2012年11月23日金曜日

「結果が全て」という精神の貧困

 選挙が近いということで、どの政党とどの政党が手を結んだとか合流を呼びかけたとか喧しい。  主張を捨て、基本政策を捨て、ただただ当選者数を増やすための方法を探っている。  もはやそこにあるのは政治ではない。  興味もないので、これらに関するニュースは一切無視することにしている。  綱領があり、それに賛同しそれを実現するための政治思想をもった国民が支持し、そこから選ばれるの政治家と、それを支える党員からなるのが政党ではないのか。 その政党を支持する国民が投票し、政治活動のための資金も寄付するのが本来あるべき政党の財政ではないのか。  大企業からの寄付とタップリ集め、その上われわれの税金から政党交付金までもらって、離合集散にうつつを抜かしている数多の「政党」の姿を見ていると辟易する。  おまけに選挙がおわり、政権を取ったら取ったでロクなことをしない。アメリカに尻尾を振って、お腹を出してゴロニャンするばかりで国民が苦しんでいても知らぬ顔だ。  それも当然だろう。  政党の活動資金を国民から直接もらっていないのだから。  税として強制的に取り上げた中から当然のような顔をして掴み取っているのだから。  どうしても言いたいことがある。  昨日や今日になってにわかに生まれ、離合集散を繰り返す「政党」には投票しないで欲しい。  政党交付金としてわれわれの血税からゴッソリ資金を受け取っているような「寄生政党」にも投票しないで欲しい。  そして、なにより必ず投票に行って欲しい。  当選するために手段を選ばないような選挙運動で当選しても、そんなものは本当に選ばれたことにはならない。結果が全てではない。 

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