2012年12月23日日曜日

父の生き甲斐

父の容態は、入院によって一定の安定を得た。痛みも少しずつ治まりつつあるようだ。 そこで、当初の予定通り、今日戻ってきた。慌ただしい札幌行きとなったが、また、近々行かねばならないだろう。  今回の入院の原因は腰椎の圧迫骨折である。室内でふらつきが出て、尻餅をついたことが原因らしい。重い病もなく年齢の割には健康なのだが、この半年間あまりの間に、一気に生きる意欲が減退してきたように見える。  しきりに「もう92歳だから」と口にするようになった。  母が亡くなってから15年が過ぎようとしている。この間、痴呆の症状とも無縁で、身の回りのことも全部自分一人でやっていたので、その緊張感に緩みが生じているのかも知れない。  家族思いで、趣味道楽などに見向きもせず、ひたすら家族のために人生を真面目に歩んできた父は、僕とは正反対の人だと思う。しかし、その緊張が途切れ、生きる意欲が減退した時、どのように声をかけたら良いのが少々悩ましいとことである。  「墓に布団は着せられず」と言うから、せいぜい何か力が湧いてくるような働きかけを試みたいとは思うのだが。  父は、昭和19年(1944年)に24歳の時に応召し軍隊に入った。当時の青年らしく戦争のまっただ中にいる日本のために、もう少し早い段階での志願入隊を考えたこともあったらしい。  とにかく、招集されて入った軍隊の実情を見て、その不条理と非合理な現実に失望したのだそうだ。そして、心から志願しなくて良かったと思ったという。  旧制中学校を卒業していた父は、敗色濃厚な時期に入隊したこともあり、士官候補となることを強く勧められたというが頑なに断り続けたらしい。  太平洋戦争を美化して語る人もいる。侵略戦争であったはずの中国などへの戦争が、いつの間にか「祖国を守るための戦い」だったかのように言われることもある。若者の精神を鍛えるためには徴兵制を敷き、若い者に強制的に軍隊生活を体験させるべきだと主張する人もいる。  「戦争」や「軍隊」への見方は今や多様になってきている。 そんな現代であるからこそ、父のように実際に戦争や軍隊生活を体験した人の言葉は重い。  戦争を知らない総理大臣や敗戦の時わずか12歳の小僧だった某政党の代表(その前までは都知事だったかな?)などの頭の中だけで描いた軍隊によって、これから平和憲法を捨て新たに日本が軍隊を持ち、徴兵制を採用して、僕たちの子どもや孫の世代が戦争に狩り出されることなど、絶対にあってはならない。  92歳はまだまだ楽をしていられないのだ。平和な未来のために、今まで以上に発言し軍隊の悲惨さ不合理さ、馬鹿らしさを広く広く訴えていってもらいたい。 生きる意欲は、そんな使命感から湧いてくるはずだ、と生意気で親不孝な不肖の息子はこう言って父を励ましてきた。

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