2012年12月26日水曜日

保身のために真理をねじ曲げる

先日、職場の忘年会があった。  一次会の会場から二次会の会場まで1キロメートル足らずの道のりを歩いて移動した。雪が降りしきる中をY課長と並んで四方山の話しをしながら歩いた。  それを後ろから見ていた同僚が、「ユーラ(僕のこと)は、まるでマロースのように見えた」と言ってくれた。  「マロース」と言うのは、倉本聰 作の芝居の題名であり、そこに登場する主人公のことでもある。彼は数万のハクチョウを率いてシベリアから渡ってくる「冬の旅団」の旅団長だ。  そこまでおだてられて舞い上がってしまったのは言うまでもない。 だが、この物語は、深刻な内容を扱っている。  記憶を失ったその老人が助けられた森中のコーヒー店「ブナの森」の近くで野鳥が大量死する。その原因をウイルスによるものと断定した行政機関は、野鳥を皆殺しにして焼き払う処置を決める。  しかし、野鳥の大量死の原因は、その場所にかつて大量に投棄された有害物質のためではなかろうかという、全く違った見方が浮上する。  作者の倉本さんは、芝居の中ではこの「原因」について突き詰めてはいないのだが、そうすることでかえって人間の自然に対する思い上がりと身勝手な解釈について告発しているように感じる。  そして、今日、東北電力の東通原発内に活断層がある可能性が高いとする原子力規制委員会の判断が発表された。東北電力は、早速それに反対する「見解」を発表した。  破砕帯が活断層であるかないかは純粋に科学的な問題のはずなのに、利害関係者が必ずそれに反対する。反対するための根拠を集めようとする。  水俣病など過去の公害問題の時とまったく変わっていない対応に失望を覚える。  このような学者がいるから科学への信頼はボロボロに破綻してしまうのだ。  曲学阿世という言葉ある。「世の中に気に入られるように自説を曲げ、信念も気概もなく時流に媚び諂うこと。真理がわかっているのにも関わらず、自分の身の保身に走って真理をねじ曲げること。」という意味だ。  福島の原発で、あれほどの規模の取り返しのつかない事故を起こして間もないのに、あらゆる危険に目をつぶろうとする学者がいて、学者を続けていることが信じられない。  まさに曲学阿世の徒、曲学阿電または曲学阿原、曲学阿資本、曲学阿大企業、曲学阿政のヤカラたちではないか。  一掃されるべきは彼らの方なのである。

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