2013年1月22日火曜日

流氷の表情・・・・その多面性  流氷百話 24/100

 今日、羅臼高校の坂道から流氷が見えた。羅臼の流氷初日だ。  一昨日の日曜日、網走沖で流氷を見てきたが、知床岬を迂回して根室海峡まで流れてきたわけだ。つい二日前のことなのだが懐かしさのようなものを覚えるのはどうしてだろう。  そう言えば流氷は、当然ながら自分自身で動いているわけではない。風や海流、波に運ばれているのだけれども、その動きの中に「意志」があるように感じるのはどうしてだろう。  地元の人の中には「流氷がいた」とか「帰った」などと表現する人がいる。たしかにそのように表現したくなるのも理解できる。  根室海峡に流れ込んできた流氷は、北西の風に押されて、国後島の海岸沿いに南東に進んでいている。だから近くで見ることはできないが、まばゆいほどに白く輝いて見えたので、分厚い本格的な氷からなる流氷の「本隊」ではないかと思われる。  一方、一昨日、網走で遭遇したのは「蓮の葉氷」という楕円形の氷の板だ。「本隊」の氷に比べて厚みがなく、低い密度で浮いているので氷と氷がぶつかり合いカドが取れて丸くなり、蓮の葉のような形になる。  視界全体にそのような楕円形の氷が広がっている景色は、それはそれで見事なものだ。流氷が昔から身近な存在だった人にとっては、蓮の葉氷など流氷群の前衛に過ぎず、「ホンモノの流氷ではない」という思いが強いかも知れない。  しかし、たとえば台湾からはるばるやって来た人々にとって、海に氷が浮かんでいるという現実だけで十分驚くに値するのだろう。こんな流氷もあって良いと思うのだ。 泥が浮かんでいるような氷泥も、何トンもあるような氷塊も、蓮の葉氷も、すべて海氷である。自然の多様性をそこから学んでもらえればいいと思う。

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