2012年11月15日木曜日

ああ、早すぎるその死よ

 あまりにも早すぎる死だ。  羅臼高校に転勤する前の高校を卒業した若者が一昨日、死んだ。  交通事故による死亡だった。  年下の者の死は、いつも切ない。  特に、生徒だった者の死は悲しい。  一つ屋根の下で共に三年間を共有していた生徒の場合には、さらに辛い。  お通夜の席に座りながら、「どうして?」という思いが幾度も去来した。  集まった友人たちの悲しみ、残された家族の嘆き。  ひとつの命がどれほど数多くの命と関わり合っていたか、あらためて気づかされる。  われわれは「生きている」という状態を当たり前のことのように思い、  「明日もまた同じように続くだろう」と心のどこかで考えている。  死神は、気まぐれにその大鎌で、魂の緒をばっさりと断ち切ってみせることがある。  この事実を知らずに生活しているのか、知っていても敢えて見ようとせぬのか。  衆議院選挙の日程が明らかになったことで、なりふり構わず、ただヤミクモに当選することだけを目指して血眼になっている政治家たちに、今一度「生きている」ということの不確実性を突きつけてやりたい。  「命の大切さ」などという手垢にまみれた言葉ではなく、心底からの実感させてやりたい。  彼らが、生命の不安定性と、不安定であるがゆえの尊厳を認識できたならば、今よりはもう少し「生命と暮らしを大切にする政治」が実現するのでなかろうか。  それとも、欲で濁った目を持ち平然と戦争を始めようとする思考回路からは、もはやそのような感性は失われているのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿