2013年1月16日水曜日

「氷雪の首都圏」について考えた

 14日、関東地方の大雪は、首都圏に大混乱を引き起こし15日になってもその影響が残ったようだ。鉄道、空港、高速道路などの交通機関だけでなく氷った道で転倒して救急搬送された人も多かったようで、けが人が1000人を越えていたはずだ。気の毒なことだと思う。  「雪に慣れていない」と言ってしまえばそれまでだが、この現象の根本には何か構造的な問題があるような気がしてならない。  たとえば、鉄道の混乱の原因は、除雪体制の貧弱さ、以外にポイントが凍結して切り換わらないとか、電車のパンタグラフが雪の重みで架線から離れてしまうことが原因だという。関東地方とは比べものにならない豪雪地帯や寒冷地でも鉄道は問題なく運行されいる。この程度の雪に対応できないほど技術水準が低いわけはない。要するにめったに降ることのない雪への対策は、コストの無駄だと判断された結果として雪への弱さが露呈したのである。  コストのために雪への対策を削るなら降雪時には全ての運行を縮小すればよい。会社や住民もそれに合わせて活動を自粛すればいい。雪だから仕方がない、と諦めるべきではないだろうか。所詮自然の力には逆らえないのだ。嵐が止むまで待つしかない。  このことは個人のレベルでも言える。皆さんの靴箱の中に長靴は入っているだろうか。雪道で滑るのが不安な人はスパイク付きの長靴を持っているだろうか。雪用の手袋や防寒のための帽子、フード付きで防水性の高い上着はあるだろうか。おそらく収納する場所が無いなどの理由で持っていない人も多いのではないだろうか。  それなのにどうしても普段通りの活動をしたいと考えるのだろう。スニーカーや雪駄を履き、コンビニで売っているよな傘をさしてシャーベット状の雪が積もっている中を歩いている姿は、失礼ながら気の毒を通り越して滑稽に見える。どんな状況でも普段と同じ活動を維持したいのなら、それなりの備えを整えるべきだ。応分のコストをかけてきちんと対策を講じておくべきだ。「日常生活の質を維持したい。しかし、コストはできるだけ抑えたい」というのは、虫が良すぎる。しかし、無意識にそう考えている人は案外多いのではないだろうか。  だからこそ多くの人が、原発への漠然とした不安を感じながらも膨大な電力に依存し続けるという「原発離れの出来ない気分」を醸成しているのではないか。  今回の雪は7年ぶりだという。  7年に一度の降雪と寒波に、かなりのコストをかけて日頃から備えをしておくのか、そのコストを削って、雪の日は活動を縮小するのか、どちらかを選択するべきだろう。中途半端な対応の結果として今回の混乱が生じたのではないだろうか。  そして、7年に一度の事態への備えを軽視する風潮は、1000年に一度の災害が未曾有の大公害を招いたということを銘記する必要がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿