2012年11月11日日曜日

「天声人語」に異議あり

昨日の朝日新聞「天声人語」  中国指導部の腐敗が進んでいる、と。  指導者の人事が密室で決められ、決定の過程が不透明である、と。 (以下部分引用)  庶民の間に、「幹部の四態」なる戯れ歌があるそうだ。  「午前は車でアチコチ   昼はお皿がぐるぐる   午後はサイコロがころころ   夜はスカートがひらひら」 <中略> 共産党独裁にして資本主義を疾走する大国が、この党大会でどう舵を切るのか注視したい。 (以上が引用。改行は筆者)  これに異議はない。同感できる。  だが、中国のこの体制との比較として「国民総参加だった大統領選と、大きな落差を感じる人もおられよう。」という一文が、その前段に挿入されている。ここに違和感を覚える。  直接投票ではなく、選挙人を選出し、勝った方がその州の選挙人を総取りする、やり方。選挙人の定数配分も人口比によっているから、アラスカなどは、あれほどの面積がありながらたった4人しか配分されていない。  物理学で有効理論という考え方がある。  マクロな情報だけを読み取り細部を無視することだ。普通に誰もがすることである。  例えば、鉛筆で直線を引く。誰がみても一本の整った線に見える。だが、実態顕微鏡のようなもので拡大して見ると、そこにはある程度の幅で(細かなバラツキはある)紙の表面に黒いカーボンの粉が散らばって見える。  決して直線ではないが、そのような細部を無視して受け止める習慣あるいは性能、または約束が暗黙の内にわれわれの中にある。  もちろん、こう考えなければ現実世界は前に進まない。  アメリカの選挙制度は、「細部を無視する」有効理論に基づけば、効率的で現実的な民主主義なのかも知れない。しかし、ベストな方法とは言えない。  誰が考えても「死に票」が多すぎるだろう。  おそらく、あの広い国土に非常に少ない人口で、しかも先住民や国境を越えて入り込んでくる人々、奴隷として連れてこられた人々など、さまざまな立場の人がいる中で、「可能な限りの民主的な方法」として生み出されたのではないだろうか。 (中国の国家体制も、また違った歴史的過程の結果として成立していると思うが)  時の流れと共に条件は変化する。  その意味で、中国もアメリカもそれほど違わないような気がする。  国のリーダーの決め方について、「今のやりかたがベストである」と断定したとき、すでに綻びが始まっているのではないだろうか。  もちろん日本も。

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