、子どもをダシにしてお金儲けをしようなどという企業に、この国のより多くの人々が批判的であるべきだ。  それによって、企業の側も、より質の高い子どもの文化の創造を担っているという自覚が生まれてくるだろう。  これから、どうしていくのが一番良いのかを考えなければならない。

2012年10月25日木曜日

山を見に行く

 本州を覆う高気圧の勢力圏に入っていて朝から晴天だった。  日陰に霜が残ってはいたが、気温はそれほど下がっていないようで、日なたでは、暖かく感じられるほどだった。  朝、出勤前にアファン(犬)を連れて、散歩した。  草地からササの原野を通り湿地を通って林を抜け、馬の放牧地に出て家に戻ってきた。  道などあるはずがないのだが、細く踏み痕がついていて、多くの動物が利用しているのがわかる。  アファン自身に行きたい方向を選ばせながら歩いた。彼女には獣道がよく見えるようで、湿地でも薮でも、最も歩きやすいルートをとって先導してくれた。 「蛇の道はヘビ」という言葉があるが、「獣道はケモノ」ということだろうか。  生き物の能力は、それぞれでニンゲンが何でもかんでも優れているという訳ではない。わかっていたことだがあらためて思い知らされ嬉しくなった。  昼間、「野外活動」の授業だった。  抜けるような青空に雪をまぶされたような羅臼岳が美しかったので、予定を変更して知床峠まで行ってきた。  気持ちがくさくさした時は山を見に行くに限る。登ればもっと良いのだが。  羅臼岳の山頂は一度雪に覆われたが、先日の暖気で一旦融け、二度目の冠雪である。  目測で海抜900メートル付近まで、雪が来ている様子だった。  9月末、バイカル湖の上空を飛行機で飛んだ時、バルグジン山脈の頂が雪に覆われているのが見えた。    冬は、高い空からやって来るのだなあ、などと考えながら峠を下った。  「高き空よりわれは来たれり」というバッハのコラールがあった。 原題は「Vom Himmel hoch, da kommich her」バッハ作曲 オルガンコラール BWV 701 であった。  高い空から冬とともに、人類のおごりと勝手な振る舞いを正す、強い力が来ないかしら、とちらりと思った。   小さなことで気分が揺れる自分が恥ずかしく思われた。

2012年10月24日水曜日

多文化共生の時代に

 先週末の休日、散歩中にヤナギタケを見つけた。  笠の裏のひだが濃い茶色で、ちょっと見たところ食べられるかどうかアヤシイのだが、バター焼きにすれば美味しい。  カヌーで川を下りながら、川の上にせり出したヤナギの枝や幹に生えているものをよく食べていたので、他の種と間違えることはない。  数少ない「自信を持って食べられるキノコ」の一つである。  標準和名はヌメリスギタケという。  キノコや魚など身近で食材などに利用されている生物は、名前をたくさん持っている。一種類の生物に名前がたくさんあれば、混乱が生じ研究活動を進める時に障害になる。そのために統一した名前が必要で、それにはラテン語またはラテン語化した言葉で学名として記述される。そして、名前の付け方は「国際生物命名規約」で厳密に決められていて、研究者はそれを使っている。 日本国内では「標準和名」というものが決められていて、図鑑や論文に用いる時に一定のガイドラインとして各学会で決められた名前が使われている。  標準和名を「正しい名前」、それ以外の伝統的に使われてきた呼称を「俗名」とか「間違った呼び方」などと表現する傾向が一部にある。  研究者が学術的な場面で用いるためには、共通の標準的な呼称は必要だと思うが、その生物と永い関わりをもっていた人々の間で使われている名前も、それなりに「正しい」名前ではないか、とふと考えた。  そう言えば昔、共通語(断じて標準語ではない。日本語に「標準語」は存在しない)を「正しいきれいな言葉」とし、方言を「間違った汚い言葉」と蔑んだ時代があった。今でも少し残っているかも知れない。  われわれは、もう少ししなやかな感性を身につけて、互いの違いを認め合う文化を育てた方が良のではないだろうか。  これから多文化共生の時代だと思うのだ。  僕にとっては、これからも「ヌメリスギタケ」は、「ヤナギタケ」なのである。

2012年10月23日火曜日

ソーシャルメディアとモーゼ

あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形あるものも造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。(出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」)  前線を伴った低気圧が通過し、夜半から激しい雨が降った。朝がたから昼頃までは低気圧に吹き込む南風のために気温があがり、生温かいほどだったが、低気圧が太平洋上に抜けた夜からは急速に冷え込みつつある。  ただ、之を書いている午後9時で外気温はまだ14℃ある。  季節の変わり目である。次々と低気圧が通り過ぎていく。  いま、知床の森の樹木は、日ごとに葉の色を変えていく。  気温の変化によって起きる現象だとはわかっていても、全体が一斉に変化していく有様は、そこに何らかの意志が介在しているかのように思わせるものだ。  昨日、久しぶりにTVをつけてNHKのニュースを見たが、それに続く番組で「ソーシャルメディア依存症」のことを取り上げていたので、そのまま見続け、最後まで見てしまった。  フェイスブックやツイッターなどインターネット上のソーシャルメディアにはまり込んで、目覚めてから寝るまでPCやスマートフォンを手放せず、家事や育児にも支障が出ている人のことを紹介していた。そこから切り離されると不安になってしまうのだそうだ。  それを研究している医師もいて、なぜ依存症に陥るのかを解説してくれていた。  FBやツイッターなどをしていて、1時間~2時間があっという間に過ぎてしまった覚えのある人は少なくないことだろう。さらに激しく、これらの世界にのめり込む人々もいることだろうから、このような依存症が生じることは理解できる。  そして、TV番組でそれを報じ、「ソーシャルメディア依存症」という名前まで付けてしまうと、この症状はもう立派な?病気として公認されることになる。 (精神科医は、このような依存症や発達障害の諸症状に名前を付けてメシのタネを増やし ているのではないか?などとひねくれた解釈をしたくなるが、それはさておき)     モーゼが神から示された十戒の一つに「偶像崇拝をしてはならない」というのがある。 ソーシャルメディアに限らず、さまざまな「依存症」は、その依存する対象を偶像として崇拝している状態にたとえることができると思った。  新しい技術には、必ず負の面も伴っている。それは一枚の画の表裏のようなもので、ソーシャルメディアの中に作られる仮想の社会に浸りきってしまう人々も生み出してしまうのだろう。「偶像を崇拝するな」という啓示は、それだけにとらわれないようにしなさい、という警告だと思うのだ。  逆に言うとモーゼの時代から、その種の人々は存在していたことになる。   あらゆるモノは、特により便利で有用なモノほど人の生活に役立てられるために考え出されたはずだし、実際に多くの人がその恩恵に浴している。  ソーシャルメディアも歴史の古いマスメディアに代わる新たなツールとして登場し、その力によって国家の古い体質を変えたり独裁政権を倒すほどの力を発揮している。 (NHKが「ソーシャルメディア依存症」を取り上げたのは、日本国内でこれ以上ソーシャルメディアを普及させないためのキャンペーンではないか、という解釈も成り立つ)  ソーシャルメディアに限らず、あらゆる「形あるもの」を崇拝し、それにひれ伏してはいけないのだ。  ものごとを注意深く考えることが大切であろう。

2012年10月22日月曜日

ARCTICA号 ただいま故障中

 羅臼岳に冠雪が見られた。  今シーズン初めて見た。  「雪をまぶした」などというヤワな状況ではなく、海抜700~800メートルより上は、完全に冬山の景色になっている。知床の冬はいつもこうなのだが。  先月からアルクティカ号の調子が良くない。  具体的には、左右の前照灯、尾灯、車幅灯、そしてインパネの照明灯など夜間に走るための灯火類がまったく点灯しなくなっていた。  おそらくヒューズであろう、とヒューズボックスのヒューズを手当たり次第に点検したのが、異状は見つからなかった。  困り果てて、昨日、ボンネットを開け、目についた黒い箱を開けてみると、中に3センチくらいある巨大なヒューズが4本おさまっていた。 「オッ!」と思い早速一本ずつ抜いてみたところ最後の一本が見事に切れている。  まず、間違いなくこれが原因だと思われる。30アンペアのメインのヒューズというようなものが設けられていたのだ。  故障の原因は突き止めたが、肝心のヒューズがなかなか手に入らない。ダメ元でホームセンター、自動車用品店などを探したが、予想通り売られていなかった。  今日、職場の帰りに立ち寄った中標津町の自動車部品専門店にも無かった。だが、そこで、町内のFという自動車電装品専門店を紹介してもらった。  そこでそのF電装に立ち寄ってみた。工場はもうシャッターを下ろしていたが、事務所にはまだ、灯りが点っていて、社長さんとおぼしき人が応対に出てくれた。  サンプルに持参した切れたヒューズを一目見て、彼の口から 「ああ、それならあるよ」という言葉が返ってきた時は、ほとんど諦めていただけにとても嬉しかった。  その超巨大ヒューズは、大きさの二乗に比例するくらい高額で、社長さんが申し訳なさそうに値段を言った。そして、切れたヒューズを子細に観察して、電気回路のどこかに異状があるかも知れないので、先にそれを点検してから交換することを勧めてくれた。  このような商売上の売り上げとは別に、初対面の僕に対しても故障の原因を取り除き、安心してクルマに乗れるようにしてあげようという職人気質が、なんとも嬉しかった。  新しいヒューズを入手できたヨロコビもあるが、こういう温かい人に出会った嬉しさの方が、ずっと大きい。

2012年10月21日日曜日

ハクチョウとタコブネと

今日は「ハクチョウの日」である。  「ハクチョウの日」とは、僕が勝手に呼んでいるハクチョウの群れが多数渡りをする日のことだ。  11月上旬のよく晴れた日などに最大羽数の渡りが記録されるが、今日はそれよりも早く渡る個体群の集中移動日だったようだ。  一般的なハクチョウの渡りでは、まずシーズン最初に数羽のハクチョウがやって来る。  そんな群れは、道東には数日しか滞在しないで、そそくさと南下することが多い。  いかにも「先兵斥候」という感じの素早く機動的な群れだ。  その後を追うようにやや大きな群れが飛来する。数十羽の単位でその年生まれた幼鳥も含まれている。「斥候」を送り込んできた「先遣隊の本隊」だろうか。  今年は、今月の10日過ぎ頃に「斥候」が到着し、15日過ぎてから「先遣隊」が到着しだした。  今日は、その「先遣隊」の本隊の移動日だったのだろう。20羽~40羽の大きな編隊が、いくつも通り過ぎた。  おそらく今日で、日本にやって来たハクチョウは千を越えたことだろう。  この後、11月上旬に最大の部隊が移動してくることだろう。   ハクチョウが飛び交う風蓮湖の上空を眺めながら、海岸に出て貝殻を拾っていた。家の前のぬかるみに敷きつめようと思って、少しずつ貝殻を拾ってきては撒いているのだ。  波の音を聞きながら拾っていると、芸術的なあるいは幾何学的な構造を持った美しい貝殻があった。調べてみるとアオイガイ(Argonauta argo) という名の軟体動物の殻であるらしい。  通称タコブネ。南の温かい海に生息している。  北からのハクチョウを風が運び、南からのタコブネは海流が運んで来て、ここで出会った、というわけだ。

2012年10月20日土曜日

停電がやって来た来た

朝、6時前、「ピーッ ピーッ」と1秒おきくらいに鳴る電子音が聞こえてきた。まだモヤのかかっている頭でぼんやりと考える。 「ああ、これはパソコンのバックアップ電源の警報音だなぁ・・・・むにゃむにゃ」 「えっ!あれ? 停電かな?それともブレーカーかなぁ?」 「ったく!」などと毒づきながら 外気温0℃にまで冷え込んでいる中を起き出して厳寒の配電盤を確認に行く。  以前、漏電ブレーカーが作動してわが家だけが「停電」になったことがあったのだ。その原因は、排水口がつまっていたために溜まった水を汲み出すために設置した水中ポンプだったので心配は要らないのだが、電気が停まるとわが家だけなのかこの地域全体なのかを確認しなければならない。  配電盤を見ると異状は無く、「立派な停電」であることがわかった。  昨日、北電のウソを暴き、「停電なんか怖くない」とここに書いたからだろうか。効果テキメン。北電さんも小ブログの読者だった、などということはあり得ないか!  こうして土曜日の一日がスタートした。  真っ先に考えたのはコーヒーの淹れ方だった。  「コーヒーメーカーは使えないから久しぶりにドリップで淹れよう、よぉーしっ」などと張り切った。  それにしても寒いのでもう一眠りしようかとベッドに潜り込んでウトウトして、目が覚めた時には、電気が復旧していた。  別に怖いことなんかない。不便なことなどもない。  ごく日常的な休日の朝の出来事である。

2012年10月19日金曜日

北海道における電力会社のウソ  そして暖房自立のすすめ

 いま、北海道では北海道電力による「電力不足デマゴギー」が盛んに広げられている。 泊町にある原子力発電所が稼働していない状態で初めての冬を迎えるということで、原発再稼働を画策する勢力が張り切って展開している。  北電の予測するピーク時の需要が563万kWで、供給能力が596万kWだから、供給余力は33万kWしかないので、火力発電所などがトラブルに見舞われたら需要が供給を上回ってしまうというのがその言い分だ。  だが、それは小学生でもわかるほどのウソだ。  まず、火力発電が原子力発電よりも故障を起こしやすいという根拠が全く示されていない。「火力発電でトラブルがあったら」といいう仮定を成り立たせるためには、火発の脆弱性(そんなものがあればの話だが)を具体的に示さなければならない。  大幅に譲歩して火力発電がトラブルを起こしやすいものだと仮定しよう。  原発の出力に比べて火力発電の出力ははるかに小さい。そのために火力発電所はあちこちに建設させれ、数で勝負している。たとえトラブルが起きても影響は小さく抑えられる。リスク分散されていることになるからだ。  さらに、トラブルからの復旧時間を比べててもいい。原発が深刻なトラブルを起こせば何ヶ月にも、時には一年以上も運転できないだろう。     次に、電気の使い途はどうだろう。  現段階で町の広告や「ホワイトイルミネーション」などという飾り立てることに浪費される電力は相当な量に及ぶのではないだろうか。  使い途を吟味しないで、いきなり 「冬の北海道で電気が停まれば生命に関わる」と断定するのは乱暴すぎる。 さらに、暖房に電気を用いることそのものへの疑問を拭いきれない。 暖房は、可能な限りペチカや薪ストーブにすればいい。これらの暖房器具を設置する人に補助金を出すなどして普及を図ればよい。  わが家でも、薪ストーブと芯で燃焼させる石油ストーブを用意していて、停電が何時間続いても、暖房については何の心配もない。  暖房のために原発を稼働させるのではなく、道民一人一人が暖房についての停電対策をたてればそれで済むことなのである。  だいたい、僕の住んでいる地域は吹雪のために停電することは、普通にあることなのだ。 停電なんて怖くない。  いや、ほとんどの人にとって、停電よりも放射能の方がはるかに怖いではないか。

2012年10月18日木曜日

全快しました!

 朝8時、釧路の病院へ行くために家を出た。  6月にバイクでエゾシカと衝突した怪我の治療のためだ。  肋骨の骨折の方は、知らぬ間に治っていて、痛みを感じなくなってからかなり経っている。鎖骨もほぼ完治に近く、医師から海外に出かけても差し支えない、と言われてはいたが、治療に責任を持つ立場から最後の見極めをする必要があったのだろう。今日の通院が指示されていた。  家を出て間もなく、頭上を3羽のオオハクチョウが飛び過ぎた。今年初めて見るハクチョウだ。北西の方向から飛来したということは、昨夜くらいにサハリンを飛び立って、今、風蓮湖に到着したのだろう。 「よく来た。お疲れ様」と心で呼びかける。  病院は思いの他の混雑で、けっこう長時間待たされた。やっと呼ばれて診察室に入ると担当の医師は、レントゲン写真を満足そうに眺めながら 「もう、骨の痛みはありませんよね」と念を押した。 「全くありません。肩の周りの筋肉がまだ元に戻っていないだけです」 「ああ、それは、長期間バンドで固定していたからやむを得ないですね。リハビリテーションの指導を受けていってください。通院は、今日でおしまいにしましょう。何か問題が出たら、また、いつでも来て下さい」  こうして、6月6日の深夜に運び込まれたこの病院との縁が切れた。  自分でも状況が信じられないほどだった。  自分の身体が、自分のものではないような不思議な感覚だった。  病院で目覚めた朝、ベッドから立ち上がろうとして立てなかった時のショックも忘れられない。  衝突直前のシカの顔。救急車のサイレンや振動。入院、点滴、誰かに介助してもらわなければ全ての日常生活が成り立たないという状況。全てが生まれて初めての経験だった。  気を失って路上に横たわっている僕を見つけて救急車を呼んでくれた人。  救急隊員。怪我の程度を的確に判断してくれた最初に運び込まれた病院の医師や看護師。そして搬送先で受け入れてくれた病院のすべての職員。中でも病棟の看護師や医師、見えない所で食事を調理してくれていた人々や駐車場で交通整理をしているおじさんたちまで、僕がここまで回復するために、いったいどれだけの人々の努力やはたらきが注がれただろう。  もちろん職場の仲間や友人たち、肉親や家族の心労は言うまでもない。  あらためて、みな様に感謝したい。  本当にありがとうございました。これからは、取り戻すことの出来た健全な身体と健康を大切にしていきたいと思います。  帰り道、振り返ると美しい夕焼けの雲が浮かんでいた。

2012年10月17日水曜日

羅臼高校 第7番教室

 怪我をしていたということもあるが、今年の夏のヒグマの出没状況が異常に多かったため、裏の山に入ることができなかった。  9月18日にこの付近を徘徊していた一頭が捕獲されたのを最後に、この一ヶ月間は目撃例がないということだったので、今日、生徒を連れて山に入ってみた。  笹原の急斜面についたシカ道に沿って登ると海抜200メートルほどの台地に出る。ホウノキ、カツラ、ミズナラ、トドマツ、エゾマツ、キハダなどなど、他種多様な樹木が思い思いに林立する林の中は、しんと静まりかえり、適度な湿度と暖かさで心地よい空間とである。  地面を見れば赤や白、黄色や茶色、オレンジのキノコが顔を出している。足跡、ニオイ、糞などから動物の気配を探る。シカ以外は目立っていないが、遠くの樹の幹でアカゲラが食事中だった。少し歩くとエゾリスが枝から枝へと渡っていた。樹木の間をカケスが器用に飛び回っている。  それ以外、特に大型の野生ほ乳類の気配はない。それでも周囲を警戒しながら生徒たちに「解散」を指示した。  彼らは、三々五々散っていく。藪の中に分け入る者、樹木の皮をめくってみる者、ドングリを探す者、最初のうちは一箇所にかたまっていた集団が徐々に離れて行った。  この場所を僕らは「7番教室」と呼んでいる。校舎内には普通教室が6室あるので、7番目の教室という意味だ。最初は、僕が冗談で口にしたのだが、意外に生徒の気に入り、今ではその呼び名が定着したようだ。  同じように、積雪期に山スキー実習をする場所が「8番教室」となっている。  林の中につけられた獣道を歩くうちに倒木更新が行われている場所を通りかかった。主にトドマツやエゾマツなどの種子は、直接地面からは発芽しずらい。古い倒木が腐り始めた頃にそれを苗床代わりにして稚樹が育つのだ。天然の森林はそうやって世代が更新されていく。  いつでもこの場所では倒木更新の話をすることにしている。  巧まざる自然の仕組みのひとつなのだが、老木が倒れた後で若い世代を育てるというところが、人間社会にも比喩的に当てはまるから皆、感心して聴いてくれる。  だが、説明しながらふと考えた。果たして、今の人間社会の「倒木」は若い世代を伸びやかに育てる環境を作っているだろうか。地球の資源を自分たちの世代だけで使い尽くす、放射能をはじめ様々な長寿命の有害物質を環境に垂れ流して、平気でいる。  北海道の山ならどこにでもあるありふれたトドマツの倒木にさえ及ばない下卑た社会に成り下がってしまったのではないだろうか、と。

2012年10月16日火曜日

風によせて

桃色の衣に被われていた マユミの実が その衣の隙間から 深紅の実をのぞかせ 側溝の所々に佇んでいる 大陸から たっぷりと冷気を含んだ高気圧が来て 脊梁山脈から風を吹かせる 風は知床の山を下って 谷で速度を上げ 体当たりするように海面にぶつかる 僕たちには 根室海峡へと走り去る 風の足跡が見える ユーラシア大陸で生まれた冷たい風の ここは終着点なのだ シベリアの透明な湖の岸で生まれた風たちが ずっと旅してたどり着く ここはそんな海であるのだ 思惑やはかりごとを凍らせ 欲望を震え上がらせる風が これからやって来ることを ふれ回るように風が走っていく 根室海峡 風よ 南へ向かえ 南の島に渦巻く 塵芥を吹き飛ばしてしまえ

2012年10月15日月曜日

「ニンゲンはカビだ」という結論が出されるまで

 羅臼高校二年生の選択科目「環境保護」。 生徒の間で「難しい」というウワサが流れて、このところ選択者が少ない。今年度は男子ばかり3名で開講中。  前時まで黒澤明作品の「デルス・ウザーラ」を観おわった感想を話し合っていた。  極東・ウスリー地方の先住民と二十世紀文明との出会いを描いた、探検者アルセーニェフの手記「デルスー・ウザラー」を元にした映画で、自然環境に強く依存して生活するタイガ(密林)の先住民の自然観を考えることがテーマだ。  それを受けて、今日は人類の出現から文明の発生、国家の形成などについて1学期に学んだ内容をさらい、「ニンゲンとは何か」というテーマへの導入にした。  この先は、哲学的な内容に入って行く。 「ニンゲンとは何か、あまり深く考えずに、思いつくままに一言で表してごらん」と問いかけた。  さまざまな答が出された。 「ニンゲンとは『欲』だと思う」 「ニンゲンとは、仲間を求めるものだと思う」 「ニンゲンとは、サルだ」  そこで、僕。 「パスカルは『人間は考える葦だ』と言ったよ」  すると生徒の一人が訊いてきた。 「先生ならなんて言う?」 (チクショウ!パスカルを出す前に訊いてほしかった!) 「『考える葦』である人間も、頭を使って文明を発達させたけど、地球規模の環境問題を次々に起こしているね。このままでは地球環境はニンゲンによって食いつくされてしまうかも知れない。地表を蝕むカビみんたいなものだな。オレに言わせれば『ニンゲンは地球のカビである』だね」 Aくん 「じゃ、『ニンゲンは考えるカビである』だね」 Bくん 「考えが足りないから問題をおこすんだよナ。」 Cくん 「じゃあ、『ニンゲンは考えないカビである』か?あれ?『考えないカビ』ならただのカビということになる。『ニンゲンはカビである』ということか!」 ハァ!

2012年10月14日日曜日

恋問の浜でクジラを供養する

昨夜、斜里町ウトロの世界遺産センターで、しれとこ100平方メートル運動35周年行事のひとつとして講演会があった。 講師は、前環境省自然環境局長の渡辺綱男さん。知床の世界遺産登録に尽力した人だ。 講演の中で、渡辺さんが紹介してくれた司馬遼太郎の言葉が、とても印象に残った。 これからの日本を何とかするために 国民の80パーセントが合意できることを 日本人みんなで決めて、それをみんなして 守っていくことにしたらどうだろうか。 (対談の相手:そんな80パーセントで合意できることってありませんよ) いや、ひとつだけある。 自然をこれ以上壊さないことだ。 これだけは合意しようとすれば、 日本人は合意できるのではないかな。                   (司馬遼太郎の対談より) この通りの政治を政府が行っていれば、日本は今頃、もう少しまともな国になっていたであろう。 未明から天候が回復し、秋晴れの一日となった。釧路へ行く用ができ、出かけた。  時間があったので、久しぶりに恋問の海岸へ、太平洋を見に行った。  幅の広い汀線が、延々と続く景色は久しぶりだ。根室海峡とは違った海を楽しむことが出来た。  海岸のテンキグサの群落を見ると、クジラ類の椎骨がいくつも転がっている。  まだ歳若い個体のもののように思われた。  衰弱して、海岸に打ち上げられて死んだのか、  死んでから波に運ばれてきたのか、  大型の動物は、骨になってからも目立つ。   まだ死ぬことがなければ、今頃はまだ、太平洋のどこかを遊弋していたであろう。  そう思うと哀れだ。  供養の意味で、骨たちを集め、持ち帰ってきた。
漂着の鯨へ 波のレクイエム 風の祈りと砂の装い

2012年10月13日土曜日

反「反科学」論 ②

 昨日の小ブログに「反『科学』論」と題して書いたが、内容は授業の実践記録になってしまった。  寝る前の、疲労困憊した頭で書き始めたので、自分の言いたいことが自分でもわからなくなったような文だった。(いつもお粗末だが)  要するに、統計の解釈によって、受け取る側の印象を狙い通り操作できるということを知っている高校生がいるという事実を伝えたかったのだ。  その上で、彼が、どうやってそのことを知り得たのかに興味を感じた。  ひょっとしたら昨年の原発事故以来発表される胡散臭い数値や「科学的」とされる資料に対して、疑心暗鬼になっている大人社会の気分が感受性豊かな若者にも反映しているのではないか、と考えた。  もう一点、かなり以前から「理科離れ」が心配され非合理主義にはしる若者の増加が指摘されていたが、昨年の原発事故以来、その質が変化しているように思うということも伝えたかった。  どう変化しているのかというと、先に述べたように統計の数値や測定値そのものへの不信感が増したように感じるのだ。  その背景には、「数値は、操作出来るのではないか」という不信感の広がりあると思う。  いずれにしても、人類にとって幸福なことではないような気がする。

2012年10月12日金曜日

反「反科学」論

 「△は、どうしよう?」  「野外観察」の授業で、僕は問題をこう投げかけた。  先日、海岸で観察してきた漂着物の分析をしていた。  海岸で集めたゴミのうち、漂着物と非漂着物を分け、漂着物の占める割合を推定するのが今日の目標でだ。ゴミのリストを作り、漂着物には○、非漂着物には×をつけて区別した。非漂着物とは、つまりは誰かが海岸に捨てたゴミのことだ。  ところが圧倒的に多くのゴミがどちらとも言い難い△になってしまった。  たとえばペットボトル。  ロシア製のものや韓国製のものは、漂着したと推定できるが、日本製のものであれば、漂着したものもあるし、誰かが海岸に捨てたと考えることもできる。  △が少量であれば、一つの項目としてそのまま記載しても良いし、統計上無視することもできる。しかし、全体の量の半分以上を△が占めているのだ。 そこで「△はどうする?」と問うたのだ。  二年生7名が受講している。彼らは、真面目だが、口の重く、なかなか自分の意見を発表してくれない。そこでまず、この問題について仲間同士で話し合って頭と心のウォーミングアップをさせようと思ったのだ。  期待通り、話し合いは徐々に盛り上がりを見せた。  最初に、 ①「ゴミを集めたときに、現場でよく観察、話し合って、できるだけ○か×に分類する。」 という案が出された。もちろん正論である。皆が賛成した。  次に ②「△は、独立して扱うべきだ」という意見と ③「△は、非漂着物に入れてしまおう」という意見が出た。 ②と③は対立した意見だから話し合いを深める必要がある。                         (狙い通りだゼ!) ②の意見は、事実をそのまま統計に反映させるのだから、その意図はわかる。  どうして③のような意見が出るのか興味を感じたので提案者に質問した。すると、  「△を×と一緒にすることで、非漂着物の数値が上がり、町民が自分たちの海岸を汚し ているという事実が強調されて、海岸美化の意識を高める効果が上がると思うのです」 提案者のMくんが堂々と述べてくれた。  内心、僕は舌を巻いた。高校生にもなると、こういう発想もできるのだ。  つまり、統計の目的まで先読みして、その目的に沿った形で統計をまとめようというわけだ。彼の説明には説得力があった。7人の生徒のうち6人が彼の案を支持した。②の案を提案したTくんも支持にまわった。  ただ一人、Uさんは疑問を投げかけた。  「統計は、できるだけ事実に近い方がいいのではないか」と。 (たとえ一人きりでも自分の意見を曲げない彼女の態度には感心した。日頃、みんな無口だけど、いい生徒達じゃないか、と思った。)  これは生徒の提案だから、力で退けるわけにはいかない。  結局、この問題は、次の授業時間まで持ち越して、議論を深めることにした。つまり結論は先送りとなった。  「野外観察」という科目は羅臼高校の自然環境科目群の一つの学校設置科目であり、学習指導要領にその内容が決められているものではない。 「科学的な自然観を身につけるために、野外において実践的な自然観察を体験する」というような目的で設置されている。だから歴とした「理科系」の授業だ。 だから統計も、できるだけ観察事実に基づいて、事実が反映されるように行わせたい、と僕は、個人的には願っている。  だが、一方で生徒たちの考えも尊重せねばならない。この授業の行方も気がかりなのだが、同時に僕は別のことを思っていた。  いま、少なくとも日本において「科学」が力を失っているのではないだろうか。  十年か二十年前からそのような傾向が見られると感じていたが、昨年の福島第一原発の事故によって、その風潮が決定的に広がって、科学への不信から反感にまで達しているように思う。  反「感」であるからそれは科学的根拠など無いのが当然である。  様々な分野で科学的なものを否定する考え方、行動、解釈が広がっている。  奇妙なのは、その種の反科学情報や反科学的感情が、科学技術の最先端の成果が投入されているインターネットの世界を伝わっているという事実だ。  これらの傾向は、感情的な動きであろうからいずれは沈静化していくと思う。沈静化させるためには、「科学は、事実だけに基づくものである」ということを徹底させるしかないだろう。  ただし、「事実」を見誤らせるために、統計が意図的に操作されることはありうるし、歴史の重要な局面では、その手段がよく用いられた事実を知っておく必要がある。  来週の「野外観察」  口の重い生徒達が、この問題にどう結論を出すか、楽しみでもある。

2012年10月11日木曜日

イカの季節

 イカが獲れはじめた。  秋になると根室海峡でイカ漁が始まるのは毎年のことだが、今年は少し遅れ気味のようだった。  昨日あたりから急にイカ釣り船が増え、夜の海が漁り火で真昼のように明るくなりはじめた。イカ釣り船の集魚灯がまぶしくてよく眠られない、と職場の同僚がぼやいていた。  ぼやきながらも町に活気が生まれることに、どこか嬉しさがまじっているようだったが。  今朝、さっそく獲れたてのイカを持ってきてくれた人がいて、数匹のイカを持ち帰った。 1匹はすぐに刺身に、2匹はマリネに、他は解体後皮を剝いて冷凍した。新鮮なゴロ(肝臓)と足や耳は塩辛にした。  塩辛は、イカの身とゴロと食塩だけで作る。  新鮮なゴロにはタンパク質分解酵素が含まれていて、筋肉のタンパク質を分解してアミノ酸を生産する。それが塩辛の旨味となる。それには、何よりも新鮮なイカが必要で、僕は、秋のこの時期、前浜でのイカ漁を心待ちにしている。  ところで、大量の塩辛を作っても塩辛ばかりをおかずにするわけにもいかないだろう、と言われる。そんなことはない。少量ずつ分けて冷凍しておき、少しずつ食べる。そして、何より茹でたジャガイモに塩辛を載せて食べるのが最高なのだ。人生のヨロコビと言っても過言ではない。  今日は夜半から雨になった。寒冷前線が上空を通過している。雨が上がると気温も一段と冷え込むに違いない。冷え込んだ海上で、イカ漁はこれから最盛期を迎える。漁師たちの厳しい労働にも感謝して、塩辛を味わわなければ。

2012年10月10日水曜日

建築はアートでなければ

 ウィーンの街に「Hundertwasser Kunstbauwerke」という看板があり、写真のような建物が建っている。看板の意味は「フンデルトヴァッサーのアートビルディング」とでも訳すのだろうか。  オーストリアの画家で建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーがウィーンに建築した公共住宅である。  オーストリアの人気テレビ番組「願いをかなえて」(1972年)にフンデルトヴァッサーが出演した際、彼は自分の夢を「植物と共に生きる家を作ること」と語った。家の模型を作り、人々に「植物と共に生きてこそ人間は、よりよい生活を送ることができる」と訴えた。  それを受けて当時のウィーン市長が、1977年、フンデルトヴァッサーに自然と共生する公共住宅の建設を依頼した。  しかし、フンデルトヴァッサーはイメージした建物は、従来の建築理論と相容れない常識外れのものであったが理解を示す建築家が現れ、1983年に建設が始まり、1986年に完成した。  専門家の中には悪趣味だという意見もあったが、入居希望者が殺到し、大評判となったという。 完成から現在まで、訪れた人を楽しませるカラフルでリズミカルな外観、至る所に植えられた植物は成長を続けている。フンデルトヴァッサーの思いが詰まった独創的な住宅である。  当時、一緒に作業した建築家のペーター・ペリカンは「確かに彼は建築家ではなかったが、哲学者だった。自分の造りたい家のビジョンをしっかり持っていた。例えば家を建てると地面がなくなる。その代わりに屋上に地面を作り、植物を植える。これが重要だ」と語っているという。  このようなリズミカルで有機的な曲面からなる建造物は、スペインのガウディの建物が有名だが、フンデルトヴァッサーさんのこの建物も、同じ系列に属するものだろうか。  日本だったならば、建築基準法がどうだとか、景観上の問題が・・・などと言い出す人がいて、絶対に建てられないかも知れない。  あるいは、奇をてらって周辺の景観を無視して独善的な「変わった建物」になるかも知れない。  今回訪れたウィーンの「Hundertwasser Kunstbauwerke」は、派手な色使いで奇妙な外観でありながら不思議に周囲の街並みに溶け込んでいた。  さすがは「芸術の都ウィーン」だけのことはあるなあ、と感心したものである。 

2012年10月9日火曜日

日本の自然保護行政はやっぱりどこでも同じなのだろうか

 一昨日土曜日に目撃した野付半島核心部におけるモーターパラグライダーによる水鳥へのインパクトについて、休み明けの今日、関係各方面に電話で対策を要請した。  どこの役所も似たような対応で、 「話は一応聞いた。部内で検討して善処する。」というような回答だった。まさに暖簾に腕押し、糠に釘という感じで、全く手応えが感じられない。  要するに真剣に自然環境を保護する気概が全然感じられない。  こちらの姓名や所属を明らかにしているにもかかわらず、である。  「部内で検討して・・・」というのだから検討結果は、黙っていても教えてくれるものではないだろうか。だが、そのような気配は全く無い。放っておけば「聞きっぱなし」にするという気配だった。こちらから言い出さなければ、「聞きっぱなしてガス抜きしておけ」という態度に終わりかねない。  正直なところ、今回電話で連絡した部署は、日頃いろいろな事業で多少の協力をしている役所であり、顔見知りの職員もいる。そのような間柄でさえこの対応なのだから、驚く。 事を荒立てない、新しい問題にはなるべく関わらないというお役所的な根性ムキ出しである。  自然環境を守りたいというパトスは全然伝わってこない。  役所がこのような対応をしているうちに現場の自然環境は、ますます荒れて、気が付けば取り返しのつかない事態になっているかもしれないのだ。 この問題に関しては、新たな動きがあるごとに小ブログを通して皆さんにお知らせしたいと考えている。  小さな小さなブログのつぶやきでゴマメの歯ぎしりにも達しないかもしれないが、野付半島を目指して飛んでくる渡り鳥たちがいる限り、スジは通させてもらおう。

2012年10月8日月曜日

連休最終日

 最高の晴天だった。  旅の疲れが出たか,珍しく朝寝をした。午前9時過ぎまでベッドでうだうだしていると本当に珍しいことにアファンが入ってきて起こされるまで寝ていた。身体と態度の大きなアファンは、家の中でもわがもの顔で振る舞っているが、めったに寝室には入ってこない。  仔犬の頃、先住ネコのピョートル(愛称「ペーチャ」)が寝室に入ってきたアファンに対してこっぴどく叱ったらしいのだ。  「らしい」というのは現場を見ていないので真相はよくわからないからだ。とにかくある日を境に、どんなに呼んでも寝室には来なくなっていた。アファンにとって、寝室の入り口には「見えないフェンス」が設けられたのだろう。  そんな彼女が、朝からあまりにも天気が良いので、待ちきれなくなって入ってきたものと思われる。  もちろんそそくさと朝食を済ませて、散歩に出た。  休日の散歩コースは、イヌに任せることにしている。今朝は、迷うことなく海岸への道を選んだ。  いつも通り「第一次伊能忠敬探検隊 蝦夷地最東端到達記念碑」の前を通って西別川の河口から海岸に出た。  波と戯れながら砂浜を歩く。  家の前のぬかるみに敷くための貝殻を拾いながら歩く。波打ち際にホタテの貝殻!と思ったら、アララ中身が入っていた。  これは海に入って獲ったものではない。あくまでも拾得物、あるいは弱った野生生物である。さっそく「保護」することにした。  だが、その日の昼食時、わが家の食卓にはなぜか焼きホタテが・・・・。 根室海峡の恵みだ。ありがたい、ありがたい。  1キロくらい砂浜を歩くと海岸に釣り竿を7本も10本も立ててサケを釣ろうと頑張っている人たちがいた。  今日のような好天の海岸で、釣れるか釣れぬかわからない獲物を狙って、ノンビリと潮風に吹かれて過ごすのは気持ちの良いことだろう。さぞや自然を愛し、そこで過ごす時を楽しめる人々なのだろうと思いながら近づいてみると、海岸近くまで乗り入れた車で、テンキグサやハマナス、コウボウムギなどが無残に踏みつけられ、お弁当の食べ殻や空き缶、ペットボトルなどが散乱している。  釣り人の大部分は良心的だと思いたいが、これらの醜い振る舞いの跡を見せつけられると、自然から収奪することばかりしか頭になく、地元の人間の迷惑や将来の世代への豊かな環境の受け渡しなどについては、まったく関心のない野蛮きわまりない非文化的な、ニンゲンの風上にも置けない、破廉恥な、とても同じ社会に帰属していたくないような人々が混じっているのが現実のようだ。  そう言えば、この季節、真夜中にサケの捕獲施設にサケを「見に行って」ヒグマに襲われるという事件もあった。  海辺の真っ暗な細い一本道で、互いにライトを点けずに走っていた車同士が正面衝突して死亡交通事故に至るという事例もあった。  げに恐ろしき執念じゃなああぁ。

2012年10月7日日曜日

野付半島の悲しい空

青空の広がる気持ちの良い天気になった今日、一年以上、間をおいて野付半島へ行った。  いつもの通り観光客で賑わうトドワラを避け、灯台のある龍神崎まで直行し、一本松へ向かう道に入った。  この道には、車が入られない。野付半島のもっとも広い原野の真っ只中を突っ切る道だ。 道に覆いかぶさるように生えているススキの穂が金色に輝いて、あたりに光の粉が立ちこめているようだ。  遠い波の音、時おり聞こえるキアシシギの声。他にはまったく音は無い。  野付半島先端部の良さは、これだ。などと考えている突然けたたましいエンジン音が空から降ってきた。見るとモーターパラグライダー3~4台が空を飛び回っている。野付半島心臓部の静謐に上空から容赦なく浴びせられるエンジン音は似合わない。 そう言えば、駐車場に、旭川のクラブの名前を書いたキャンピングトレーラーが数台止まっていた。わざわざ野付半島まで、飛びにきているらしい。  見ていると灯台近くの淡水沼で休んでいたらしいカモの群れが一斉に飛び立って逃げ出した。カモやサギなどの水鳥は視界の良い開放的な水面で活動するので、われわれが想像する以上に上空を気にしている。  タカやワシがその上空をちょっと飛んだだけで、みな一斉に飛んで逃げ散る。人間が上空から脅かすなど言語道断だ。    「今日よりは、日本の雁ぞ 楽に寝よ」と小林一茶は詠んだ。虫や鳥など小さな生命を愛で、常に弱い者の味方をした一茶らしい句だ。今、千島列島沿いに、あるいはサハリンからオホーツク海の海岸に沿って、たくさんの渡り鳥が渡ってきている。根室海峡の沖合に大きく張り出した野付半島は、そんな渡り鳥たちにとって真水があり餌も採れる絶好の中継地となっている。いわば水鳥の国際空港とも言える。  だからこそラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)登録湿地になったはずだ。  何千キロにもわたり、命がけの旅を続け、やっとたどり着いた水鳥たちが、都会から押しかけた一部のモーパラ愛好家によって、一休みする間もなく追い立てられている事実は、断じて許すわけにはいかない。  帰りがけに野付半島ネーチャーセンターに立ち寄って尋ねてみた。  NCでは、野付半島がモーターパラグライダーのフィールドとして利用されている事実は認識しているようだったが、「法的に禁止されていない」という理由で、積極的な規制措置をとれる立場にないということだった。  それはその通りかも知れないが、渡り鳥の保護という趣旨を徹底させるためにもネーチャーセンターを運営している別海観光公社や別海町は、道立自然公園の管理者である北海道と協議して対策を立てるとか、モーパラの安全や道徳教育を進めている日本ハング・パラグライディング連盟や日本パラモーター協会などの団体と交渉するなど、積極的な対応や努力をするべきではないだろうか。  ラムサール条約は、観光客にアピールするための看板ではないはずだ。  以前にもこのブログに書いたことだが、野付半島はラムサール条約登録のための鳥獣保護区設定に際しても半島先端部の自然環境上の核となる地域をそっくりそのまま可猟区として残すなど杜撰な自然保護施策がなされている「問題の区域」である。  何が背景にあって、このようないい加減な自然保護行政がまかり通っているのか、よくわからないが、この上にさらに水鳥の生息環境悪化を放置するなら、日本の自然保護行政の恥部を世界に曝すことにもなりかねないだろう。

2012年10月6日土曜日

復讐を志向する日本社会の危うさ

 10月に入り間もなく1週間が経つ。  まだ、紅葉は、はっきりとは見られないが樹木の葉の緑色は、すでに勢いを失いつつあるように感じる。冷え込みが来れば一気に紅葉することだろう。  今度のヨーロッパ旅行では有形無形の収穫がたくさんあったが、ウィーン大学の日本研究の先生方と出会ったことは、取り分けて印象深い。ウィーン大学には「東アジア研究所」というセクションがあり、様々な研究者がいろいろな分野の研究をしている。そして、皆非常に優秀な人々だ。  なかでも印象深かったのはローランドさんという方だった。  ローランド・ドメーニグ先生は東アジア研究所の准教授で、日本映画の研究をしている。日本人の僕が知らないような映画についてまで、よく知っていて、穏やかながら説得力ある語り口で親しげに話をしてくれた。  それもそのはずで、帰国してから調べてみると、彼は、日本の映画界でも名前の知られた日本映画研究の第一人者だったのだ。 2月には日本映像翻訳アカデミーの特別講義で講師を務めている。その紹介文によると  「(ドメーニグ氏は、)独自の視点を持つ日本映画史の専門家としても世界的に知られています。また、映画祭のキュレーターやプログラマーとして国際的に活躍すると同時に、『もののけ姫』(宮崎駿監督)のベルリン映画祭出展用ドイツ語字幕を手がけるなど映像翻訳者としても実績を残しています。」  ローランドさんは、「最近の日本映画の特徴として『復讐』をテーマにしたものが増えている」とう話してくれた。  「何か思い当たるような背景はありますか」ときかれて、  「社会全体が、復讐に寛容になっているように思う。死刑判決の基準が下がっているという指摘もあるし、死刑制度を指示する世論の割合も高止まりしているし・・・」などと答えたが、氏はこのことは既に知っている様子だった。  社会運動家ではなく研究者であるローランドさんは、初対面の僕に対する配慮もあってか、この話題をそれ以上踏み込んで展開させようとはしなかったが、今の日本社会が向かっている方向の危うさを言外に滲ませたように感じられた。  責任の追及と復讐とは違う。  現代の日本社会の向かおうとしてる傾向を、海外から冷静に観察している人々がいるということをわれわれは知るべきで、そういう人々の意見にもっと耳を傾け、この国がどこへ向かおうとしているかを厳しくチェックするべきだろう。  それら研究者の見解は、客観的で利害関係が無いだけに聴く価値があると思う。  また会って、もっと話を聴いてみたい人々の一人である

2012年10月5日金曜日

言葉を侮辱する者たち

 「可能な限り市街地上空ではプロペラの向きを変えない」というのは、「可能でない場合は、市街地上空であっても向きを変えることがある」という意味だ。  「直ちに健康に障害の出るレベルではない」は「長期的に見ると、健康被害が出る虞がある」という意味だ。  別に今に始まったことではないが、この国の政治家や官僚は、寄ってたかって母語を貶めている。  世界中に何種類の言語があるものかわからないが、どんな国のどんな人々でも母語を大切にし、できるだけ美しい言葉にしたいと願い、そう努力しているのではないか。  日本語も、地理的な理由から、他の言語とそれほど強く混じり合うことなく、美しい伝統を蓄え続けてきたのではないだろうか。すぐれた文学作品はたくさんある。  何かと言えば「日本」を誇り、真っ赤な誤りながら「単一民族」などと鼻の穴を膨らませて威張り散らしたいような人たちが、こぞって言葉を醜く貶めている。  今に始まったことではないが。

2012年10月4日木曜日

取り残されている気がする 日本

 台風19号が根室のはるか沖合を通過して行ったせいか、雲が怪しげに動き、時折激しい雨も降った。  激しい風が知床の山に当たって、局地的は雨を降らせている。  今日、羅臼町の中高生は一つの講演を聴いた。開発援助を行うNGOを作り、エチオピアで活動していた人が来てくれたのだ。  講演は、エチオピアの貧しい農村を真に豊かにするために、どんな援助の方法が良かったのか、という話が中心だった。つまり、モノやお金を手渡しても、それがなかなか援助になりにくい。そこに住む人々の生活を変え、意識を変え、意欲を引き出すことが真の援助につながっていく、という趣旨のものだった。そのためには、その地域の住民の精神的、経済的自立を促すような援助を行うべきで、政府の途上国向け援助は、その意味で十分な成果をあげているとは言えない。物質面での援助に加えて、集落が精神的に自立していくような工夫が、これからの時代には求められる。  そのために彼らのNGOがどれほど努力しているか、という話が中心だった。  村が経済的に豊かになることで、貧しさ故の森林伐採はおさまり、環境の保全にもつながることになる。  先進諸国は、環境のことを考えるならば、途上国への援助の仕方を考え直さなければならない。 講演そのものも非常に興味深い内容であったが、話を聞きながら少し驚いたことがあった。  それは、この40~50年間にエチオピアの辿った歴史である。  エチオピアはアフリカ最古の独立国で、1974年まで皇帝が統治していたが、軍部のクーデターによって廃位となりエチオピア連邦民主共和国となった。  こうして出来た政権は社会主義政策を推進したが、ソ連の崩壊に伴う世界的な政治変動や当時の国内の独立運動などによって1991年に政変が起き、2000年以降安定した政権が続いている。  この話を聴いて、ふと気づいたのだが、1990年代以降、世界の多くの国で政変や政権交代が頻発していたのだ。  この世界的に嵐が吹き荒れていた時代にも、日本は多くの矛盾や不条理を抱えながら政治的には全く変わり映えしていない。カタチだけの「政権交代」はあったもののその中身は、さして変わったとは言い難い。  「日本の悲しい現実」をここでも突き付けられた。

2012年10月3日水曜日

スロバキアを去る日  ブラチスラヴァの小公園で

 スロバキアのブラチスラヴァでは、ドナウ川に浮かぶ船を改造したホテルに泊まった。boat の hotel だからbotelと表示してあり、最初、スロバキア語ではホテルのことを「botel」と言うと思った。何しろcoffeeがkova なのだから。  ホテルの前の川岸から道路まで2~30メートルくらい離れていて、その間が公園のようになっている。ジョギングをする人、イヌを散歩させる人、ベンチで語り合うカップルなどブラチスラヴァの人々が思い思いに過ごしていた。  帰る日、船着き場まで歩いていると、その公園に銅像があることに気づいた。ヨーロッパの街には、いろいろな銅像がたくさんあるから、細書はあまり気に止めなかった。しかし、よく見ると、その銅像は、片眼をハンカチのような布で覆い、右腕に銃を持ち、左手でぐったりとした別の男性を抱きかかえて、精悍な表情で遠くを見つめている。
そして、その台座には、 「KTO PADNE V BOJI ZA SLOBODU, NEZOMIERA」 と書かれており、その下には 「HRDINSKYM BULHARSKYM PARTIZANOM   KTORI POLOZILI ZIVOT ZA   NASU SLOBODU.」と書かれたプレートが貼り付けられていた。
 スロヴァキア語は、まったくわからず、周りにそれを理解できる人もいない。インターネットの翻訳で、手探りに調べてみた。  台座の文は、「自由のための戦いで死んだ者は、死ぬことがない」というような意味らしい。  そして、プレートには、 「私たちの自由に命を捧げたブルガリアの英雄的なパルチザンのために」というような意味になるのだろうか。  (もし、スロバキア語をご存じの方がこれをお読みになったら、間違いをご指摘下さい。   そうしてくだされば、とても嬉しく存じます。)  第二次世界大戦の時、ナチスドイツに占領され後も抵抗を続けたパルチザンは、チェコやボスニア、スロヴェニアなどで粘り強く活動して、ドイツ軍を悩ましたことはよく知られているが、この地でも激しい活動が行われていたことが実感される。  銅像の前には花束が捧げられており、周りはきれいに清掃されている。もう忘れられかけている遠い日の出来事であろうが、その後もソ連との軋轢、チェコからの分離と、独立までに紆余曲折を経なければならなかったスロバキアの人々の思いが伝わってくるように感じた。  日本はどうか?  地理的な条件から、国が独立していることの意味とありがたさをどれだけの人が理解しているだろう?  形ばかり「独立国」とされていても、実態はアメリカの思うままに基地を提供し、米軍人に対する裁判権すらなく、率先してお金まで負担している。それで「独立国です」と言えるのか?  そして、そのツケは全部国民に回している政府が70年近くも君臨しているというのに国民は独立しているような共同幻想を抱いている。  ブラチスラヴァを去る間際、この銅像は無言でそんなことを語りかけてくるようだった。 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」  寺山修司の歌が心に浮かんだ。

2012年10月2日火曜日

冬のゆりかご

 旅の帰り、飛行機は1万メートルを超える高さでシベリアの上空を飛んでいた。  そろそろかな、と思い窓の遮光シャッターを開ける。眼下にはシベリアの山が広がっている。やがてバイカル湖が見え始めた。  僕がシベリアに魅入られる原点となった湖。  「シベリアの真珠」にふさわしい深い色の湖面が朝の光を照り返していた。  何度目の邂逅だろう。バイカルをまた、見ることができた。  それだけでも、旅に出た甲斐がある。  ふと見るとバイカル湖の東岸に沿って伸びるバルグジン山脈の頂が、雪を被っている。まだ、9月末。一瞬目を疑った。一年中消えない雪か、と思った。  だが、この山脈の標高は2800メートル程度で、万年雪は無いはずだ。  それにふわっと粉砂糖をまぶしたような積もりかたに見える。新しい雪だと思う。  初雪かどうかはわからないが、これからやって来る冬の雪に違いない。  ああ、冬は、こんな場所で、こうやって生まれているのだ。  こんなことを考えていると、僕の住む北海道に冬がやって来るのが待ち遠しいような思いがしてくる。

2012年10月1日月曜日

サギの森

 北海道中央部、石狩平野の南東の丘陵地帯はかつて大森林地帯だった。  その片鱗が非常に微かに残さっている野幌森林公園に「サギの森」という場所がある。そこではアオサギの集団繁殖地(コロニー)がある。  もっともアオサギという鳥は、時々コロニーを移すそうだから今はどうなっているのだろう。  僕の学生時代には、遠くからでもはっきりわかるほどアオサギの糞で幹が白くなった樹木が何本も並んでいて、ちょっと異様な印象を受けた。誰にでも知られている場所で、「サギの森」というバス停もあったように記憶している。  バスに乗ってそこを通るたびに「サギの森です」という車内アナウンスが流れた。  サギは、羽が白いことから「サヤケキ(鮮明である)」の意味だとか、  鳴き声が騒々しから「サヤギ(騒)」だとか、  「サケ(細毛)」や「サケ(白毛)」が語源だとする説、 「キ」または「ギ」は、トキ(朱鷺)、シギ(鴫)などと同じように鳥を意味する接尾語で、「サユ(白湯)」などに使われている白を意味する「サ」が最初に付いて「サギ」すなわり「白い鳥」の意味だという説など様々な説がある。  漢字の「鷺」も「透き通る白いつゆ」を意味する「露」と「鳥」の組み合わせで出来ている「透き通るように白い鳥」という意味だという。  別の資料では、平安時代の官位で、正四位下に「参議」という職があり、その「サンギ」から名付けられたという説もある。ゴイサギという鳥は「五位鷺」と書くから、この説などは説得力がある。  いずれにしても透き通るように純白で、高貴な官位に由来する、優雅で上品な鳥というイメージを振りまいている。  ゆめゆめ当節流行の「詐欺」と混同してはならないだろう。  日本の安全のために、沖縄県民の安全には目をつぶり、オスプレイを配備すると言う。 原発を稼働させる時は、「私の責任で」と言った人が、「あれは最終的に安全委員会が判断した」と言い始める。  この先稼働できる見込みのない原発の建設工事を再開させておいて、「あれは建設者側の判断だ」という。  日本の政治家の巣くっている所こそまさに「詐欺の森」だと思う。  そう言えば、サギという鳥たち、優雅な印象もあるが、あれでなかなか狡賢く、喧しく成長の限界の見えた立木の多い林にコロニーを作って樹勢を弱め、枯死するとあっさり集団移転する、なかなかにしたたかな一面も持っている。  サギの森の悪いサギたちを根絶やしにしないと、日本が枯死する日は近い。